パチャママ的あぐりびと通信

茨城県石岡市、有機生産・飯田農園の妻(焼き物屋)が現場からお届けする日々雑多有機的考察。

20年前の投書・・・。

2008年08月28日 | 食を思う、農を想う。
みなさんは、今、日本という国が、有機農業を盛んにしようと応援し始めている、ということをご存知ですか?
今から2年前の2006年に「有機農業推進法」という法律ができて、これからは『有機農業』をひとつのきちんとした農業の形として認めて、
広く普及するようにみんなで支えていきましょう、と国が定めたのですって。

自給率の低下、とか食の安全という問題の多い今の時代の流れからすると、これはなんとなく自然なことのように思えますよね。

ところが、これまで長年有機農業に関わってきた方がたにとったら、これは本当に驚くべき革新的な変化、なのだそう。

これまで有機栽培農業を営むというのは「1%の選択」と呼ばれるほどに、
農業離れが進んで、農業をやる人が少なくなる中でも、さらにごく少数の、
“変わり者”といわれるような人の選ぶ農業と言われてきたような存在だったのだそう。
(仕事としての農業、というより生き方そのもの、かもしれませんが)。
それでも信念をもった有機農業の先人たちは国からなんの応援も、なんの補助を受けることもなく、
黙々と「有機」という自分たちの農業の形を貫いてこられました。

高度経済成長、そしてその後のバブル景気で世の中が好景気にわき、大量生産・大量消費で人々が豊かになり、
農業も効率化・工業化が進み、化学肥料や農薬が全盛だった頃、そんな世間の風潮にも浮き足立たず、
ただひたすら「儲からず」「効率も悪い」有機という命のつながりを大切にした農業とともに生きてこられた人たち・・・。
今の有機農業の存在の陰に、そして国がやっと有機農業を推進し始めた背景には、そんな、何十年も前から
目先の利益のみに迷わされず、冷静に真摯に人の生きるべき方向を見据えて、
有機栽培を続けてこられた先人たちの存在があるのです。

農業を支える人が高齢になってきている
後を継ぐ人がいない
耕す人がなく田畑が荒れている・・・。
日本の農業には暗い面が多いですよね。それは現実だと思います。

そして今盛んにいわれている「日本の自給率の低さ」の理由。
それは、簡単に言えば日本が国際的な観点からみて、「工業立国」だからなのですよね。

このようなことを遅ればせながらやっと少しずつ理解し始めたわたしなりにわかりやすい言葉で説明してみるなら、
戦後、優れた技術で作られた高品質の日本の工業製品が外国にたくさん売れるようになる。
日本は次第に経済的に豊かになってくる。
すると対外的には「おまえは売ってばっかりでズルイ」という貿易摩擦が起こってくるわけですよね。
「工業製品を買ってやるかわりに、うちからもなんか買ってくれ」
ということでしかたなく、日本にもあるけれど・・・、と思いつつも外国の農産物を買うことになる。
こうして日本は輸出超大国でいるために、同時に輸入超大国にもならざるを得なかった
一般消費者が好むと好まざるとに関わらず、外国から安い農産物が押し寄せてくるのだから、国内産の農作物の自給率が下がる。
いってみればこれは当然の流れですよね。

こんなことを背景に、ある時期から日本の農業は叩かれ始め、日本の農家の方々は、ものすごく不当な批判を受けてこられた。
そんな事実を、みなさんはご存知でしたか?
そんなのみんな知っていることだ、という方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしは正直、全然知りませんでした。
しかも、それはそんなに前のことじゃないのですよね。
わたしたち30代世代がこどもであった、1980年代には経済成長を重んじるあまり、マスコミ、世論を通じて
農業潰し」ともいわれる農業へのものすごい弾圧が強まった。(そしてそれは今も続いている、という方もいらっしゃいます)

いわく、
国民が高いコメを買わされているのは、農業が悪いからだ、コメの自由化をすすめて消費者を保護しろ」とか、
近郊農家をいぶりだして、工業用地・住宅地を広げよう」とか
農業ばかりを保護して輸入を増やせないため、貿易摩擦が深刻化し、経済発展にブレーキがかかっている」・・・。
果ては、日本を代表するような大会社の社長たちの
「国際競争力を失ったものを国内に抱えておくことは国民的損失、
計算すると農家には農産物を作ってもらうより金を渡して(休耕)遊んでいてもらったほうが得、
農業と工業では、単価面積あたりの生産性で1500倍の開きがある。
だから日本の農業はそっくり東南アジアへ移したらよい」
といった発言まであったそうで、これにはさすがに怒りを爆発させた農民たちが立ち上がり
その会社の製品の不買運動が起こったのだそう。

