光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雪の降らない時間が続いている、南風が暖かである。

2015-01-26 14:08:06 | 散策
  いえの中だとわからない。


  それよりいつもの通り、ログインしようと思ったら、妙なという感じの画面。

  これも新手の詐欺か、そんなことはない。でも、何かが変わるとあれっという、この驚きは

  それこそ驚き過ぎて、大仰かも知れない。


  ちょっと変わった、その程度である。言い切れないところが悲しい。

  毎度、かろうじて生きている感じで、背中そのほかギクシャク。


  風邪は治ったということにして、次に、軽いものだが眩暈状態、それと腰痛。

  でも腰痛は、筋肉が弱っているから、ということで、インドメタシンを塗るのは止めた。

  でも気も弱いので、また今ごろあの高い高い、コンドロイチンを飲んでいるが、もちろん効果の

  ようなものはまだ。関節の痛み、捻挫もしそうなので。

  なんでも薬に頼る。


  無病息災、で息災ってなかなかわからない。無病は、六つの病気ということにしている。



  今ごろ、と思うのは、国鉄の民営化。

  この民営化というのが、お役人、政治家の方々の大好きなことのようで、

  最初は電電公社だったかな。

 
  国鉄、というのも歴史が長く、国鉄の前は私鉄だった、という歴史があって、それがどこの何線か。

  これは多くて一つ一つ覚えてもいないし、最初は国鉄ではなかった。あるとき、国が買い上げたという結果

  国鉄の一部になった、ということは、大切な事実ということを認識、記憶。


  これは、国はもともと、さほど鉄道というものを重要視していなかった、ということではなく、民間の人でも

  鉄道会社を作るという考えがあったこと、かつこれが企業としては成り立つ、という認識があったことを

  示していて、この時代に列島の国になんともすばらしい考えの方はいたのだな、とまた今ごろ

  感激する。



  北陸本線は、廃止される。なくなるのである。ほかの会社が、レールと車両を使って地域の公共交通機関と

  しての使命を果たすという。さて、これがどのようなものか、これまでのJRの時代の、北陸本線と

  どう違うのだろうか。

  利用する人は果たしてこれで、より便利に快適になったと思うのだろうか。

  北陸本線は、たしか私の記憶では、米原から、直江津まで、これらがすべて、廃止されるのか、

  この辺りもよくはわからない。


  民営化されたJRでは、残念ながら自前では、高速鉄道を造ることは出来ず、国、あるいは県が主体となって

  税金を工面した。いったいに、たとえば富山県のレベルで、どのくらいの税金が、この高速鉄道のために

  使われたか。県民一人当たり、一体にいくらくらい負担したのか、こうゆうことも知りたいものだが

  何かに出ているかな。

  
  かなり長い時間がかかっているので、膨大な額になるに違いないが。

  それで、JRと、新しい高速鉄道、北陸新幹線のすべて、レール、駅、車両その他は、どのような関係に

  なるのか。ここが、民営化された一私鉄としてのJRとの関係の、もっとも知りたいところ。

  もっとも、それを知ったところで、国鉄時代の北陸本線はもちろんだが、民営化されたのちの北陸本線も

  もう戻らない。


  民営化される前、恐らく最後の年に、上野からの電車には乗っているはずだが、その後は、多分一回か

  二回かな。

  それにしても、あっさりと、廃線となる。恐らく、北陸新幹線を構想していた時代に、こうゆうことは

  考えられていなかっただろう。

  東海道本線は残っている。上越新幹線は出来たが、上越線も残っているはずだが。

  東北本線も、東北新幹線が今はどこまで開業したのかわからないが、ちゃんとあるはずである。

  これがもうなくなっている。廃線になって、他の民営会社、あるいは意味のわからない、経営母体に

  移譲されたのか。こうゆうことがわかる、何か「いいところ」はないものだろうか。



  きのう、渋い顔をしていた。しかし、どうにか気持ちも回復して、でも相変わらず身体はおかしいが

  TVを見ていたが、廃止というので、今走るJRの北陸本線の車両ならびに風景を撮影に来られる方が

  紹介されていた。

  恐らく廃止にならないとすると、わざわざは来ないというところだろうか。

  しかしご熱心らしく、やけに遠方から来られている。


  これは私などには実にうらやましいが、高そうで高級な機材も目に付いて、私には出来ないことだ、と

  羨望の目があって、同時に、自分の非力さも十分に味わった。


  昔、富山の機関区が東富山にあったはずだが、ここに、交流でも、直流でもどちらでも走行可能という

  交直両用型の電気機関車、EF81が結構台数あって、格納庫から外にも出ていて、これをかなり近くから

  眺めることが出来た。

  東北本線の尾久駅辺りにも、これも昔話だが、直流型の電気機関車がずらり並んでいたことを

  思い出すが、当時いくらかカメラで撮ったと思うが、もちろんフイルム、ポジだった。が、

  これはどこかに、放り込んであるはずだが、もはやそれを見ることも出来ず、

  ただ思い出としてある。

  

