凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

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僕の旅 香川県

2007年03月17日 | 都道府県見て歩き
 香川県への旅行についてちょっと思い出話。

 僕は今から18年前(あれ、19年か? 昭和最後の年)、大学卒業の季節をそろそろ迎えようとしていた。12月に卒論を提出し、その春には就職で住んでいた京都を離れることが決定していた。まだ単位を全て取得したわけではなかったが、その時点ではもう安全圏にいた。
 その最後の自由時間くらい地元で過ごせばいいものを、旅行好きだった僕は、北海道旅行に費やそうとしていた。後期試験が全て終了すれば旅に出よう。そんなふうに思い描いていた。
 なんとなしに母親は寂しそうな顔をしている。別に外国に行くわけじゃなし日本に居る限り遠く離れるわけじゃないさ、と僕などは考えていたのだが、家を出て行く人間が居る、というだけで感慨があるらしい(兄が居るのだが彼はそのまま京都で就職した)。
 その時に僕は手元に青春18切符を持っていた。これは、年末に東北旅行をした際に出来心で購入したものだ。寒風吹きすさぶ中竜飛岬に行き、そこで北海道の姿を見たときに矢も立てもたまらなくなって三厩駅で18切符を手に入れてしまい、青森市に戻って夜行便の青函連絡船に乗った。大沼公園まで行って真っ白な駒ケ岳を見て引き返した。それで一枚使った。
 当時18切符は5枚つづりで切り離せた(今は切り離せない仕様になっている)。なので友人に二枚売った。残り二枚が手元に残っている。
 母親に僕は言った。「どこか日帰りで出かける?」
 母親は嬉しそうに「行く行く」と言った。考えてみれば母親と日帰りでも二人だけで一緒に旅行なんて初めてのことだ。僕はその夜から時刻表を眺め、二日後に香川のこんぴらさんまで行く計画を立てた。
 今は瀬戸大橋があって鉄道でも安直に四国へ行けるが、当時は宇高連絡船に乗り継がなくてはならなかった。ただ時間はかかるがこの一時間の船旅が18切符でも乗れるというのがいいところで、これを柱に行程を練った。

 さて当日。まだまだ夜明けには早い時間に家を出た。母親はなんだかウキウキしてかばんにお菓子やみかんなどを詰め込んでいる。一日中鈍行列車に乗り詰めの旅であるからして体力的に大丈夫なのかなと当時の僕は危惧していたが、よく考えるとこの頃母親はまだ50歳も前半だったのだ。今自分がその年齢に近づいていることを思うとさほど心配するほどのことはなかった。
 早暁京都を発した列車は、神戸にさしかかるところでちょうど夜明けを迎えた。これは偶然ではない。日の出の時間を調べて列車を決めたのだ。山陽本線は尾道くらいまではずっと内陸を走るのだが、その中で唯一、須磨あたりで海岸線に沿う。この海辺が見えるほんのひとときの時間に日の出を合わせようと時刻表を練り画策したのだった。当日はよく晴れていて海が赤く染まる。そしてゆっくりと太陽が顔をのぞかせる。ふふふ、計算どおりだ。母親は喜んでいる。細かい親孝行である。
 岡山で乗り換え宇野へ。そして連絡船である。この連絡船も3ヶ月後には廃止が決まっていた。一時間の船旅を名残惜しむように過ごした。そして香川上陸。僕は自転車旅行で一度四国には訪れているが母親は初めての四国。そのまま電車を乗り継ぎ琴平まで。
 金毘羅宮はよく知られるように長い石段である。しかし母親は元気でスイスイと昇っていく。当時は若かったのだなあ。ヒザを悪くした今では無理だろう。今後の健康と僕の単身生活の無事を祈願して駅に戻る。
 もはや帰らなくてはならない。日帰り鈍行で京都から行けるギリギリの場所だったのだから。再び高松に戻り連絡船へ。
 夕刻で海はまた夕陽に染まっている。これも計算どおりのことであって、船上で夕焼けが観られる算段にしたのだ。大小の島々が浮かぶ瀬戸内海。そしてもうほぼ完成した瀬戸大橋を見上げつつ船は進む。夕映えで染まったその風景を見つつうどんを食べる。天気に助けられてこの日帰り旅行は完璧になった。
 今でも母親はあのときの話をする。親孝行だったのか、それとも引きずり回して苦行を強いてしまったのかはそのときはよくわからなかったのだが、思い出に残っているのだから行ってよかったのだろう。

