光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

この空にどんな情報が飛び交っているか、夕刻近くの空を見て思う

2015-01-21 13:57:22 | 散策
  もともと、社交的でもないし、大体話がヘタだし、文章もまともに書けないし。


  最近は、いやこの3、4年は、頭の中で、日本語をローマ字に変換することも出来なくて、

  PCの辞書もずいぶんと苦労しているが、変換される文字も、ずいぶんとおかしなものばかり出て、

  やっぱりIMEの何か設定が足らないかと思うが、これは事実で、間違いは多い。

  私もPCの辞書も。



  もともと、ここの生まれでもない。ずいぶんと篭もっている時間もあって、損したか得したか

  わからない。でも、この辺りに住んでおられる方が持つ、不文律に染まることなく生きているので、

  かわらず衝突まではいかないが、わからないことは多いし、こいつなに考えている、と思う人も中に

  いるのではないか、と簡単に想像する。


  最も、残るただ一人の人間となると、哀れにも見えるのか、まったくそうゆうことを考えない人も

  いるようだが、いろいろと、これは口コミというべきか耳コミか、ようやく知らない情報が入って

  きたりもする。

  これも真実かどうか、何しろ、干支が一回転した人間なので、それよりも年が上の人のおっしゃることは

  恐らくここネイティブのかたもわからないことが多いはずである。

  人ずてが、先行して、ゴールに行くパターンが多く、私もそうゆうことが少しわかるようになった。

  つまりどこまで信憑性があるか、ということになるが、年齢そのほか性格もあって、おおらかに話される内容に

  真実はなかったりもする。



  これ以外に、結構重要なことでもある問題についても、ご年配の人曰く、ごたごたがあって、こうゆうことになった。

  まるで、昭和20年8月15日、その日から数年の間の感覚に似るかなと、生まれてもいない私は思う。

  戦後のどさくさに紛れて、というやつである。


  今もたしかに戦後で、いろいろわからないことは多いが、多くは証拠の隠滅を徹底していて、これについてなお今

  その作業を続けるという内容の書き物を読んだことがあるが、それだけ、表に出せないということはあるのだろう。

  それに比べると、口コミ、あるいは耳から自然と入ってくる、こうゆうことにご熱心な方は多い。

  

  私もたまに、多分このことは知らないだろう、ということを口にすることはあるが、そんなことは「知っとるちゃ」と

  いう言葉を聞くことは多い。これだけのいろいろなことをご存知なのか、驚くものがあるが、だれそれは

  どこから来ているとか、どこに勤めているとか、娘さんの嫁ぎ先までもが話に出てくるが、はてそれは本当か。

  これだけはわからないもので、単純に、これも特に興味はなく、聞いてみて、ただ自然と話に出た、というところ。



  でもやはり田舎というところの特性というか、その成立からして当然の帰結として、個人の情報というものは

  今の感覚でいうと、保護するというものはなく、押しなべてみな共有していて、で本当のところは

  やはりわからずとなる。


  なんでもかんでも知られている、ということはほとんどみな知っているが、自分のところもみな知られていると

  いうことになり、お互い様となるが、それでも最近は、さーわからないね、と話をそらす人も

  出てくる。もっともなことで、ある年齢以降の、ご年配といわれる人は、なんでも知っていると勘違いし、

  あるいは知られているということに無関心である。これが若い人だと、そこのところは今と昔で大違いで

  これからは個人の秘密保護ということも、重要なこととして考えられるのではないか。



  私もそれだけ歳を重ねたので、概して若い人のことは知らずよりご年配の方について、あの人は本当に

  元気だね、おいくつになられたのだろうか、という話はする。

  結局のところ、最後には自分以外に人のことについて、あれこれ話す楽しさは今も昔も変わらないのかも。

  この最も顕著なものが、いわゆる、映画スターであり、俳優さん、芸人さんのことでもあって、この話題が

  ないと生きている意味もない、とまで考えてよさそうな気もする。

  さすがに芸能界という感じがある。最も政治の世界だと、スポーツ選手は昔からその方向での調整を考えている

  政治家先生も多いらしく、有名な方も多い。


  でも、高齢化社会の最も先進を行く、この列島の国で、総儀屋さんの看板を見ることは多い。

  もちろん、総儀の案内。この地区でも、私のいえもそうだが、いっときお亡くなりになられるかたが

  どっと出て、一世代前の人で、ご存命のかたはやはり数は減った。

  