  ただ単純に、北陸本線を疾走する列車をあーゆう風に撮れる時代が自分にもあったなら

  結構嬉しかったに違いないという思いから、これを書いたが、

  絵本の中と、現実は違いすぎて、自分はあいかわらず子供のままだなと

  笑うしかない。



  そういえばきのうは、平野部だと雪もなく、また山も見えなかった。

  直江津までで、雪の残るところはあったのだろうか。


  雪の降らない日が続く。1月の、19日、20日、21日、22日はなく、23日、24日の空。


  19日。

 


  その一。きのうの朝の(18日)日の出の画像には、雪はまだ降っているものもある。19日、この日はない。
  以下も雪の降った日はないと思う。




  その二。これに似たものは一回出ている。


  20日。



  その三。




  その四。


  21日。



  その五。赤い色がかすかに。




  その六。


  23日。



  その七。




  その八。


  24日。



  その九。


 
 

  その十。


  雨はまだ。



薄曇り、雪はなく、雨が近付いている。トビが入った

2015-01-26 07:08:49 | 散策
  薄曇り。


  かなり明るくなった月がおぼろにずっと見えていたが、雲はしっかりとあって

  晴れ間はなかった。


  きのうはなんとも、考えみると散々な日でもあったが、どうにか持ち直すことが出来たが、

  いろいろなことがあるんだな。

  考え方も違うが、こちらは「間違いないように」という考えが強く

  いろいろ説明する。


  こうゆうことが理解できないようで、子どもさん(お孫さんだろうが)とまるでお遊びのように

  あることを考えるのは、ストレスはないが、対応する相手は不安がいっぱいだ。

  あんなことで「お金の管理」が出来るのか、と思わざるを得ない。

  
  相手方のことについて何かいっているわけでなく、こちらの事情を話しても

  こうゆう場合は無駄だった。

  しかも、来る人みな同じいえの人と思うが、毎回違うのである。

 

  冬というより雪の中休みか、もう降らないのか、そこのところもわからないが、

  もうほとんど消えた雪を見ていると、お正月などのひどいときがまるで夢のようだ。


  夜は、あれがないなと思ってコタツから出たが、他のところに注意がいって

  何のために立ったのかはわからなくなったが、

  それでも2、3、別の忘れていることに気が付いた。


  トビが偶然入った。



  これはレンズがどの程度ピントを出しているか。




  山が焦点。




  シャッタ速度が遅かった。




  一応今年である。

  