 さて、香川県というところは、日本で最も面積の小さな県である。本来大阪府が最も狭かったのだが、海岸埋め立てによって香川を抜いてしまった。なので観光であるとすぐに回り切ってしまう。前述のこんぴらさんの他に、小豆島、栗林公園、屋島、銭形の琴弾公園、丸亀城、善通寺、満濃池…さほど思いつかない。しかし僕は、旅行で最も訪れた回数が多いのはおそらく香川県なのである。
 何故にそんなに香川に行くのか。それはもう書くまでもない。うどんである。
 うどん!うどん!うどん! ああさぬきうどんは史上最強である。
 今はもちろん空前のさぬきうどんブームであり、僕が書くことなどもうないのだが、美味いので少しだけ書くことにする。
 僕もいわゆるブームに乗ったくちではあるのだが、最初にうどんを食べる目的だけで讃岐に上陸したのはもう8年くらい前である。それまで地方都市に居て讃岐のことなど彼岸のように思っていたのだが、あるとき書店で「恐るべきさぬきうどん」という本を発見した。この本は香川県のタウン情報誌で連載されていた県内うどん食べ歩き情報が本としてまとめられ発行されたものだったが、まずその本のタイトルに惹かれ読んでみて驚いた。「さぬきうどんは凄すぎる!」
 通常観光客が訪れるうどん屋ではない、地元限定のうどん屋探訪記が抱腹絶倒の筆致で書かれ、僕は完全に魅せられてしまった。セルフ方式のうどん屋、製麺所の片隅で箸とどんぶりと醤油だけ置かれて勝手に食べろと開放しているうどん屋、看板のないうどん屋、山奥でひっそりとやっているうどん屋…。どれもこれも美味そうである。ああ食べてみたい!しかしそれらのうどん屋はたいてい休日は営業してはおらず、土曜も午前中勝負のところばかり。えっちらおっちら地方から行くことは叶わないのか、と歯噛みした。そして憧れだけで終わるところだったが…。
 僕は僥倖にも関西に転勤となり、香川県を射程距離におけることになった。よーし行くぞー。金曜の夜に高速に乗りその日のうちに香川上陸。早朝営業のうどん屋の前で車中泊をして(汗)、打ち立てのうどんを即座に一杯。そして次の店へ。また次の店へ…という強行軍を何度も繰り返すことになった。食べても食べても美味くてたまらない。そうして、高速代と橋代でかなりの金額を使いながら一杯100円か200円のうどん屋を1日7~8軒ハシゴするというアホなことを週末に続けた。
 今はさぬきうどんのガイドブックもたくさん出ていて情報には事欠かないのだが、当時はその「恐るべきさぬきうどん」というコラム集だけが頼りであり、しっかりした地図がのっているわけではないので、住所と本に載る不親切な地図だけを頼りに探訪を繰り返した。住所ではここだと示されているのだがどう見ても普通の民家、迷って道を聞こうと扉を開けたらそこがうどん屋だったり、それでもわからずぐるぐると同じ場所を走り回って諦めかけたときに見つけたり、苦労を結構したが、それに見合う感動があるわけで、夢中になって食べ歩きをしているうちに訪れた軒数は100軒を超えた。美味いところには繰り返し行くので、もう延べ軒数は自分でも掌握できなくなっている。
 そうしているうちに本格的さぬきうどんブームが到来して、有名になったうどん屋には大行列が出来るようになった。「釜玉」で有名な「山越」には長蛇の列が出来、自分で葱を畑から収穫してうどんの薬味とする「なかむら」には大きな駐車場が出来たと聞く。映画にもなった。もう全国区どころの騒ぎではない。