  簡潔に若い方を知らない。大体合うこともないし、何かの場に私はもともと出ないが、そこに出る人もいない。

  ここに都会と同じ、閉塞感をしかし感じることはない。

  やはり「シキタリ」は、代々そのいえの姑さんが教えていて、これを厳密に守らないと大変なことにもなる。


  Youtubeに投稿された映像が、ニュースに出たとき、何事かと思って、たしかに一回だけは見たが、すぐ他の

  チャンネルに変えたが、同じものが流れていて、どこもかも同じになった。

  こうゆうときはTVを切るしかないが、それにしても、そこに何かを読み取ることはないように思われる。

  流すほうも流すほうで、この程度のことでというと、マッチ・ポンプという言葉が出るが、やる方もやる方で

  最も、これは外遊好きの方の趣味でもあるようで、なんだかお金をばら撒いている。

  なるほど、これでは年金も減るし、将来年金制度が維持されると考える人間も少なくなる。

  油に火をそそいでどうなる。やっていることがわからないという不幸がある。



  この地の空に、きのう青空も出たが、どうも今ひとつすっきりと晴れず、寒々しさだけを感じた気もしたが

  これに耐えうるだけの気持ちを持つことが出来るか。

  正念場という気にもなる。




  その一。北の空は青かった。




  その二。きのうは、煙突も見えたが、鉄塔もよく見えた。




  その三。お日様を隠す。ここにいかほどの電磁波が飛び交っているか。




  その四。緑の色も薄い。




  その五。立山連峰は見えず。





  その六。




  その七。お日様は上、下が夕焼けの色。




  その八。鉄塔くっきり。




  その九。




  その十。ポケットに手を突っ込むことなく歩いていると、さすがに手がかじかんでも来た。


  そういえば、と私は思うが、多くのこの時間に散歩をされる方はそれなりに防寒対策はしっかりと

  している。

  雪の中でも同じで、やっぱり実際のところ、寒いというのは間違いない。


  毎度の寒中修行もあるが、これはまた別ものだろう。

  滝に打たれたい、という思いは今のところなし。



曇っている時間が長く、朝の強烈な冷え込みはない

2015-01-21 07:12:39 | 散策
  きのうは、晴天を期待したのだけど、なかなか。

  待てど、待てど、雲が多くを覆って結局くたびれ待ちになり、

  一応外に出る気持ちはあったので、カメラは持って、でもさほど防寒対策はしなかった。


  ちょっと古いカメラを持つ。

  画像はいい。でもAFが、年々合わなくなって、というか働かず

  マニュアルはほとんど無限遠を使った。

  空に太陽はあって、小さく感じられる。

  大体三分の一がさほど厚くない雲に覆われて、それ以外は青空だが、

  午後も3時半を過ぎると、やはり薄暗い感じにははなる。


  手袋も最近は使わないので、何℃あるかわからないが、冷水に手を入れている感じである。

  でもこの時間から、恐らく他の人も今日は散歩と決められたのか、

  あるいは雨天でも散歩をされる、そうゆう方が現われ始めた。

  ここは散歩道でもあるのだなー。


  同じ苗字の、もうお孫さんも大きい、おばちゃんは気軽に声をかけてくれるが、

  何しろ元気である。

  結局、いつもは自分がやっているようなこと、つまりお説教を聞かされることになって

  ぎゃふん。そんな家に閉じこもっていて、脚越し弱くなるし、もっと歩かないと

  あとで困るよ、翻訳するとこんな感じだ。

  いえの中でも、やらないといけないことが多くてと、弁解すると、「わしもそうだったが

  それではだめ」。


  なるほど、そのおばちゃんは、点にまでなる位置まで歩いていて、その姿は消えた。


  私としてはさすがに予定オーバーになった。

  夜中足がジンジンもしてきて、眠気がなくなった。これは辛い。

  仕方なく、いつも飲んでいる薬に頼ったが、まだ疲れ方が足りないのか。


  二回目という感じだが、明るい景色で、色の調整をしなおしたが、結局出来たものは同じ。













  
  朝5時30分、西の空に木星。

  東の空は、お日様が出そう。




  
  


雪が消えたか、わずかに残るところがある程度で、雪の超印象画像

2015-01-20 13:55:59 | 散策
  このところ、びっくりするような雪はない。

  でも暖かいとはもちろんいえない。

  今日は少し日が出そうな感じはあるが、まだ感じだけで、晴れたというところまではゆかない。

  この時間が時刻かが何かを左右する、あるいは支配的になる。やる気が出なくもなるかのようで、

  それでもあまりに明るすぎる条件は、今は私の目にはよくはない。

  今の室温でこれだけあればと思う温度は、10℃以上であって、12℃くらいがいいかな。

  で、灯油ヒータの設定温度も、12℃にしている。

  今日は、こられるかと思っていた使用電気量メータの検針の係りの人は、来ていない。

  明日かも知れない。

 
  
