光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

冬の晴れ間の出来事

2009-01-08 18:57:35 | 散策
  寒い朝だったが、これも寒いところに住んでいると、どうしようもないことで、諦めるしかない。幸い住むところはあった。ニュースを見ていると、恵まれていることがわかる。これを見ないと、何とも思わず、この寒空の晴天をどう思うだろうか。TVを見る、情報の一部が入ってくる。これで、人の考えに変化が生じるから、不思議といえば不思議。電脳効果。新聞も、パラパラとしか見ないが、まず、いいことは思い浮かばない。

  0℃の世界も、まー一分くらいなら我慢していられて、もちろんその前はほどほどに暖かい。それで、0℃の世界に移動すると、これがすぐには寒くは感じない。次第に、しかし冷えるのがわかる。熱というのは、暖かいところからより暖かいところへは、移動はしない。そうゆう例は、ないということになっている、また。より寒いところ、にゆくと、その物の温度も下がる。寒いところにいったから、暖かくなる、というのは、物質の世界では、というか、今の世界ではあり得ないことになっている。
  人はもともと体温を持っているから、また、感覚的に、体温を感じるから、寒いところに行って、暖かく思うというのは、ありそうである。寒修行。これも正確に書くと、ものすごく寒いと感じた後に、ホカホカする。絶対零度という恐ろしい世界もある。ここではどうなるか、これよりも、冷たい世界はないらしい。

  それで寒かったが、まー暇な時間はある。きのうの洗濯物がそのまま干してあったりもする。その他、なにげに日の当たらない、寒そうなところというのはあって、信じられなくもない。最初は信じられなかったが、やはりというか、氷が張っていた。氷点下か、どうか、そこの気温はわからないが、凍っていたのは事実だ。これはこの冬、去年もこうゆうことはあった。ことしもあったかも知れず、
  しかし、水の溜まる容器のあるその場所をまじまじと見たのは、ことしはきょうが初めて。それで、まるい入れ物が二つだが、一つはボイラの温水の影響で、一部溶けている。もう一つはというと、こんなものは要らないというバケツだが、置いてある。ずいぶん昔からあって、ご先祖様の時代のものかも知れない。取れた、取っ手を後生大事にまだそこに漬けてある。

  こちらのほうの水も凍っていた。それをまじまじと見る。と、あるところに、まず一本の線があって、さらに、その一本の線から、左右に、木々の枝が、ほぼ対称に伸びてゆくように、氷の線が、等しい間隔をおいてまた伸びているのである。これを見て、小さい雪の結晶の一部が、例えばそれが六角形だとして、さらに線状に成長してゆくものだとすると、その一つの方向に延びてゆく、雪の結晶の細部が、そのバケツの氷の表面に現われているのとそっくりなので、これには、少々びっくりし、驚きもし、またまじまじと見るが、淡いというとそのようで、これは目で見るしかなかった。
  木々の枝の伸びる様子というのは、フラクタル構造とか言われていたことがある。今もそれはあるが、大きいものだと、大河の全体の、かなり上空から眺めた支流の発生する辺りのものも、これに近い。これも、最近は、まったくといっていいほど聴かない言葉になってしまった。いらぬことを書いたが、
  バケツの、直径は20cmくらいだが、その表面に、雪の結晶の構造の一部というのが再現されるものを見たのは、恐らくは初めてではないか。この再現は恐らくむつかしいだろう。もう一度というのもなかなか、なさそう。
 
  バケツで話しがだいぶ飛んでいった。今日は晴れで、しかしこの晴れ間も長くはない。歩けるときに歩いて、頭の中の雑念を消す。これは大切だが、またもとに戻る。戻らないといけない。これに、終わりはないようで、また、また完璧なものというものに出会う気もしない。人の頭の中は、ほとんど「おかしい」といっていいのではないか、自分ではそう思っているし、また自分の頭は、明らかにおかしい。自分はそう思っている。でも、気が抜けないのは事実。

  雪の山々がきれいである。あるところまで、まずは歩くことにした。もう何度も行っているし、時間もかからない。小さい世界で出来ている。そうして、
  もう大きな鉄塔もなく、太い電線も目に入らないところ、で、冬景色の山々を見る。新雪がありそうで、また、視界が少しだけいいようだが、もう少しよくてもいいような、そんな気にもさせる。角度でいうと、どのくらいになるのだろうか。45度よりは広く、90度はというと、高峰の山々は、それよりも狭い範囲に限られる。反対の海のほうとか、低い山とか平地のほうが広い。今日は能登半島も、かなり色濃い、それは暗めのブルーである、様子で見えていた。海までゆくと、かなりの先まで見えていたのではないか。
  山の辺りに、なにかないか、探して見るが、残念ながら、鳥はいたが、それ以外に何もない。

  
  雑草の世界、あまり気にしない。でも色々ありそう。ときにこれはなんだというのがる。小さいものはよっぽど目がよくないと、見過ごしてしまう。




  よくある、木の、まだ背の小さいもの。赤いところがホウレンソウに似ている。なんでホウレンソウか、これは今結構食べているから。




  順番を間違えた。これが、なんだかという雑草で、見かけないもの。




  枯れた、アジサイの葉が、日に当たって、妙な色に輝いている。




  「熱帯か」、という言葉が思い浮かぶ。ただ、植物の葉が濡れていて、それで、蒸れているようだから、熱帯植物園の感じもある。




  これも、日が当たって、暑そうな、熱帯のジャングルを思い出させてくれる。そのようにも見えるようだ。雪が雨に、それから朝日が出た、そうゆうところのものだけど。

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