 そうした中で、僕も一渡り食べ歩いた経験があるので、よく人に聞かれるようになった。「どこのうどん屋がお薦め?」
 これほど難しい質問はない。さぬきうどんの真髄は「製麺所」にあり、そこで作っているうどんを即座に食べる(それも非常に廉価で)ことにあるのだと思うが、それにはタイミングが必要であるということがわかっているからである。
 うどんは生き物である。打って茹でて冷水でキュッと締めたその瞬間がうどんの醍醐味であり至上のものであるからして、そのグッドタイミングの瞬間を狙い撃ち出来ればそれが最上である。ただ、そういう一杯150円程度で供されるうどんは、客の顔を見て茹でたりしてはもちろんしてはくれない。ベルトコンベアーに乗っているようなものだから、並んでいる僕までが20分前にあがったうどんで、次の人からあがりたてという可能性もある。この20分で味が決定的に違うことがある。
 僕が今まで食べた中で最高に美味かったのは、善通寺市にある某製麺所のうどんだったのだが、それはまさに「生まれたて」のうどんだった。麺はツヤツヤと光り輝きエッジが立ち、香りも歯ごたえも最高で、ああ生きていてよかったと思える至福のうどんだったが、その経験から即座にその店を推奨するのもどうかと思うのだ。現にその店を再訪したときは前回ほどの感動はなかった(もちろん美味いことは美味かったが)。うどんはタイミングこそが最も重要な要素であり、それは数をこなせば必ずめぐり合えるとも限らないがいつかは出会える。少なくとも午前中である。開店と同時に飛び込めばいいというものでもなく、開店前に打ちためたうどんが供されることもあり、ある程度人が増えて最初に打ったうどんが無くなり次のうどんの先頭に位置することが出来れば最高だがそんなの計算して出来ない。「今茹でてるからもうちょっと待ってねー」とおばちゃんが言ったらそれが最高である。思わず舌なめずりをしてしまう。そうして出てきたうどんは艶がありまさに生まれたて。それにカンバツを入れずにネギとショウガを乗せて醤油をまわしかけて一気に啜る。あー美味いっ。人生の幸せがあるとしたらこれである。

 こんなことを書いていたら止まらなくなってしまう。香川県旅行記がうどんだけで終わっては不本意なことで、小豆島の風景や平賀源内の墓のことや空海の足跡や、骨付き鳥とビールの相性の良さについてもっと書かなければいけないのだが、長くなってしまったのでこれで終わる。

 僕が訪ねたさぬきうどんの店一覧についてはこちら
 これは一覧表であって寸評はしていない。そもそも寸評など僕の手に余るので、他の方のサイトを参考にしていただきたい。

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4 コメント

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懐かしいなぁ!宇高連絡船 (jasmintea)
2007-03-18 16:14:52
高松はよく連絡船で行っていました。
でもそれ以外の四国は全然知らないんですよね~。

しかし、凛太郎さん親孝行ですね
お母様の嬉しさは如何ばかりだったかなぁ!とこちらまで笑顔になってしまいました。
先日母に言われたのですが「妹達とはそれぞれ二人で旅行しているのにあなたとは行ったことがないわね」って
アハ、おっしゃる通り一人旅が多い私は母と旅行ってあまり頭になかったみたい
母が動ける間にどこか旅行を企画して親孝行しなくちゃ!と反省しました。

「生まれたて」のうどんですかぁ♪
工場で機械で作ったのではなく人間の手で作られたうどん!こんなぜいたくありませんね~。
10万円のステーキ用牛肉より私にとっては魅力的です
>jasminteaさん (凛太郎)
2007-03-18 22:25:06
この記事を書いていて、ああ宇高連絡船がなくなってからそんなに経ったんだという感慨にとらわれましたね。青函も同じ頃に廃止され…。便利にはなりましたけれども懐かしいですねー。

ここにはいいことばっかり書いて「親孝行だ」なんて生意気なことを言っていますが、本当にそうだったのかは疑問です(汗)。なんせ18きっぷでしたからねぇ。それに、別に母親だけが楽しかったわけではなく僕もこの日帰り旅は思い出が濃いですから、どっちもどっちなんですよね。ずっと喋り続けた汽車旅でした。

うどんは美味いのですよね~。「うどんは鮮度が命」「うどんは刺身と同じ」とはよく言われます。締めたてのあのツヤはもう最高ですよ~♪
大食漢の息子がほしかった。 (まるちゃん)
2007-11-01 08:41:34
『故郷が愛媛まるちゃん』宇高連絡船 おなじみ。
宇野の乗り換えでの ダッシュ…はあはあ。
高松駅で待ってる予讃線の電車の匂い・四国の匂い…く~っ。

お母さまへの 朝陽夕陽のプレゼント。
そんな息子がほしいぞ。
『おうどん屋さんの前で車中泊』もできる母ってのはどうよ。
>まるちゃん (凛太郎)
2007-11-01 21:45:42
「予讃線の電車の匂い」って文学的ですね~。さすがの表現力です。

大食漢の息子を持った僕の母親は、「牛や馬を飼ってるみたいや」といつも嘆いておりました。これってどうなんでしょ。でもうどんのために車中泊できる母親って素敵かも。

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