  人の生活で適温というのはどのくらいか、これがむつかしい。この値を維持するに金がかかりすぎては

  本末転倒で、でも今は冬でもあるので、寒さに耐えられる身体でないといけない。

  そうゆうこともある。


  気が緩むこともある。

  勘違いというか、身体のほうが鈍感になっていて、コタツで温まり過ぎた身体は、それこそ魚の

  干物のようで、朝も少し書いたがそのせいかあまり元気はない。



  それでも、ごろごろはなるべくないように、とも思っている。

  先週金曜日、どうゆうわけかいい天気になって、これが一番の要因だが、たまに来てくれる姪っ子も

  それを感じたのか、やって来た。

  いつでも、気が向いたら来たらいいよとはいうが、概して明日ゆくと聞くと、いろいろ考えること、

  準備することも多くなるような気もして、連絡なしで来てくれるのが一番と、すでに言ってある。


  だが、さすがに心の準備も出来てもいなくて、まだ雪は残る1月でもあって、特別暇を持て余すという

  こともないはずだから、まったく来る可能性はないと私は判断していて・・・。

  それで下のほうで音が聞こえて、ようやく、あれもしかしてと気が付いた。


  ここは笑ってニコニコするしかないが、一つは、居間の掃除も怠りがちになる。でも格別すごく汚いこともない。

  逆に、予想しているわけでなく、今日は掃除をしないとと思ってやった翌日か翌々日、来るときが多く、

  話の最初は、「きのうここの部屋は掃除したので、そんなには汚れていないよ」、で始まったりした。



  今回は結構掃除の後の時間がたっていて、まずかったかなとも思った。

  下にもコタツはあって、そのスイッチはいつも切ってある。つけているのは、灯油ヒータ。

  で、一言、コタツというので、ハイハイと、プラグをコンセントへ。

  ここはオトナらしく、相手はまだ子供、ちっちゃいまま、という感覚だが、年齢はもちろん時間とともに

  増えるのは当然である。



  痩せている、という。私を見てである。本人はもっと痩せているのだ。でもこの痩せているに意味はあって

  お父さんがわりと、体格よく、大柄でもあること。弟も、そうゆう風な体躯になって、それに比べて、私の場合

  ここ10年で上半身の肉は落ちたので、そう見えるのだろう。これは医師にも言われた。

  でも肉が落ちただけで、お腹はさらに出っ張っている。

  ここの重さを合わせると、体重は微増、でお腹は自分でも見たくない。


  最近筋肉が見直されている。というかこれも流行りもので、昔はそんなことは言われなかったが、老化の一番

  よくないのは筋肉がなくなることとか。

  最も私の父は痩身で、母はそれなりに歳を重ねて出るところはでたが、似たのは母の体格かなー。

  いずれでもないかも。


  父の母も、痩せていて、どうもこれは明らかに遺伝である。父はいくら食べても、太ることはなかった。

  最も認知症になり、これもひどくなると、自分の思うとおりのことも出来なくなって、痩身かつ筋肉も

  落ちたようだ。身体のバランスもとれなくなる。やっぱり認知症は、脳の病気なのだなー。



  父は、2008年に、杉谷にある、富山大の付属病院で亡くなった。そのとき、もう痩せ切っていて、今日が最後に

  なるかも知れないという日、見舞いにいったが、医師は何か言うこともないらしく、黙っていた。

  私は小心者で、朝から晩まで父の様子を見ていることは出来ず、亡くなったら、電話してくれと頼んだ。


  電話は2回あって、こんなことは詳しく書くこともないが、やはりその日に帰らぬ人となった。

  でももう覚悟は出来ていて、すぐに車を手配した。

  夜で、昼間だと結構長いと思えるその道ではあるが、車も走っていない夜、タクシーの速度は

  上がった。

  もはや人間でなくなった、父の顔は、さすがに見られるものではなく、すぐに白い布を戻した。

  でも、特に狼狽ぜず、やることをやって、葬儀屋さんの車を待った。

  もちろん涙もまったくでず、病院でお世話になった職員の方々に簡単にお礼を言ったことも覚えている。



  あのころは冷静でもあって、ものごとテキパキはいかないがどうにか、やれることはやった。

  でもその後、しばらくして、1年とちょっとか、入院時に撮っていた父の顔も、見返すことが

  出来なくなった。

  そのときでも、緊張感がもうないからか、こんなにひどい顔になったのかと思ったのだが、

  同時に、こわいとも思うようになった。

  まー情けない話を書いた。


  たまに父の、死亡診断書を見る。それで、父の生年月日と命日を、思い返すことになる。



  姪っ子が帰った、その日の午後、金曜の午後だが、どうゆうわけかこれではいけないと

  居間の掃除をした。反対になった。

  もう少し自動的に、スクッと身体が動くようにならないか。

  ならないだろうな。


  ニコンD300をまた出している。もうカメラは買わないという意味もある。

  これを居間において暖めている。

  で、その部屋から、あるいは外にでて、重いD300を持つ。最も、重いと思うようになったのは

  4年ぐらい前。もうかなり時間はたった。


  この画像で、今はどうゆうわけか雪のない時間でもあるが、印象的なものを少し。



  その一。すべてのタオルではないが、みな父と母の名が書いてある。介護施設で使っていたもの。
  黒ずむのはクロカビで、これは平気。天日干ししたい。




  その二。




  その三。雪、融水。水鏡面像。




  その四。




  その五。きれいな感じはないか。




  その六。




  その七。




  その八。竹の切ったあとが、墓標のようにも見えるが、この竹も危ない。今朝は、コタツのコードを
  コンセントに差し込んで、そこを移動しようとして、コードに足を引っ掛けた。
  老化の象徴。