もちろん、農業者以外の人だって、きつい仕事に耐え、家族のため、国全体のために
さらなる経済発展を願って、がむしゃらにがんばって日本を支えていたのだと思います。
なにも農業がどんな職業にもまさって偉いのだといいたいわけではないのですが
黙々と命を支える作物を作るという「儲からない」仕事をしている人々に対してまるでいじめのように、
世論を操り、よってたかって「儲かっている側」「もっと儲けたい人々」が攻撃する・・・。
なんだか胸が痛くなるような話ですよね。

わたしがこんなことを知ったのは昭和63年に発行された「食糧ゼロ大国」という古い本を図書館で見つけて借りてきたからです。
(貸し出しカードにはこれまでにひとつもスタンプが押されておらず、
そのことひとつをとってもこういう問題が象徴されているように思えました。)
そしてその本に掲載されていた、わたしが特に胸を打たれた文章はつぎのようなものです。
昭和62年5月4日「朝日新聞」に掲載され注目を浴び、その後大きな論争を巻き起こしたという、福岡県の農家の男性の投稿。
少し長いですが、全文をここにご紹介したいと思います。
20年前の投書です。
この20年前の一般農家の憂いや苦慮は、まさに今の日本に表面化してきた食の問題の
真髄をついているといえると思います。

この一般の農家である男性の投書をお読みになって、「パチャママ」読者の「あぐりびと」なみなさんは、
どんなことをお感じになりますが・・・?

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「農業はどうすればいいのか」     農業・福岡在住 中村光雄 投稿

最近のすさまじい農業批判の中で、わたしの心は揺れています。
「農業がなくなるほうが、ほんとうに国民(一般消費者)の利益につながるのなら、農業をやめざるを得ないかなあ」。
国民がいらないというのに、いつまでもしがみついていても展望はないし、はりあいもないからです。

農業を始めてから18年。
経済的にはゆとりはありませんでしたが、人間の生きる「かて」を生産する大切な仕事をやっているんだ、と言い聞かせてやってきました。
今までやってこれたのは、わたしたちに対して国民の期待と感謝があるに違いない、という気持ちがあったからです。
先日、わたしたちの勉強会で、次の3点について意見を出し合いました。
①農業攻撃をしかけているのは誰だろう
②日本の農業がなくなるとそのひとたちにはどんな利益があるのだろう 
③一般消費者は利益を受ける側だろうか、被害を受ける側だろうか。

いわれているように、わたしたちが今まで何の努力もしなかったわけではありません。
私自身、生産を向上させるために、いろいろ努力をしてきました。
徐々にではありますが経営面積も拡大しましたし、値段のいい早だしをねらってビニールハウスもやりました。
品質の向上や単位収量の増加にも努めました。私だけではなく、農家はみんながんばったのです。
しかし、残念なことに所得は思ったようには伸びませんでした。

なぜか、それは農産物の値段が上がらなかったのに、生産に要する経費はどんどん上がっていったからです。
値段が上がらなかったのは、日本中の農家がわたしと同じように面積を増やし、農産物が過剰になってしまったのと、
外国の農産物が次々と入ってくるようになったからです。
コストをさげる努力もしてみました。
農機具の共同利用をしたり、中古で買ったトラックには13年乗りました。
ハウス用ビニールは洗って3年も使い、肥料や農薬も減らしました。
教えてください。あと何をどうすればいいんですか。

国内に農産物がなくなっても、これから先、こどもの代まで食糧不足の心配なく暮らしていけるのなら、
わたしたちが今まで果たしてきた役割を米国やオーストラリアの農家の人たちにかわってもらってもいいと考えています。
しかしほんとうにその人たちは「日本人のために、安く食糧をいつまでも供給してやりたい」と考えているのでしょうか。
「日本には食糧生産がないから値段は自分たちの思うままになる」などというあさましい気持ちは一片もないのでしょうか。
また仮に農民たちは純朴であったとしても、食糧を一手に買い占めて輸出している穀物メジャーといわれる人たちはどうでしょうか。

聞くところによると、米国の農産物が安く生産できるのは、何百万人ともいわれるメキシコなどからの密入国者を低賃金で使うからだそうです。
その人たちが来なくなったらどうなるのでしょうか。
中学生の教科書に、石油はあと20年で枯渇すると書いてありました。
そのとき、米国の大型農業機械は何で動かすのでしょう。
日本まで運ぶ船はどうするのでしょう。
そのほか、いろいろなことがひとつひとつ注意深く点検されているのでしょうか。

農業を去った人たちは、簡単には戻ってきません。
つらい重労働から一度離れてしまうと、なかなか元の仕事をやりたくはならないものです。
一度荒れてしまった田畑も、なかなか元にはもどりません。
わたしは5~6年放置しただけの畑を借りて野菜を作ってみましたが、今でもしつこい雑草に悩まされています。

あれこれと心配はつきません。
日本の農業はどうすればいいのか、みなさんも一緒に考えて下さい。

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