マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

今は悼むしかない。

2011年03月13日 06時33分17秒 | ひとりごと
昨晩はブログを更新するつもりがどうしても記事にならなかった。あまりにも地震災害が悲惨で、あまりにも深刻で、とても活字にすることができなかったのだ。

金曜の午後、ちょうどうどん屋の営業が終わり、発注業務をしているころ名古屋に地震が到達した。震度は3から4で、地震の大きさはそれほど大きくなかった。が、ゆっくりと大きくゆすったため、まるで自分がめまいを起こしたと勘違いしてしまった。外へ出ると近所の人たちも集まっていた。みんな気持ちの悪い揺れだと言っていた。
阪神大震災の場合は名古屋でも震度4から5ぐらいだったから、今回の地震がこれほどの規模になるとは思いもよらなかった。そして三時過ぎに車で出店に向かったのだが道路は大渋滞、ラジオでは津波の警報を流し続けていた。しかし、パニックにならないようにとの配慮からか、いまいち緊迫感がない。どうなのだろう、三陸海岸には7mぐらいの津波が予想されると言っていたから現地では十分に非難する時間はあったはずだが、その割に多くの人命が失われている。まあ、過去に経験がないということだから皆がたかをくくっていたということか…。それとも現地ではもう少し緊迫した報道がされたのだろうか…、私にはわからない。

福島原発の深刻さはちょっと問題である。もっと早く住民を避難させるべきで、最初の枝野氏の記者会見ですでに冷却に用いる電源がないことが分かっていたのだから、当然その時点ですでに最悪の事態を予測できたはずである。炉心溶融まで十分に時間はあったのだから住民が被ばくするような事態は避けられたのである。
もっともパニックにならないよう、速やかに住民を避難させることなど至難の技だろうから無理もないが、現場の技術者の声と枝野幹事長に温度差があったことは間違いない。結果的に政府もしくは東京電力のメンツが住民を被曝させたことになる。
いずれにしても、いわゆる原子力の安全神話がまさに「神話」にすぎないことがこれではっきりした。そして日本の繁栄や日本の工業力がまさに砂上の楼閣であり、地震一発でそれらに致命傷を与える現実はむなしさを覚えざるを得ない。

陰謀論からみた地震の話は今回は書かないこととし、もう少し事態が収まってからゆっくりと考えることにする。今はとにかく多くの被災者が元気を出し、復興へ向かうことを祈ろう。そしておそらく千人を大きく超える人命が失われたことを心から悼もう。

今日は名古屋市議の出直し選挙である。この災害でやや気分がそがれた面は否定できないが、とりあえず我々にとっても国民全体にとっても重要な選挙なのである。
減税日本が過半数を占めるよう祈りましょう。もちろん後ほど投票に行きます。

本音を言いますと、私はテレビを見ていて良いのだろうかと悩むのですよ。私自身は安全な場所にいて、お茶を飲みながら「あー、すごい、町が壊滅していく・・・」と叫んでいる。まさに当事者のみなさんは必死で戦っているのに、私たちは何もできないのだ。で、結局テレビを消し犠牲者を悼むのである。