  その九。普通の、違う機種でくっ付いていた、ニコンのセット用レンズで、厳密には
  目でみないとAFは迷う。


  晴れそうで晴れなく、

  でも今ようやく晴れて来たが、このまま晴れるかな。



音のしない世界、霧雨のような雨が降っているようだ

2015-01-20 07:04:46 | 散策
  静か、かすかに竹の枝葉が揺れる。


  きのうの夜からだと、雪はなく雨の音も聞こえないが、完全に曇りではなく

  屋根の瓦は濡れている。


  今日は暗い。

  だんだんと日の出の時間も早くなっているはずだが、2週間で2分くらいかも知れない。

  木々に緑はあるが、黒っぽいもので、草も枯れている。

  そうゆう木に、キジバトが体を丸めて、首をその体に押し込むようにして

  寒さに耐えている。

  目は開いているのか、閉じているのか。そうゆうキジバトを二羽見た。

  

  雉のオスは、結構派手な色をしているが、まだ若いとその色も見栄えはしないで

  草の色と同じで、すぐに雉のオスとわからないが、何かをつついていて

  やることは餌を探す以外にない。

  
  去年の12月から、本格的な雪だが、秋ごろから、よく小鳥が死んでいるのを見た。

  きのうもほとんど地面の色と同じヒヨドリが、横わたっていたが、一体いつ死んだのか

  わからない感じだ。



  雪が降っていた。そのときに雪の下に隠れたのかも知れない。

  もしきのうが最後だとすると、もう少しちゃんとした輪郭が残る。

  死後しばらく時間がたっているのかも。

  見つけたのがきのうの午後だからな、わからないことは多い。

  しかし、小鳥の食べるものがないというのは本当のようだ。

  カラスとかトビは別だろうが。

 

  眠る前にコタツで布団を暖めているが、布団が熱くなりすぎたようで

  私の身体も、体温が上がっていた。

  それに気が付かず、眠るときになって、あーこれはだめだと思った。

  何度か経験しているが、鈍感になりつつあって、それに体温が上がりすぎるのは

  やはり危険だ。


  時雨の暗さと明るさと。













  LEDの電球色の照明。昼でも夕方のようで、蛍光灯の色というのが買ったときに

  頭になかった。



夕暮れどき、雪の立山連峰の様子はどうだったか、残照。

2015-01-19 13:59:56 | 散策
  ときどき非常に天気はよくなるので、一体にどうなっているのか、というのが時雨のマジック。


  あまりに変化が激しく、ほぼ快晴かいな、と思うときもあれば、真っ暗にも。

  なかなかこの変動の激しいときに雪が降り出すこともないと思ったりするのは、

  一つは気温が少しずつ上がっているようで、まだ俗に言う冬型は、完全に出来上がって

  いない。


  今は13時になったが、その前から、電気ヒータを使う時間が多く、これは珍しい、それもあって

  温度計は、10℃近くある。大体ずっと、800ワットの電気ヒータを使っていると

  これくらいの室温になるが、今はそうゆうことも出来ず、休んでは動きというところ。


  それで、まだ少し明るさもあり、ソロソロだなと思うのは今月の電気の使用量だが、


  電力使用メータを、自分で見て、先月の伝票はあるので、比較して、当然ながら増えていて

  100kWh以上は確実に増えていることがわかった。

  恐らく明日か明後日か、検針の係りの方は来られるはずだが、



  それにしてもやはり気を許すと、あちこちの照明やら、仕方なくつけている。居間のヒータ、他に

  風呂の水が凍らないように、常にボイラは使っていなくても、凍結を防ぐために、水の温度が下がると

  自動的に、暖めるようになっている。

  これは目で見ることも可能で、さほど入れてはいないが、でももともと風呂桶の水をからにするという

  考えはなく、最も低い水位ではあるが入れていて、熱水が出てくるところを見ると、水が盛り上がって

  循環しているのもわかる。

  寒い冬は、仕方ないが、入らない風呂桶の中に水は入れていて、灯油と電気を使いつつ、凍結を防いでいる。

  バカなことをやっていると思うが、どうも空っぽにするということが出来ない。


  昔はその凍結を防ぐ装置のないボイラを使って、水が出てこなかったこともあった。これは、台所、

  洗面、も同じ給湯を使うので、凍ってしまうと、すべてに問題が生じると思うからだが、

  他にいい方法があるのかも知れない。
  


  こうゆう時間は本当に落ち着かないが、大体外を見ても、そこにあるのは、人のいない世界で、

  先ほど、チラッと見かけたのは、斜向かいにおられる人。

  この方は、1時間は歩く、というのを日課にされていて、天気判断して、決断して

  それでも早めに帰ってこられたのか。


  ここで先にという感じで、きのうの晴れた時間、それも夕方近くの、雪山、北アルプス、立山連峰の

  少しいつもとは変えた、夕暮れ時の画像を出そうと思う。


  地元の新聞を先ほど見ていたが、その画像は晴天で、真っ白な山と青い空があるが、

  それを見る前に、やっぱり夕暮れだなと思ったので、これも毎回場所は同じだが、

  少しだけ感じは違うと思う。




  その一。場所的には、ここの位置からだとここのところが一番、陰影がはっきりとして
  いかにも夕暮れという感じが出る。これも判断しだいで、でも天気の変更も気になるところ。