  自分がぼけ始めていることはよくわかっている。

  もっと進むだろうこの症状。

  高齢化の社会で、やっぱり、そこで生まれ育った人間でないとわからないことは多い。

  知らない、わからない人が多い。


  最も、会うはずのない人にまた会うことも。

  この頻度は、意外と高い。


枯れ切った植物の中に、小さい芽を出している木がある。気温も早春か

2015-01-25 14:06:14 | 植物・花(冬)
  朝は、雨が残っているような気もしたが、しばらくしたら、お日様も出た。

  でも、この晴れ間は続くようで、そうでもなかった。まだわからないが。


  この辺のところの記憶というのはいかにも曖昧になる。

  でも日が出たのはたしかで、気温もずいぶんと上がっているようだが、10℃には達しない。

  一番わかりやすいのは、これは夕方から夜だが、窓ガラスが曇り始める。

  気温が下がる以外になかなか考えられない。

  これはきのうも、なかったような気がする。


  でも、悪いほう、都合のであるが、を考えるより、いいことを考えたり、夢見たりするのは

  出来るならやったほうがいい。


  それにしてもいろいろなことがあって、今も近くにおられる人が来られたが、なかなか話が通じないので

  ずいぶんと、躊躇した。

  きのうは青森から来たという、リンゴを売っているんですがという方も。

  なんともしようのないことではあるが。



  運動神経もない、耐久力もない。私がたまに見るTVでスポーツのそれは少ない。

  剣道くらいだと、興が涌くこともある。

  NHK-TVの総合で、テニスの実況をやっている。これはあの選手が、世界一になりそうだからで、

  名はすぐに出ないが、そうゆうものかなと思う。

  
  私もテニスは少しだけ齧った。大学でも、体育の授業はあって、これの単位を取れないと、卒業も

  出来ない。バレーと、バスケット。2年まで、それぞれ1年ずつ。

  テニスは、どうゆうわけか学部のコートがあって、かってに自己流でやったが、どうしても、上からの

  サーブが出来ない。

  小さいころの運動というか遊びは、時代もあるが、これは野球しかなかった。

  でもピッチャーというのは、一番へたくそのやるポジション。しかも、ソフトボールである。

  で軟式もあったかも知れないが、どうしてもオーバースローというののコントロールが乱れる。

  仕方なしにサイドスローか、アンダースローでボールを投げた。



  高校野球を見ていても、ピッチャーの多くはオーバースローで、また普通にボールを投げるのも、最も楽なのが

  オーバースローのようだが、これも内野手だと、よくアンダースローでぎりぎり間に合うという好プレーを

  見せる。

  
  話をもう少し進めて、再びTVに戻ると、これはつい最近だが、ときどき見るといっても一週間に一回だが

  『すイエんサー』という番組があって、これがなかなか面白い。書いとかないと。

  登場するのは、まだ若い女性で、モデルさんということらしい。ここに若い男性が出ていたら、もちろんかどうか

  まー私の場合は見ない。

  女性は、若くしても立派なオトナ、と言っていくらいの変貌をするので、いつでも素になれるし、またアイドルにも

  叔母さんにもなれる。オトナの場数を踏んでいるので、堂々たるもので、あんな真似は出来ないが、

  これも例のテニス選手の影響だろう。錦織さんか。錦織圭さん、ようやく出た。この人の活躍大で

  『すイエんサー』でもテニスショットが話題に。


  どのくらいの時間がかかるのか、登場する若いモデルさんは、それなりに、最初はヘタで、だんだんうまくなる。

  で、テニスというと、サーブである。そういえば、テニスのアニメも始まっているなー。ずいぶんと心理的なことを

  的確にストーリーにはめ込んでいる。これ以上は書く必要はないだろうが。

  で、すイエんサーに登場する若い女性も、いとも簡単にラケットを上から振り下ろしてして、ちゃんとコートの中に

  ボールを入れるのをみて、最初は少し驚いて、ついには感服もした。


  TVでも体操は見るだけでも、テニスのラケットを、ラケットなしで振り降ろすくらいの真似事は出来るだろうと

  やってみるがこれがやはりなかなかである。

  右手が少し曲がるのはしょうがないが、うまく真上から振り下ろせない。


  何度か、映像を思い出して、手のひらをラケットと思うようにすれば、それほどむつかしくないような

  気にもなった。

  右手がうまくないなら、左手はどうか。それで、まずは左手でオーバースローのような真似事をやってみたら

  これはさほどむつかしくない感じもして、もしかして自分は左利きかな、など思ったりもしたが、

  これはしかし、そうゆうことはないだろうな。


  それでも、何かヒントが得られたが、特にこれから野球とかテニスをやることは考えられず

  でもなるほどなーと納得するものもあって、ここに少しだけ書いた。



  周りにあるのは枯れている草、枯れている植物で、でもいくらか植物の新芽は出ている。

  早春はそこに来ているのかも知れず、しかし実感はない。




  その一。梅の木に、まだカラスウリの中身のない殻がある。




  その二。夏ミカンのようにも見える、柚子。でもこんなには強い色はない。





  その三。ノリウツギ、これは完全に枯れてでもまだ残るものがある。



 

