光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

今年も残りが少ないかなー。

2009-12-11 18:51:20 | 散策
  今年も残り少なくなりましたが、みな様いかがお過ごしでしょうかなど、TVなどで、
またラジオで聞くと、なんだかゾッとする。このところ、年がどうのこうの、というのも
ないし、何時くらいから、年末がどうのXmasがどうの、といわなくなったか、これは遠い
ようだ。遠い昔に年末年始もなくなって、Xmasも関係がなさすぎて、お正月はどうしたら
いいか、迷うくらいの時期に入ってしまった。一体、なぜこんなことになるのか、不思議に
思うが、人も大体30歳くらいになると、夏休みがどうの、それから誕生日がどうのというの
は、なくなるようだ。それに、もう幾つ寝るとお正月というのも、鬱陶しくなる。

  お正月だから、お年玉というのは、まだその子供がかわいいとなんとなくだが、あげ
たくもなり、優越感に浸れるというひそかな楽しみもあるが、その期間というのも結構に
短いものだ。昔は、
  時代がかる感覚だが、紅白歌合戦というのも楽しみだったが、これを見なくなって
久しい。さっさと眠ってしまう。初詣も、もともと出不精な家系でもあったのかいやいや
というか、重い腰をあげて、伊勢神宮など行った。これもなんだかわけのわからないもので
あっで、たまたまその近くに住んでいたということだけが理由のようだ。
 
  Xmasというと、もう世界各国でこの厳粛な行事の、準備というのが繰り広げられてい
る、と言うしかない。TVを見ると一見だが幸せをそこに見出す人のコメントが、なんだか
わからないが、話される。ネイティブなスピーカだと何を言っているかわかるのだろうが、
それが外国語であるという場合、なんだか嬉しそうでそわそわしている、としか思えない。
  電飾ねー、緯度の高い位置。そういえば、サンタさんのいる国、というのも今は夜が
長い。また高緯度というと、これこそヨーロッパの国々というのを思い出させるが、
その寒さや、日の短さというのに、比較的低緯度である、列島の国の今に住んでいると、冬の
物悲しさはさほど感じない。それより、お祭りの好きなと言わざる得ない、そうゆう感じも
行き渡っている認識が、昔からあって、昔はもっと景気もよかったときがあったから、
なんだかXmasというと、逆にあまりにオーバーな出来事とされるようで、それこそXmasを
厳粛に楽しみにしている、人々にとっては、どうなっているの、という気持が強かったので
はないか。

  時代の変遷がいつごろあったのか、それはわからないが、戦後もかなりして生まれた
人間にとって、しかしXmasプレゼントというのは、あったようだ。それでも、その時代の
ことを思い返すと、親のいない子供さんという人と同じ学校で遊んだりした。それを考える
と、ずいぶんと幸せな時代を送れたというものがあって、その時代が貧しいとかではなく、
もうそうゆう時代にも戻ることもない、今があってそれこそ涙ぐむ時間があってよさそうだ。
もっともすべての人が、その時代は今よりは若く、元気で、しかし不幸というのもあった。
時代が時代だけに、それも忘れ去られる。

  結局というと、何かがあるというものに楽しみを求めるという考えが、何となくだが感激
出来ない。迎合も出来ない気でいる。何がどうなるのか、結果としては、時代も混迷と
いうものから抜け出していなく、逆の方向へと進んでいる。そのように思える。で、まったく
の希望のない時間だけが残されるか、というと、これはそうでもない。如何様に生きるか、
その詮索だけは出来るような感じがある。
  念頭も、年末もなく、思うことも、過去を振り返って、というのも今はない。そうゆう
ことというのが、いつに始まってというのがあるのかないのか。Xmasというと年内でおしまい
で、新しい年は普通に始まる、とか、これもTVで聞くことだけど、それ以外の何か、と
いうと、旧正月とかがある。

  最近のお正月の思い出、というと元旦からの、救急車ということになるが、まさか
そうゆうものが待っているとは考えたくない。でも、元旦の救急病院というのは一回くらい
経験するのもいいかも知れない。もっとも、ことしは新型インフルエンザの脅威で、きっと
お正月の病院も混雑するだろう。これは大変。
  それに比べて、私が経験したお正月の病院というと、やっぱり風邪で体調を崩してと
いう人が多かったようだ。


  新しい、きのうの画像に今日は入れ替わっている。大体天気のいい日に
  というのは、当然かも知れないが、やはり思い出すように見る。きのうの、
  その画像を見て、今日の天気の悪さが忌々しく思える。