  その二。山は普通。




  その三。同じ場所、時間的に数秒くらい遅いかも知れない。




  その四。きのうの感じで、午後5時でも、空は青い。ただ近くの空と山とは天気の変化も違う。




  その五。今も登山者はいるのだろうか。





  その六。麓の風景にどうしても電線が入るが、最も魅力のあるのが、この麓の夕焼けの
  色具合。エッジ出し、画像の細かいところをどこまで出すかは、ゆるくしている。




  その七。




  その八。太陽光は低く、昼間にはわからないものに当たっている。そこに何かがあるが
  それに興味はないが。




  その九。一応きのうのお昼ごろだと、ほとんど快晴になって、このような絵が出来るが
  これも細かく見ていると、平凡のようで、この条件でないと出ないものがある。
  同じところから同じカメラでも、ときの変化は微妙に山の表情を変える。


  でも、これを見て、今年の雪の量は多いのか少ないのか、そこまではわからないが。




  特に思いつく事もない。

  あっさりとここで打ち切るのが一番だが・・・。

  変わらず、TVを見ている時間はある。


  NHKも、毎度の感じもするが、政権の変化もなく特に変わったというものはない。それでも、これは経営委員会での

  話のようだが、オリンピックがどうのというところが、気がかり。

  オリンピックはいつのオリンピックということになるが、2010年の東京で、選手をこれからさらに!育てるため

  さて公共放送、NHKは何をするのだろうか。



  スポーツは特に嫌いではないが、見るものではなく、老いても出来るだけ自分の力で出来ることを

  やりたいと思うのは、多くの人が思うことで、簡潔に勝ち負けの問題ではない!!!。

  勝敗はそれは、営利を目的とした、プロの競技だろう。

  最も、もはやオリンピックは金のなる木というか「大木」であって、これに依存して、潤えばこれに越した

  ことはない、という考えがいかにも露骨である。



  何なら、オリンピックはもうアマチュアのスポーツでなく、営利を目的とした、プロのショーにした

  ほうがいい。それなら、何もNHKがどうのこうのする必要もなく、スポーツに関係して、これで成り立つ

  会社は多いので、こちらのかたがその「力」で、主体的に推し進めるのがいい。


  今はほとんど、上のほうでは、概念だけがある。で、もはやプロと変わりのないスポーツの感覚は

  多くはスポーツに関連している企業が実務的なことをやっているから。


  というのはだれが見ても、明らかでもあって、そのために税金をこれ以上使う必要はない、と考えるほうが

  理にかなっている。サーカーにしろ、プロ野球にしろみなそれでやっている。

  これ以上、オリンピックに金とお役人の力を注ぐ必要は、どう考えてもないようだし、

  それをやらないと勝てない!!!、というのはいかにも、何考えているのかなということにも

  なる。


  ようやく、普段のFMの音楽番組が始まって、それを無事録音出来て、耳で楽しんでいる。

  こちらのほうに、もっとお金を使ってくれ、NHKの受信料はちゃんと払っている。

  どうゆうものを見たいか作るのがいいか、そうゆう意見を聞かないNHKに、未来は果たしてあるの

  かな。



一部、空に明るいところがあるが、荒天、雷鳴も聞こえた

2015-01-19 07:00:42 | 散策
  きのうの午後は部屋の中は、完全に温室になって、14℃か15℃まで気温上昇。


  これだけ上がると、今度は気持ち悪さというか、心地よさを通り越すものが。

  少し窓を開けて、空気の入れ替え。

  最も、やはり外に出てみると、相応の寒さがあって、でも考えてみると

  温室効果ゆえの暖かさで、外はまだまだ寒い。


  春でも名のみ。

  予報は雨だが、時雨空である。


  きのうの晴天は、夕方までは確実で、でも金星はわからなかった。

  周りに竹も多く背も高く、ほかにも邪魔になる障害物は多い。

  きっと見えたと思うがまだ高度は低い。


  宵の時間、雲と星が出て、結局、雲のほうが多めで、

  いつの間にか雨が少し降る天気になった。


  夜中は南風で、ある程度の音はあった。

  気温はやはり南風が入った時点で、少し上がっている。


  今朝は目の前の温度計を見ると、やはり少し高めで、5℃あった。

  数字で今日は暖かいほうだと思う。


  先の天気はわからぬが。

  明日は雪マーク。


  絹雲かな。きれいな雲だが。















  瓦も路面も、今は完全に濡れているが、空に明るさはある。

  時雨空は間違いなく、やはり明日はこの延長上にある、雪の一日になりそう。

  寒い。もう一回寒い。



雪の降っている感じを、出来るだけ目に見えているように表わす

2015-01-18 13:54:00 | 散策
  シジュウカラ、小さい。小さいので小鳥。で、冬の野鳥でもあって、鳴き声が特徴的で

  割りと遠くまで響き渡るのではないか。そうゆう印象、ツーンか、キーンという音の中間的なもの。

  それが印象深い。いつもその鳴き声を出すとは限らず、すぐにわかるのはその姿から。


  シジュウカラが来ているのは、晴れ渡ったから、というのが一番の要因。

  晴れている。これも予想外だが、日本晴れでも富山晴れでも何でもいい。



  何しろ、午前9時過ぎ、それよりも前から、なるほどと思えなくもないが、晴れた。

  快晴に近く、今は雲の動きから、風は「北西」からのようで、またこの風向きもときによって変わる。

  見えていた雲が消えてしまう、と風向きも判断出来ないが、それだけいいお天気になった証拠でも。


  鳥はあまり好きではない。

  スズメがいて、ツバメがいる。カラスの存在が、どうもいけない。カラスが悪い、と絶対にいえなく

  カラスも好きで悪さというか、人の嫌がることをやるわけではないから。

  概して、なんでも食べる鳥類、あるいは猛禽類は、小動物、中間くらいの動物、大型動物の残骸の

  掃除屋で、その後に何も残らない。そうゆう意味でも、ある場所でありがたい存在で、カラスには

  はっきり言って私もだが勝てない。そうゆう人は多いはずである。


  鳥好きの人でなくても、小鳥はどうゆわけか、ここの昔のいえにも、小さい竹で出来た鳥箱の中に

  緑色の小鳥はいた。

  昔は、ジュウシマツなど飼っていた家は割と多いのではないか。

  その鳥篭は、竹製ではなく金属製だった。竹だと、いかにも虫箱のように見えるので、鳥箱と書いたが、

  やっぱり虫も、虫篭かな。虫箱とは言わなかったかも。



  この辺りは、冬あるいは早春のころだが、すぐにわかる小鳥はメジロである。

  これをどのように捕まえるか、わからないが、竹製の鳥篭に、メジロはいて緑色のようでウグイス色のようで
  
  どれも違うようだ。

  これの餌に困ることは昔のいえではなかったようで、人と似たようなものを食べている。

  たとえば、米ぬか。


  今は小鳥といえど、かってに取ってはいけなく、これは自然界にその姿を探さざるを得ず、でも意外と簡単に

  そのシーズンになれば、メジロや今書いた、シジュウカラの姿を見ることは出来る。

  でもシジュウカラは、このところその姿を見ること少なく、季節限定だと、メジロのほうが確実性がある。


  どちらも、こうゆう小鳥に共通するものかわからないが、長くはおらず、早咲きの梅の花、あるいは松の

  花粉なども食べるのか、それもまだ残っていても、鳥の姿はなくなる。

  鳥に鳥の生き方がある。



  冬の鳥だと、この名前が花とかに比較してなお覚えていることは出来ず、忘れてゆくが、それなりに

  きれいというか目立つものもある。そうゆう鳥ほど、どうも最近は見かけないのは私が外に出ていない、

  ということが一つ。自然界の条件が変わったこともあるのではないか。

 