  その四。しばしぼける画像。




  その五。




  その六。ニコンのD300で撮っているが、一枚いちまい、丁寧に撮るとそうは撮れないこともわかる。




  その七。




  その八。




  その九。細い枝に新芽だが、何だかはわからない。




  その十。アジサイ。さすがにアジサイは強い。


  室内の温度、14℃まで上昇。

 
  最も今は電気ヒータをつけていた。

  それにしてもいろいろなことがこんな小さい集落でも起こって、話も通じないことがあるとは。

  もっとも、人それぞれ。ただの集金だけど。



一瞬の早春の感じがあったのかな

2015-01-25 07:10:13 | 散策
  体感というのは、そのときの身体の調子もあるし、気分の問題も。


  特に雨とか湿気の多いとき、神経に障ることは多いようで、自分の体で天気予報が出来る、

  というTVを、NHKの立川志の輔師匠の、ガッテンで見ていたが、

  これもときによって混乱する条件がある、ということ。


  そこに冷たい雨が当たっていなくても、感覚器がそれを感じて、あーなんか雨が当たった、

  と思うときがある。第一、雨は降っていないときもある。

  体を動かしただけで、刺激になるものは多いということだが、脳は勘違いをするか、

  機能的に一部壊れている。


  年齢もあるし、それが起こって特に今は混乱はないが、要らぬ刺激だけは避けたいもの。


  私の父は寒がりの程度が強かった。父の父、つまり祖父は、夏、寒い寒いといって、これはもちろん晩年に

  近いときだが、父は苦労したようだ。

  しかし、こうゆうものも眠っているときはなんとも感じないのかも知れない。


  きのうはいいお天気のように思えて、午後も3時を過ぎると雲が多く出て、夕方には完全に曇った。

  日差しはなくなった。

  でも、温度計は10℃以上をさしていて、その後は雨だから、さほど冷えることはない。

  宵の時間、コタツはいったん切っていたようだが、やけに熱く感じられて、あれスイッチ入っているのか、

  切るつもりで反対に移動させたが、余計に熱くなって、もとに戻した。

  足の感覚だけは正常なようで、それでももちろんコタツから出ると、まだ暖かいというものはない。


  そのままでしばらく時間がたったが、今度はコタツの温かみはなくなった。

  それでちょうどいいくらいで、眠るときはやはり身体はある程度体温下がっていないと

  いけないことがよくわかったが、これもさじ加減のようで、信頼に値するのは

  やはり温度計である。

 
  いずれにしろ、ややこしい問題は、歳を重ねて増えるばかりだが、

  まだ何も感じないよりはいいかも。


  日の出のいろいろ。















  今朝は雨のあとで、晴れそうな空がある。



日の出の時間があって、その後もときおりお日様が出ている、という非凡さ。

2015-01-24 13:56:30 | 散策
  今もお日様、雲が多いながら出ている。


  朝も何時ごろか、恐らくほぼ日の出の時刻、これはもちろん、実際に山、稜線から日が出るときだが

  そのころか、わずかに遅れて朝日は出ている。

  ただわずかに、山の上に雲が細長くあって、これがお日様の上だったか下だったか、画像でわかるような気もする。

  そのお日様、もちろん雲も多い空なので隠れるときがある。



  今日の天気予報は、曇りなので、いいほうにはずれている感じだが、この状態もいつまで持つか。

  雪、これはどう考えても降りそうにない。

  もちろん外れて、降ってもいいが。

  もう少し確実に晴れる、自分が信念を持っていえる状態になればいいが、そうでもないようで

  ここのところが、いかにも悩ましい。

  毎度の感想を書いている。



  明るさがある。

  明るさにもいろいろで、ある部分、たとえばお日様のように、異様に明るいと、そこを見る気にもならない。

  部屋の明るさも同じで、一番感じのいいものは、やはり天井に、照明があるときで、これも調節できれば

  なおいいが、一個だけでなく、二個あればもっと調節も自分の気に入るように出来る。

  これは一つの蛍光灯が切れると、いかに不便かですでに体験済みだが、ただ取り替えるとなると、

  仕方なく専門の業者さんに頼まないといけない。

  これが、なかなか僻地でもないけど大変で、はっきりいってすぐに来てくれるところというのはない。

  それから汎用の蛍光灯を使うタイプだと、危なっかしいが、蛍光管を変えるだけなら自分でも何べんもやった。


  ただ本体が壊れると、手も足も出ない。

  なんでも自分でやれればという考えは今はないが、さてものを頼むにどこがいいか。一応は決めてはいるが

  何しろ部屋の真ん中、この下に何にもないというお宅はあるのかな。

  大体コタツが占拠。これが動かない。それから蛍光管一つにゴミ!!は結構着く。



  蛍光灯の本体というと、取り外すときは、それこそスズメバチの巣を取り除くような感じで、

  ゴミと闘うというか、あるいはゴミを被る気でやらないといけない。

  天井といえ、ゴミはある。上向きであるはずの、蛍光灯の本体にも雪のようにゴミ、綿ぼこりが主だが

  積もっている。

  これを考えていると、滑車みたいなものでつるして、それを下のほうに降ろすことが出来るタイプという

  机上論が出来るが、誰もそうゆうものは作らない。

  これもいえというのは、大体長くて30年が耐用年数で、それを過ぎると壊すしかない、という

  この列島の国に特有の考えがあるからかも。


  室内の電気の配線もそうだし、給湯関係の水道管もそう。あとは何があるかな、いずれにしろ、何かことがあると

  結構大掛かりな工事または、ある部分を全体やり直すという悲しい状態になることも多々。

  リサイクルではないか、いずれにしろ、いえは固めるものでなく、もう少し簡単に分解出来て