  青空で、




  こんなに空が青かった、という記録である。こんなにいい天気だったかなー。




  紫の太陽光が差し込んできた。




  ほぼ枯れている、木自身が、と思える木の枝は、年々少なくなる。




  冬の小菊の色。同じ色を秋にも見て、今もこの色の花が咲く。




  菊の花の数もぐっと減ってしまった。





  遠く山を仰ぐ。白いガードレールが、なければと思うがこれも、しょうがないか。




  田んぼの緑。これは麦畑ではない。緑と、青い空と白い雪山。




  紫の花。えーなんだろうね。もも色もある。




  セキチクの花かも知れない。秋と比べて、花の数が減ってゆく。枯れ木と
  緑というと、麦畑。ここに来週雪が積もるか。

枯れアジサイの、一丁目

2009-12-11 16:10:52 | 植物・花(冬)
  雨で、シトシトと降り続いて、ときに強いが
  風は弱め。長く外にいると冷え込んでくるが、
  外の気温は、11℃くらい。
  冬の雨としては、暖かい方ではある。
 
  雨ねー、まったく今頃の雨はいやだ。
  昼でも薄暗い。それは言いすぎだが、
  今はもう明かりをつけないと暗い。
  電気ヒータを使い、電球をつけている。
  昔ながらの電球。


  外にあるもので、枯れるものの代表はアジサイ。
  アジサイが枯れるかどうか、実際は怪しい。
  アジサイの、枝の一部でも、土に埋めると、そこから芽が出る。
  雪に埋まるアジサイもよみがえる。
  花はしかし、枯れると言えるのではないか。





  普通のアジサイは、花の時期が終わると、ゆっくりと色が赤く
  なるようで、その間もずいぶんとその様子を撮った。
  今はほぼ枯れ草色。




  いいお天気だと、見ていて悪くはないが、今日のような雨では
  道を真っ直ぐ見るのが、優先される。



  
  赤い色、というのがついさきほどまで残っていた、感じが窺える。




  落葉する、木。ヤブデマリに似ていた。




  シランの葉の枯れ方。シランだと思う。




  肉厚な葉のイメージがあるが、枯れてゆく。




  朝の光、の暗さ。


耳を澄ませば、雨の音

2009-12-11 06:43:24 | 散策


  ピラカンサの実。なぜかやわらかそうに見える。


  朝のお天気は雨。陽性の雨で、激しい。1時間に何mmという値の雨で、でも土砂降りではない。雨のせいか、多少は暖かいが、それ以外にいいことはないようで、この雨の中外に出るのは勇気がいる。だんだんとアクティビティがなくなるようで、充電池で動く髭剃りのようだ。
  アメダスの、6時の気温、8.6℃。これは高い。気圧は1018.6hPa、湿度は97%。室温は11.2℃、今はもっとある。

  眠っていて、雨の音はなかった。天気予報もほどほどに、例えばTVで、ラジオで、それからPCで、見て聞いているつもりだが、雨が降るという意識はない。雨の音がする、もう朝に近いが、雨。嫌だなー、だんだんと睡眠も浅くなる時間で、ついに起きる時間となるが、どう耳を澄ませても聞こえるのは雨の音。

  天気予報で、来週は雪が舞うかも知れない。というような記憶はある。雪か、どっちにしろ雪は降る。暖冬でも雪の降らないときはない。ならさっさと降ればいい。という考えだが、先ほど10分くらい前に、気象庁のホームページで、週間天気予報というのを見ると、なんと来週火曜日くらいから、ずっと雪だるまが並んでいる。それくらいなら、さほど驚かないが、なんと最低気温の値もびっくりマークの、マイナス、横棒一本が追加された。
  この予報、新しくなるにつれて、雪マークが増え、最低気温もより下がって、氷点下になってしまった。この先多少は時間がある。それで天気予報は多少は修正されるようだが、寒くなる。雪が降って、氷点下の気温になるというのは、変わらなそうである。いよいよ雪、本物の雪が降る。

  朝のNHK TVで、お天気情報をやっているが、各地の映像というのも出て、列島の国の広さを知るが、もう雪の降る、そうゆう絵を見ると、晴れているこの辺りはまだまだ暖かいというのがよくわかる。さらに、東日本の地域が明るくても、西にゆくにしたがって、まだ暗いというのもわかる。地球は、これを見ると丸いのかもと思うときでもある。