  鳥は鳴き声だけだと、結構豊富だが、知っているものは、さほど興味なく、知らないものはなんだと

  いうことになるが、これはそれこそ鳴き声だけはわかるがというもので、姿形見ること少ない。


  メジロに似て非なる、ウグイスだが、これは鳴き声だけはよく、セミに似ているかな。

  セミの鳴き声は嫌いではない。

  ただ同じ考えで、鳴き過ぎは勘弁してくれとなる。ウグイスなども、適度に鳴いてくれて

  姿を消すというのがよく、また明日があると思うのだけど、朝も昼もというのは、どうゆうわけか

  耳をふさぎたくもなる。


  聞いていてものすごくいいものは多いが、何事にも適度な大きさとか時間はあって、なかなか

  むつかしい問題は依然として残っている。

  赤ちゃんの泣き声は最近ほとんど聞かないが、これもおかあさんは心配のタネで、泣きすぎる赤ん坊は

  元気だというのはわかる。これ以上は書くこともない。



  嘘のように晴れている。気温の上がり方はしかし、それほどでもなく、12時前に、一応昼は食べたので

  冷たいだろう空気に触れるため、外に出たが、これが嫌というほどまだ冷たくて、冷蔵庫の中だが

  背中に日がちょうど角度がいい状態で当たると、室内と同じく、結構気持ちもいいもの。

  今日は風も、弱い。でも数字で示すと冷蔵庫の中の冷蔵室の温度より、わずかに高いだけで

  やはり直射光がいる。



  散々、快晴の心地よさの事を書いて、でもきのうはこれと真逆、正反対のお天気でもあって

  いかに雪の有り様を撮るか、多少は悩ましい気持ちにもなった。

  雪も大きなボタン雪になると、そのものにカメラのAFは反応して、一応雪が降っている状態がわかる。

  これは興味深いもので、昔から同じようなことをやっているが、でも写り方に限界あり。

  一つ考えていたのはいかに目で見えているような雪の様子を画像に残すか。あとは今書いた

  空中の雪の様子。


  部屋の温度が上がってきて、まだ大丈夫だが、妙なことにならないか、そっちも心配!!!。




  その一。いかにも荒々しいというか、はっきり汚らしい画像だが、雪の感じというと
  これも一つの表現かな。




  その二。目で見て直感的に、かなり雪で空間は白いが、それが画像では、そうならない。




  その三。




  その四。この辺はまだ試行錯誤。




  その五。目の前が白くなるくらい、というのは本当で、でも表現的にオーバーかも。




  その六。




  その七。雪で悩むことは多いな。





  その八。カメラを空に向けても、ちゃんと雪に焦点が出る。




  その九。




  その十。でも、なかなか美しい、というところまではゆかない、きのうの雪の降り方。


  今日は今ごろになって、部屋の温度が上がって、朝よりもちろん10℃以上は高い。

  なんか温度が高すぎて、身体がこれに対応出来ないという、記憶のある嫌な感じもしてきたので

  この辺で止めないといけない。




きのう夕方吹雪いて、あっという間に窓が凍った。厳しい寒さ

2015-01-18 07:06:00 | 散策
  一番寒いのが2月だと思うが、・・・。


  1月で、この寒さで、暦どおりかも知れない。

  きのうは一気に気温が下がった。一回、夜に南風で気温は上がっているので

  その恩恵があってまだよかった。

  これがなかったら、朝から震えていた。


  今日はもちろんブルブルだが、きのう土曜日、午後3時までは雪も少なめで、でもその後に

  さほど強くなかったが、横殴りの雪、吹雪といってもいいかも知れないが。

  日の当たらない西の窓に雪がこびりついて、それが融けたものがすぐに!凍ったのだろう。

  