  何事にも対応できる。しかも耐震性もあるものであって欲しい。そうゆう夢を見る。


  雨漏りもあった。樋を直すというのも、これも難題がある。屋根瓦、これは気が遠くなるだけ。

  近くでその工事を見たことがあるが、家の中の騒音はいかほど。

 
  日本の家屋の悪口を書くのが目的でなく、改善されるものはないのかな。

  20年に一回、自動的に、新しいものを別の場所に建てる。こうゆうことをやれるお伊勢さんが

  うらやましい。


 
  部屋の中の明るさの話で、蛍光管がそろそろ危ない時期にあるということ。自分で勝手に変えたところ

  2箇所ある。

  寝床で使う、枕の後ろに置く、さほど強い光を必要としない照明に、これまで蛍光色の、古いランプを使っていたが

  これはTVなどもさほど明るく照らさず、目にもよかった。これをLEDに変えたことは一回書いた。

  蛍光管型のランプがチカチカとしだしたからで、そのうち寿命はもう目に見えているので変えた。

  これが強力で、部屋全体が明るくなって、逆にまぶしい。TVの画面をも照らす。たしかに、どの方向が明るくなるか

  これまでのランプとは違う、と説明書に書かれてはいた。

  これは廊下、あるいはトイレ、あるいは風呂など、上から照らす場所はいいが、横が主となる、寝床には適さないこと

  は、すぐにわかったが、しかし、我慢して使っている。

  性能的によすぎる、という言い方も出来る。難しい時代になったものだ。



  お日様の明るさに戻ると、朝からこれが入ると、部屋の中の空気にいろいろなゴミが浮いていることが

  あまりにわかりすぎて、こんなに空気は汚れているのかと、気がちょっと遠くなる。

  さらに床は木で、もう20年以上たつここのいえの床がいかに傷が多いか、これもわかりすぎて、そういえばあのとき

  何を慌てたのか、望遠鏡、これはシュミット・カセグレンタイプの三脚より上の部分、を倒した痕も。

  結局、望遠鏡も、使わなくなる。はでに微動装置が歪んでいるし、もう手に負えない。

  あの事件がないとすると、まだ見ようという気にもなったかな。


  ところで、板敷き、フローリングは、便利なようで、傷も付くがさらにどうゆわけか、どうしてもスリッパが

  欲しくなる。

  冬、裸足、あるいは、靴下のまま歩こうという気にならない。さらに今は足の裏が余りにサラサラで、

  油っ毛もないものだから、靴下、スリッパは必須で、さらにスリッパも結構摩擦がないと、うまく歩けない

  という情けない状況にある。

  ここまでガタが来たということだが、お日様のありがたみを感じつつ、傷ついたフローリングを眺めて

  結局出るのは、ため息であり、また新しく出来た傷、汚れを発見する。

  ありがたきもののようで、でももう昔のことは忘れるしかない。

 
  今日の日の出、これも今ひとつ。



  その一。やはり雲が山を隠しているようだ。雲の上からお日様。



 

  その二。輝きの空間。




  その三。この画像を調節していたとき、部屋の中が明るくなりすぎて、微妙な明るさがわからなく
  なった。




  その四。




  その五。




  その六。上の雲は、さほど厚くなく、青い色もあってきれいなのだが、画像ではうまく出ていない。




  その七。




  その八。これも雲の色に濁りが出ている。



  きのうの北風と青空の様子は、



  その十。こんな感じ。


  どうも毎度の整理されない、自分の頭の中でモヤモヤしていることを書いた。

  これだけはどうにもならない。

  他にあまり、興を感じることも今はないなー。



 

曇天には曇天の寒さ、雪は不思議と降らない。もしかしてこのまま降らない?。

2015-01-24 07:07:28 | 散策
  土曜日が来た。


  土曜日は、昔といってもいつとはいえないが、なんとなく浮き浮きした。

  短い時間だが勤めていたときもあって、土曜は出るときもあったが、

  帰りの電車はがらがらで、座ることも出来て、

  天気がよければ筑波山を見た、というか見えた。

  
  そうゆうものもやがてなくなる。


  それでも土曜日はごく普通に思えていたが、介護の時間になると

  それも私のほうが疲労困憊するようになると、

  最も嫌な時間になった。一週間たてばこの日は必ず来るが、

  ときを重ねて、この日のことを考えると、憂鬱度が増したが、

  これは母が帰らぬ人になって、しばらくの間は、その憂鬱度がなくなった。

  
  だけど以降、言い方も言い方だが、毎日が憂鬱という字で満たされる。

  憂鬱と漢字で書いたこともあったが、今はそうゆうことも出来ないし、

  この字を漢字で書こうという気にもならない。

  

  宅配の方が来られるのは、昔むかしはなんともないこともないが、その緊張度は小さかった。

  これにどきどき感があって楽しいという人は、実にうらやましい。

  間違いなければいつかは必ず手元に来るという、そうゆう安心感もある。

  誰か他に頼れる人もいればなおさら、不安感はない。


  でも今の私の、身体の調子でいうと、ときに緊張度が上がる。

  意味のないことで、出来ることはみなしてあって、待つだけだが、

  この時間がやたら長く感じられる。


  しかし変化もある。私の時間感覚が微妙に変わっているのかも知れない。

  でもこんなことも、今は考えないほうがいい。

 
  外は曇天。

  結局晴れ間はない。

  雪が最後に降ったのは、一週間前かな。

  結構積もったときがあったが、これが続くと思ってもみたのだが、さてどうか。


  しかし緑に異変で、咲く花もたまに外を見ているが、なかなか見つからない。




  斑入り。




  葉の緑は鮮やか。




  痩せすぎ。折れるんじゃないか心配だ。




  オオイヌノフグリの花はまだ。


  気温、気象台で1℃台。

  晴れるならこれでいいが、・・・。



  
 
  

