タイに暮らす:ウチのハーフキッズの日本語&タイ語

2005年生まれのお兄ちゃんK 妹のMちゃん。
好きなものを見つけた2人は今自分で日本、日本語の世界を切り拓いている

思春期を思う。。。

2020年03月29日 | タイで子育て
我が家は 夫の仕事の関係で引っ越しの多い家族です。
子供たちはバンコク生まれだけど 
その後 中部ナコンサワン県、東北部チャイヤプーム県
南部スラタニー県 と 転々と引っ越しが続きました。

南部スラタニー県の生活は5年半。
お兄ちゃんKは 切りの良かった小学校1年から
学校生活を送ることができ、南部の友達も増え
高学年になってからはLEGO ROBOT部に
所属し 日々を送っていた頃。

そんな時 中部への引っ越しが急に決まりました。
お兄ちゃんKは 引っ越したくなくて号泣したのを
覚えてます。
せっかく自分の居場所をやっと見つけたのに、、、
そんな思いが強かったのだと思います。

小学校5年生後期から都会の学校へ編入。
中学受験を控える公立校の中途半端な時期でした。

当然 お兄ちゃんKの心は荒れました。
年齢的にも思春期突入。

幸い兄妹で同じ学校へ編入できたので
学校のことは二人で話しをすることが多くなりました。
圧倒的にタイ語が多くなり私としては焦っていた
時期でもありました。

日本語でも話してほしい、、、
しかし 今日の出来事など 聞こうものなら
お兄ちゃんK 「昨日と一緒。聞かないで」

こちらがものすごく忙しいときに
こんなことがあったんだけどさ、と一方的に話し出す。

えーーー、今ですかぁ~?!

の毎日。

お互い、話したい、聞いて欲しいのタイミングが合わず
言い合いの多い時期でした。

お兄ちゃんKは ハーフで2言語できることを
学校で隠したいといったことがありました。
他にも、私が学校へお迎えに行くとき
校門から 日本語禁止ともいわれました。

なぜ 2言語できることがそんなにも
嫌なのか 当時の私には理解できず
日本語を話す日本人であることを
否定された気分にもなり落ち込みました。

お兄ちゃんKがのちのち話してくれたのですが、

慣れない都会の学校へいきなり編入。
(引っ越したくなかったが夫や私に
気持ちを伝えられなかった)

新しい学校で仲良くしてくれる友達は
汚い言葉を日本語で教えてくれと言う。 
(彼らにとっては言葉の1つでも僕にとっては
意味の分かる日本語。
茶化されているようで不快だった)

田舎からの転校生というだけで目立つのに 
更にハーフとして目立ちたくない。
(学校では100%タイ人がいい)


アイデンティティーはタイ人として確立されつつある
でも
タイのここは受け入れられない時があり、
日本語を話せる日本人としての僕もいる。

心の葛藤に苦しむ日々だったそうです。

私としては 今も この葛藤は続いていると
思うのですが、中学生になり物事を割り切って
考えられるようになってきた気がします。

中学2年生になり 理解し合える男友達P君に
出会えたというのも大きな理由だと感じます。
P君は無類のアニメ好きだとか。
ちょっとしたフレーズは日本語で言えたり
ひらがなが読めたり。日本へも行ったことがあり
日本食も大好き。
お兄ちゃんKの口からは P君は何々ができてとか
彼ののいいところの話しか聞いたことがありません。

いい出会いをしたものです。

荒れていた頃の比べると 
まぁ、自分の勝手なタイミングで話してくることは
変わりませんが) 私には日本語で日常の事柄を話すようになり
コミュニケーションがきちんととれるようになりました。

はっ我が家にはもう一人思春期を迎えたMちゃんがいるのだった。。。
ちょっとしたことで カッとなり牙をむくときがあります。
むすめ、怖い。。。

お兄ちゃんKとは性格も違う、さてさて 
前回 学んだ事を思い出して。。。

こちらから おしつけ過ぎない。
話すまで忍耐強く待つ。
話しをしてきたら手を止め聞く。(理解しようとする) 
子供の世界を尊重する。
とにかく褒める。

たったこれだけなのに できないときがあるんだから
嫌になってしまう。。。

今回は 全身をスポンジのようにして構えていよう。
受け止められるように。

だって 大切な我が子が心の成長をしようと
もがいている時期なのだから。


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