  予想すること出来ず、指の先が割れてボロボロになっているということもあるが、

  簡単には凍った窓も開かなかった。

  ズルズルとでも動けばいいが、力をいれてようやく開いたが、開き過ぎた感じで

  このコントロールも出来ない状態。

  雪はそのときは止んでいたが、

  閉じたらまたすぐに、窓は凍ったと思う。



  もう一回開けた夜は、さらに力がいった。


  雪の量は少ない。しかし、こうなると、一番怖いのは低温。

  体から奪われる熱もあれば、身体が硬くなることもあれば、

  神経に障るし、大体神経痛にもよくはない、と思う。

  精神衛生状、最もよろしくはない状態とも思える。


  子供は風の子だが、さて雪の子はなにかな。

  やっぱり南極とか北極に棲む動物となるようだが、

  ここにホッキョクグマはいない。


  ぼんやり画像の立山連峰。視界が結果として悪い感じ。














  今日も鼻水に苦しめられる。

  これがなかなか止まらない。喉の痛みは、うがい薬で何とかなるが。


  しかし、一番寒いのは2月、繰り返し書いた。



青空が出て、ぽかりと浮かぶ雲を見ていたときは、たしかに暖かかった。

2015-01-17 13:47:37 | 散策
  最近、あまり気象台、富山地方気象台だが、そのアメダスの値を見ることも少なくなった。

  寒いのはわかっているし、天気がいいときは朝は冷えるし、昼間は暖かい。

  でも北陸でも晴天は、この頃長続きしない。



  あまりに気候変動が顕著で、その変動の仕方が、これは列島の国の全部で同じような気はするが

  局地的であって、特に簡単に災害を引き起こしてしまうという、凶器のようなものでもある。

  テロにいろいろで、テロリストは誰を狙うかよくはわからないが、

  恐怖政治も同じくテロリズムで、これに怯える人々も多い。


  どっちが恐ろしいか、というとこれはもちろん、恐怖政治のほうのテロリズムで、

  英和辞典の付録の世界の歴史を見ていると、たしかに恐怖政治は、15世紀あるいは16世紀あたりからは

  ちゃんと世界史の教科書に載るような、すごいものまでが登場する。


  いつの時点でも、これが人間のすることかというのは行なわれて、王侯貴族が狙われるときもあれば

  恐怖政治で多くの人々、人民は何度も何度も震え上がって今がある。



  その延長上に、今の世があるのかどうか、これは疑わしく、本当のところというのは、わからないようにも

  思えるのは、今が情報化の時代で、情報操作の時代でもあるからだろう。


  情報はある程度周知されると独り歩きする。一人歩きするなどという言葉は決して使いたくないが、

  使わざるを得ない気もする。これはやはり、その現象を表わすにぴったりであるが、

  一人歩きよりは、「情報操作」がうまくいったというべきかも知れない。


  流言飛語がある。最近でだと、福島第一原子力発電所の事故で、放射性物質はまき散らかったが、そのことに

  ついて触れること自体、よろしくはないこととなって、本来なら当然、それについていろいろ議論もされないと

  いけないが、禁忌でもあり、風評がどうのとなる。


  ここまで来ると、やっぱりおかしなものだと考えたくもなり、やはりそれに触れないことがいいのかと

  思ったりもするが、現実はどうなのか、最近そういえば話は聞かない。



  私は福島産とかの食べ物についてまったく問題はないと思ってもいるし、実際に千葉で取れているという

  サバなども、食べている。それこそ、測定値に問題なければ、最も安全な食べ物といっていい。



  で、恐怖の極限でもあるというものの第一はやはり地震で、火山活動なども同じ範疇に入る。

  でも列島は揺れるところにあるので、あるいは列島がどのようにして出来たかというと、ここは腰砕けだが

  火山活動で、新たに島が誕生したという事実が示すとおり、この国もそれで出来上がったといっていい

  ようである?。誕生の原因は、恐怖と同じ理屈でもあるかのように思われる。


  大陸移動説で、ヒマラヤ山脈が出来た、というのはよく聞く話だが、スケールといい、移動そのもの