茹で上がった真っ赤なカニのような雲を演出、今は北風、肌寒さ。

2015-01-23 13:58:53 | 散策
  TVは、これは仕方なくデジタルに変えて、ただ地上波だけ。ほかは受信出来ず。

  結局、NHK、Eテレ、日テレ系、フジ系列、TBS系となる。テレ朝系はない。チャンネルは5つ。

  似たグループはあって、実質は三つだが、ここが違う、というのはあんまりない。

  TV業界のことはまったく知らないが。


  このTV、デジタル化に合わせて買ったが、もちろん安くなく、でもデジタルの不便で、すぐに画像が

  出ないし、リモコンがないと細かいコントロールも出来ないか、面倒そうで、さらに今年はいよいよ寿命か

  液晶モニタのバックライトがすぐにつかない。

  去年は冬でも、5、6秒で画像は出たはずだが、今年は、遅いと2、3分かかる。パナソニック製。

  別にパナに恨みなしで、パナの製品は他にも。もともとここのいえの照明とかはみなパナの製品。

  結構富山ではパナソニックは浸透している。



  夕方の、6時台のニュースの最後に、富山のリアルタイムだろう景色が写るが、夜だから夜景で

  どこでもそうだが、このライトの多さで、明るさと都会感と、清潔感さえも感じる。で、

  実際に街の中を歩く、ともちろんたぶんゴミは落ちているし、街中の緑は鳥の棲家になっているはず。

  よく、タクシーの運転手に、あそこはひどいよ、と聞くところがある、そこが写っている。いかにも

  上品でなおかつ見ていて嫌味のない美しさをも感じる。野鳥もそれがお気に入りか。


  人間のお化粧に似ているか、似て非なるものか。



  きのう、3日ほど前に見つけた、2日前だったかも知れない、息絶えているヒヨドリの亡骸を

  もう少しわかりにくいところに移動した。気が付かない色だが、ヒヨドリもこれではかわいそうだ。

  気にかけている一匹のネコが、最近姿を見せないので、なんだかこれもイライラの一つだったが、

  別にヒヨドリを移動させたからというわけでもないだろうが、午後に大きな声で鳴いた。

  どこにいっていたと問いかけても、もちろん何にもいわないが、さすがに安心。でも結構目の周りなどは

  痛々しい。


  他のネコの姿もあまり見ない。このネコもオトナになって長く来ないことも過去にあったし、他にも

  もともと母ネコのいるところが近くにあるので、来なくても不思議ではないが、それにしても、今回は

  やはり心配はした。


  TVで、お母さんといっしょにいる赤ん坊の泣き声が聞こえる。最も心配相談はお母さん、お父さんのほうだが。

  赤ちゃんの泣き声も、ときにネコの鳴き声に聞こえる。TVでも盛んに、合成されたかの、あるいは人の物真似か?

