マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

名古屋弁はなぜこれほど美しいのか

2010年02月16日 08時49分59秒 | 古代史
こちらのブログにも加治木さんでは申し訳ないけど、興味深い記事があったのでちょっとだけ報告しておきます。飛鳥といえば奈良の飛鳥を思い出しますが、そうではなく現在の羽曳野市を中心とした飛鳥地区が本来のものだったという。
倭名類淨聚鈔によれば「賀美、尾張、資母」の三つの村で出来ていたという。
賀美は「上」で上流階級、資母は「下」で下流、で、尾張は「村のはずれ」という意味ではなく、「ウワイ」つまり「倭」のことだという。つまり、尾張が倭国の女王がいたところだというではないか。(「謎の天孫降臨と大和朝廷の秘密」p104)

さらに、天智天皇が大阪へ攻め込んだとき、倭国の支配層は全国へ逃亡し、再起を図ったのである。つまり、名古屋が尾張の中心という事は、名古屋の熱田神宮に倭国の女王様がおいであそばしたのである。つまり、その女王様が名古屋へ来たときにしゃべった言葉は名古屋弁だった?「あれー、どえりゃあいいとこだでいかんわ。ここにすむことにしよみゃあ。」といったかどうかは知らないが、とにかく女王さまが名古屋弁を倭国語として認定したのである。(まさかとは思うが・・・)

そして天武が壬申の乱で天智朝をひっくり返す時、尾張名古屋はどえりゃあ活躍したのである。
もっともその天武朝も皇后だった持統天皇にひっくり返され、再び元の倭国に戻ることになるが・・・・。この持統天皇から平城京までの歴史があまりはっきりしない。加治木氏もまだ解明していないようである。
やはり、持統天皇の時代、天武朝をひっくり返した原動力が藤原氏であろう。つまり、不比等が最大のポイントになる。これを解明しないことには日本の支配構造は明らかにならないであろう。このとき暗躍したのが行基や役の小角であり、その役割は定かでないが、分析する価値は大いにある。
行基は百済色が強く、どちらかといえば倭国側で、そして役行者は道教っぽいから、もうひとつ昔の八尾族になるのかな?うーん、なんとも言えないな。

それにしても名古屋弁がどうしてこんなに華麗で美しいのか、その秘密がようやく明らかになった気がする。河村さん、たのむでよー。