  の原因はまた別の力が働いている、というのが正しいのだろう。時間のスケールも違いすぎる。

 
  地殻の変動の話が地震で、お天気、気候のこの最近の劇的な変化は、やはり人為的なものが原因の一つだろう。

  ゲリラ豪雨は最近の話といっていいと思う。押しなべて地球という惑星は水の惑星でもあって、

  穏やかな変化とともに、生き物の進化はあったのではないか。



  ところが、一応は平和裏にあるという今の時代、再び冷戦時の時間に戻ろうとする動きもあれば、盛んに言われている

  国際的なテロ組織も暗躍する。

  これに似るかのように、異常気象はあるが、テロ、あるいはテロリズムに、気候変動は直節関係はないが、

  結果として、多くの人が不幸のどん底に落ちる。被災し、あるときは多くの死者が出る状態に

  ある。

  考え方は別。しかし、原因として、人為的な何か、あるいは人種の問題に、宗教の問題、あるいは、国と国との

  関係、さらに同盟関係にあることに違和感を感じる国々の人々が存在しても、これには不思議はない。

  それがあるから軍事同盟があるとも言えるし、経済における不平等な関係も、結ばれるような気がして

  ならない。


  ロシア連邦が、反米的でもあると、これはNHKのデータ放送ではそのようにあったが、ベネズエラが、重要かつ

  大きな金額をも占める輸出物である原油について話し合いを持ったというのも、これももっともな話で、

  結局のところ、国際社会そのものは、今も変わらず揉め事を、より揉め事の起こるような形でしか対処できない

  状況が見て取れる感じがする。




  きのうは日中はお日様が出たので、非常にぽかぽかとしていて、このこと自体忘れそう。

  今日は外はもう雪で震える寒さがあるが、なぜ、好天が続かず、寒々とした雪が降るか、

  その景色を見て普段考えもしないことが、頭の中をよぎる。これも仕方のないことかも

  知れない。


  ぽっかりと出た青空、それに柔和とも思える丸みしかない雲がそこにあった。



  その一。トビがくるりと。




  その二。




  その三。




  その四。




  その五。すぐに忘れる、このノンビリとしたポカポカ天気。最も、こんな時間は今年になっても
  そうはないが。




  その六。




  その七。




  その八。




  その九。




  その十。どこへ飛び立ってゆくのか、ちっちゃくも見える、国際線の旅客機。



  富山地方気象台、今日のアメダス、気温、午前1時で、6.5℃。

  12時で、0.6℃。

  雪、雪のいいところもあるが、今は寒すぎる。



南からの雨と風が夜に強く、荒れ方としては中程度

2015-01-17 07:08:09 | 散策
  雨と風と、騒音と、それと雨・風の音で、夢見ていても落ち着かなかった。


  きのう宵の早い時間、少し晴れ間が出た。

  でもそれも一瞬と言っていいくらいで、段々と雲が出てきて空を覆った。

  夜中12時でもう雨風になっていたと思う。


  窓から木々ではなかった、竹の揺れる様子がよくわかるが、これが台風並みで

  この景色を見ると、そうは気温は下がっていなかったらしいが

  寒気が一段と増した。

  結局夜中じゅうといっていいように思うが、雨と風の音で、

  夢もそれに同期していたようである。


  何の夢か書くことは出来ないが、映画のような夢ではなく、何か抽象的で、絵にも音にもならないもの。

  そうして、朝が近付いた。

   
  温度計を見てびっくりで、6℃もあった。

  きのうはたしかに非常にいい天気の時間があった。

  それで部屋は暖まったようだ。

  だから朝まで、温もりはあった。


  明日の朝が極端に寒く思えるはずである。

  大荒れの始まりの朝は、まだましである。


  これはきのうの夜明け、日の出。














  月を何度か見たが、やはりもう一つには見えず、片方の目で見ていても

  何重にも見える。

  近くの風景とか文字を見るのに問題はないが。