  ネコの鳴き声はよくある。他に雑音があっても、この声はよく聞こえる。



  TVはデジタル放送で、これにはもちろん、為政者の狙いというのはある。それはさておき、ラジオはというと

  FMでも、デジタル化はされていないで、普通のアナログ放送だと思う。ラジオの中身のデジタル化はよって

  なにも関係ないが、これも録音ものを聞いていると、わずかにノイズが入っていることがわかった。

  みな調べる気はないし、気にもならないが、最近のデジタルラジオは、デジ録音できるという便利さはあるが

  まー持つところもない小型のものは、ボタンだけ。昔のアナログタイプのラジオは、そうゆうことは

  なかった。頭の向こうに置いていても、放送局を選ぶに、丸い回転式のダイアルを回せばよく、後ろは見ないでも

  よかった。ボリュームもそうで、これも仕方ない気もするが、小さくすると左右で音の大きさが異なったり

  もした。これにカセットテープと、すでにCDも備わっていたが、このアナログタイプのものが壊れて

  新しくかった、CDラジオは、残念ながら、中身がデジタル化されて、みなボタンを押すものに。

  どこに何のボタンがあるか、よくみないと全然わからない。

  
  結局、このデジタルCDラジオは使う時間がわずかで、その後は物置になったが、これも大きさがあるので

  結局、物置き場と貸したところの一角に、隠れた。

  で、今は、小型の、例のソニーの録音できるラジオを使うのだが、録音はありがたいが、やはり使いやすいとは

  いえない。小さいものに詰め込むだけ詰め込むと、あーゆう風になるのだが、ダイヤル式というのは

  もうもどらないのかな。もちろんまだ詰め込みは可能。



  PCにも、スピーカで、これはしかし使い始めてもう15年以上はたつ。電源を入れるだけで、ノイズが。

  さらにボリュームと音質の高低の二つの回転式ボタンがあるが、ヘタすると片方の音が出ない。

  これに先ほどしばし付き合って、何とかならないかやってみたがやはりだめだった。音が出るところには

  しかし試行錯誤で戻ったが、これまた買うことはないと思う。もうものはいらない。


  でもアナログの魅力というか使い勝手は、やっぱりデジタルよりもいい。

  アナとデジ。複雑怪奇である。わかっちゃいないが、適当に考えていることを。



  この画像は火曜日のもので、以前一度部分を出したが、今回は、夕日に照らされる雲。まるで茹でガニ、あるいは

  怒り心頭に発するカニのごとく見えないでもない。自分のようで笑える。




  その一。まだその感じはない。




  その二。位置的に、まだ。




  その三。少しずれた。




  その四。それらしく。




  その五。




  その六。目玉辺り。




  その七。




  その八。




  その九。




  その十。



  なかなか見ることの出来ないもの。

  そこまで出ないといけない。

  この日は風がなくても、結構しびれる寒さ。

  お日様の雄大さも、忘れられない。





  

