光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

久しぶりに、街中を歩く

2008-08-27 18:42:37 | 散策
  ケイトウ(鶏頭)の赤い花、それと黄色いものも、それぞれに小さく咲いている。それを横目で見ながら、まだ大きさが少し足らないかと、もう少し先がこのケイトウを見る、最初の時期だ、そのときに秋風のある晴れであれば、いうことなしだが、はたしてどうなるか。そんなことも思う時間もある。

  予想より遅く着いて、それで、診察のための番号が記録された紙が出てくるのを待つ。これで、紙がありませんということも過去にあったし、機械がおかしくなったりして、それでもどっこいしょ。この機械、一日に何回、この紙を出すのだろう。特に、新しくなった感じもしない。でも、今日はうまくいった。それで、番号は、4桁で、最初の2桁が有効である。待合室からの眺めが少し変わった。夏の間に、窓が拭かれたようで窓越しからの風景もなかなかいい。窓が開けばもっといいが、そこまではなかなかいかない。
  いつも、お医者さんと話しをしていて、なんだかうまく話せない、こうゆうことを言いたかったのだが、そうはいかなく、結局処方を待っているときにそのことを反芻する。いかに、相手の方と話しをするか、これくらいむつかしいものはない。いつも、そう思って、それでそこを退く。

  次に薬局があって、ここにはまだ他のお客さんはおらず、静かといえば静かで、まだ朝の段取りの最中のようでもある。薬剤師の方もいろいろで、いかがですかなど聞かれると、このときも、少しドッキリする。何を話していいのやら、いろいろ話しはあるにはあるが、自分のこと以外のことが大変であったりするから、こうゆうときは、特にないですで済ませる。今日はこの言葉は必要なかった。あっさりとそこをまた退いて、それからである。

  歩く気でいたが頭痛が少しあって、しかし今日のサイコロは前へと出た。歩きなさい、ということになった。ちょうど同じ方向にゆくバスが横を動いて、しかし先に横断歩道を渡ったのは自分、でも次の交差点で、そのバスは前を横切っていった。その歩道を渡ると、ちょうど低めの太陽とそれからさほど大きくはない街路樹がうまく重なって、影を作ってくれて、さらに風もあった。街には、街の風が吹く。意識するなというのが無理だが、体調は?とさらに自分に聞く。すると、しばらく歩くと、頭痛も消えてゆくことがわかった。これなら、大丈夫だ。そう決めることにする。歩行速度もこのときは少しゆるめにした。遠くに人影、まー他の方も歩いている。

  中心から北に向かう、その道にようやく出た。この交差点の前に大きなビルがあって、これは遠くからでも見ることが出来る。その道に出てしまうと、東側の方に、建物やら、その周りの木々によって恒常的に出来る、影に入ることが出来る。これで、安心という状態になる。すると気になるもので、持っているものを取り出して、珍しく路面電車も撮ってみた。でも、散歩カメラをやらなくなるとこの感覚もおかしくなる。
  この辺りは、ほぼコンクリートの世界で大きくなっている街路樹の植えてある、地面が裸になって出ている部分は小さい。道路には雨水、その他それを除くための側溝があるはずだが、ここで、例えば1時間に、20mmとか30mmという雨が降ると大変なことになるのは、もう自明もいいところである。あれだけの雨が、一気に浸透性のないコンクリートをたたくと、道路は川になる。
  今日は、歩道の掃除をしていたようで、さほど気にして見ていなかった、そこに残っているゴミ、小さなコンクリートにへばりついているようなものは、雨の後の乾いた小さな塵やゴミのようで、これをこれからどうするのか、それにしてもコンクリートの世界というものも、いろいろ大変なことが多そうだ。


  どこからか、何かを探してきて。




  田園風景。ちょっと色の濃いそうゆう植物もあることに少しニンマリしてしまう。もう少しで、稲刈り。





  用水の水面の反射光。太目の用水の一部は、もうかなり前から水は流れていない。この小さめのものも、一旦水がなくなって、それからまた少し流れていた。
  この反射光もいろいろな形を作ってくれる。




  上のものもそうだが、下に少しだけ雑草の姿の入れた。何が見えるかな。
  この先は、もう少し大きな小川のような用水で、水辺の様子を見たいものである。  

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