風向きは変わったが、気温は今のところ高め、日の出の色

2015-01-23 07:06:11 | 散策
  雨は風もなく、穏やかに降っていたが、

  夜になって風が出てきた。

  いよいよまた雪が降ると思う。でもまだ風は強いし、すぐに大雪はない。


  夜である。風邪の症状はなくなっているが、「目」の嫌ーな感じは、

  あーまたかの、眩暈の前兆で、それを恐れると同時に、ひどくならない対策。


  でも目を使わないと何にも出来ないしなー。

  耳の中にある平衡感覚をつかさどる器官の異常だろうか。

  でもわからないことを考えるより、ひどくならないという経験を

  実行するしかない。


  しかし、概して思うようにゆかない。

  それよりも身体が弱っているので、コードに足を引っ掛けて、こけはしなかったが

  コードとコンセントとプラグには負担をかけた。

  最もやりたくないことの一つ。



  きのうどうにか、気にしていた足の爪を切った。

  爪という漢字がなかなか思い浮かばない。

  このせいか、何か気になっていることに気を使いすぎた。

  歯に何か魚の細い骨が挟まったようで、これがなかなか取れないとか。


  気分がささくれ立ってくる。

  こうゆうことって続くものだな。


  夜はきのうは南風で、今日になって方向が変わって、北風。

  今のところ、どっちだというと、さほど寒いとは思えない気温。

 
  一昨日の日の出。














  緊張することも結構あるが、同じようで違う焦燥というのも、このところ強い。

  気持ちが和むことが少ない。

  これも自滅かな。

  火に油、あるいは油に火。



1月21日、おひつじ座にあるラブジョイ彗星(C/2014 Q2)は、暗くなり始めている

2015-01-22 13:50:27 | 星空・天体・宇宙
  お天気、小雨かあるいは本降りの雨。


  もっと冷える内陸、盆地などのところだと、この雨は早春か、春の象徴にもなりそうだが、

  ほどほどに寒い、あるときは極端に寒いこの富山の地で、暖かさが感じられる日は

  まだ遠い。

  2月がある、3月がある。もちろんまだ1月もたっぷりと残っているようで、

  それほどでもないかも知れない。

  1日1日大切にと思うが、いろいろ乗り越えないといけない壁はやたら多く、それだけでくたびれてしまう。



  みな同じ環境にあるというのはもっともな話で、肝に銘じているが、どうしても甘える何かは

  あるよなー。最も、誰かにそれをということはなく、自分自身、ほどほどに手抜きをする。

  そうは厳しくはなれない。ここがね、分かれ道か。



  きのうの午後はあまり外も見ていなかったが、夕方になり、宵になって、曇り空でそのうちに雨、

  これが固定観念としてあった。

  それでじっと我慢の子で、そう早く布団にもぐることも出来ない。

  これが最大の問題だが、どうもこれを元に戻すことは出来そうにない。

  
  それで、まさかというのが、このお天気だが、午後8時過ぎだったか、窓を開けてみると

  さほど寒くなく、しかも星が見える。雲もあるが。

  可能性はあるということで、そうゆう毎日は多いが、カメラをセット。

  ためし撮りもした。でも、きのうも、今日でいうと一昨日だがそうだったし・・・。



  それでである。雨のはずが、午後10時を回ったころ、10時10分ころか、再び窓を開けて

  西の空を見ると、すぐにわからなかったが、やはり晴れている。

  このときもまずはためし撮りで、広角側で、どの程度の空か見ることに。


  この画像をカメラのモニタで見たとき、瞬間わからなかったが、青緑、青緑色が、あったように

  思えた。

  たしかめるように、モニタを再度眺めると、どうもその青緑色の明るい輝きは、考えられるものは

  ラブジョイ彗星(C/2014 Q2 (Lovejoy))しかない。


  正確に思い出せないが、4、5日前にも雲間に、地平座標でいうと、プレアデスの下側に

  ラブジョイ彗星だろうと思われるものを撮っていて、でも固定撮影でもあって、雲がほとんど。


  この感想はここにはいらないが、間違いないなと思い、3回だけだが、シャッタを押した。

  セルフタイマーを使い、2枚で1セット。1枚だと「ぶれ」の可能性。

  まだこの位置で見えるにしては高度は高く、窓枠の下である。もう少しがんばるという気が

  なかったのは、あまりに突然という気持ちもあったのだろうか。


  今日になって調べてみると、おひつじ座にある。位置予報は、いつものように、AstroArtsさんの

  ものを参考にさせていただいた。ほとんどずれもなく、また色も尾らしきものもあるので

  間違いないともう。


  いつもの通り、キヤノンの、G1 Xを使っている。ポラリエで、1分間、恒星時追尾。

  G1 Xは1分以上の露光は出来ない。


  午後8時台の、北西の星空、ここには、ケフェウス、とかげ、アンドロメダの星々が写っている。



  その一。雲も多いが星も見えている。こうゆうものも嫌いではない。


  で、ラブジョイ彗星(C/2014 Q2)。時間は、午後10時10分過ぎから25分まで。



  その二。1月13日は、東の窓だったが、これは西側。一番上の、青緑色の星が、彗星。
  瞬間にはわからないところ。みなRAW画像を現像、これは明るくしすぎた。
  
  画面中央少し右側に、おひつじ座の明るい星。画面中央上右端に、さんかく座の、三角形。




  その三。いつものように、その一の彗星の辺りを拡大。尾のようなものはわからない。




  その四。焦点距離を長めに。




  その五。その四の、彗星像の拡大、これが一番きれいかも。1月13日と比べて、やはり明るさは落ちて
  尾も、あるかもなーというところ。




  その六。さらに焦点距離を伸ばして。で、勘も鈍ったようで、位置がずれた。




  その七。その六の彗星像の拡大。

 

  すべての画像で、周りにある恒星との位置関係がわかるように、広めにトリミングしている。

  ただ、彗星像は、G1 Xでは、これ以上は鮮明にはならないと思う。恒星も同じで、ただこのカメラのいい

  ところは、インディケータを無限遠に合わせておけば、微調整なしで、この程度の画像は撮れるということ。


  暗くて寒いところでは、目もよくない人にとって、ピントを出すのは困難で、

  これ以上となると、一眼。やっぱりむつかしい、というのが結論。


  この彗星の移動を見ていると、この先機会があるとして、時間的にはもっと早くても可能か。

  M31などは、この時間で、もう地平に近い位置になる。ただこれはちょっと見ただけで正確では

  ないが。




降る雨は冬の雨で、冷たく暗いが、わずかに明るさ

2015-01-22 07:05:35 | 散策
  きのうも、結局あまりいいお天気にならなかった。


  それよりも、大体お正月以降に限っても、いい天気だったという記憶は少ない。

  いつもシトシトと、さほど強くなくても雨が降っている。

  きのうも郵便局に向かっていて、薄日の天気だったが、顔に冷たいものが何度か

  当たった。もちろんと書いたほうがいいと思うが、ただ何か原因があるのか

  実際に当たってなくても、刺激を感じることはあるが。


  夢の中でもチャイムのように。


  ただ思い返すと、どうも暗い・寒い・雪が降る、身動きとれなくなる、そうゆうことばかり記憶に

  残っている。こうゆうものが記憶に残りやすく、あっさりと晴れ上がった、そうゆうお天気が

  何度もあることは、なぜか記憶から消える。


  生命の誕生よりも、死ばかり記憶に残るようになる。

  ただ生命の誕生は、多くの場合自分の人生に深く関係せず、死は、自分に訪れる場合を除いて

  ずいぶんと近くに、いつどこにでもある。


  これは事実。

  高齢化社会の最先端を行く列島の国で、その経験は今回が初めてかどうかわからないが、

  今生きている人にとっても、初めてかも。


  昭和の初めからの長い長い戦争で、一体にどのくらいの若い男性が死んだか、

  あるいは非戦闘員が亡くなったか、これも考えたことはないが、人生、50年といわれた時代で

  これは、なかなか参考にならない。


  移民は昔のもののようで、どうだろうか。

  逆に外国からの人々を受け入れないといけない状況にもある。

  様々な考え、宗教、死生感、価値観がある。

  多くの場合、簡単に理解できない。


  Eテレで、元気でお茶目な外国人が、アドリブもきかせて、おじさんギャグも交えて

  日本語の、ココガ、わっかりっまっせん、といわれるが、

  あのくらいのことが出来るまでに、どれくらい苦労したかな。


  冬の雨の延長線。この画像は1月17日のもので、同じようなものを違うカメラで

  一回出しているが、こっちのほうが雪の激しさはあるような。
















  1月も22日になってしまった。

  今月の使用電気量は、先月よりやはり、110kWh以上多かった。