凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

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もしも古事記が偽書でなかったなら 1

2009年12月10日 | 歴史「if」
 冒頭のタイトルはちょっと見ればおかしい。書くならば「もしも古事記が偽書だったとしたら」が普通だろう。
 これでは、まるで現在の歴史学・古代史学で古事記を偽書だとする説が通説であるかのように見えてしまう。もちろん、決してそんなことはないはずだ。「先代旧事本紀」は一般に偽書とされるが「古事記」は現存する日本で最も古い歴史書として認知されている。
 古事記は、その序文によれば和銅5年(712年)に太安萬侶によって編纂されたとされる。対して勅撰の正史とされる日本書紀は、養老4年(720年)に舎人親王らの編纂で完成したことになっている。わずかに8年ほど古い。よって、現存する日本最古の歴史書であるとされる。

 ここで、僕にはひとつ疑問が生じる。
 和銅5年と言えば元明天皇の時期。古事記序文によれば、そもそも日本には古来、「帝紀(皇室の系統譜か)」と「旧辞(各氏族伝来の説話・伝承的な史料か)」が存在していた。しかしそれらが伝承過程で間違いも多くなってきており、それを遺憾に思った天武天皇が舎人である記憶力抜群の稗田阿礼に命じて正式に誦習させた、という。それを文章化しまとめることが天武の代では出来ず、後の元明天皇の代になって、太安萬侶に命じ存命していた稗田阿礼の暗誦を撰録させたという。これが古事記の由来である。
 対して日本書紀は、勅命により天武天皇皇子の舎人親王に正史として日本紀の編纂を命じ、養老4年に完成、奏上と「続日本紀」にある。時に元正天皇の時代。元正は元明天皇の皇女である。元明天皇はこの時天皇位を譲っていたものの、まだ存命だった。
 つまり、古事記と日本書紀の成立は8年差があるとはいえ、ほぼ同時期であるといっていい。しかも双方とも私的なものではなく、勅命により奏上された歴史書である。
 何故、同時期に同内容の歴史書が同時に成立し存在したのか。まずそれが、疑問である。
 素人が考えれば、これは無駄手間というものだろう。そんな簡単に作れるものではないからである。古事記は発起してから奏上まで相当に時間がかかっている。日本書紀とて同じこと。チームを編成して練り上げられて作られているのだ。

 これについては、もちろん様々な解説もなされている。曰く、古事記は天皇家の私的な歴史書であり、日本書紀は公的なものである。曰く、古事記は和文で綴られており、書紀は漢文である。対外的な歴史書として古事記では役に立たず、中国にも示せる日本書紀を成立させねばならなかった。等々。
 どうも納得がいかない。ならば古事記はいらなかったのではないか。懸命に暗誦した稗田阿礼には気の毒だが。日本書紀がいつ作業に取り掛かったのかは分からないが、8年前に白紙であったとも思えない。書紀は全30巻の大部なのである。そんな二系統の歴史書をわざわざ。不可思議だ。
 これらのことは、もしも古事記が偽書であったのなら雲散霧消してしまう。そもそも、正史はそのとき日本書紀しか作られなかったのだ、とすれば。

 「古事記」偽書説については、古来よりささやかれていた説であり、賀茂真淵ですら疑っている。本居宣長が「古事記伝」を著し、古事記の重要性を世に知らしめた後も、偽書説は絶えない。
 僕は全ての偽書説を読むことは出来ず、主として大和岩雄氏「古事記成立考」(偽書説側)と矢島泉氏「古事記の歴史意識」(本物側)に頼った。ここには様々な偽書説が網羅されている。以下、孫引きを勘弁していただきたい。
 偽書説の柱は、その「序文」についての疑義と、本文そのものに関わる疑義とに分類も出来る。まず「序文」について考えたい。
 ・序文の様式がおかしい
 序文は、序といいつつ上表文の形態を採っている。奈良朝は序と上表文の二本立てでないとおかしい。そして署名に不備がある(奈良朝の形式から外れる)。等々。
 反証として「太安萬侶」の表記が、発見された墓誌と同じであり続日本紀は「太安麻呂」となっていることから、より古い表記であり偽書ではないとの説もあるが、表記は氏族伝表記が異なる場合もあり、そもそも墓誌に古事記のことが全く書かれていないのは疑問に繋がる。
 ・序文の内容がおかしい
 勅撰であるにもかかわらず無官の太安万侶一人により編纂されている。また稗田阿礼が全く他文献(続日本紀)に見えない。正史にない稗田氏なるものが天武天皇と直に作業が出来たのか。また、序文の壬申の乱の記述に日本書紀の影響が色濃い。等々。
 私見だが、壬申の乱の記述は「ソースが同じ」ということでありうる可能性もあるとは思われる。だが、全般的に僕も後世の偽作である可能性は高い、と考えている。
 序文偽作説で最も大きい問題は、日付だろう。「和銅五年正月二十八日 正五位上勲五等太朝臣安萬侶謹上」。この和銅5年に奏上されたとされる古事記が、正史とされる続日本紀に全く書かれていないのだ。勅撰であるはずなのに。
 この問題については、理由があると考えているが後述する。もしも和銅5年ではなかったとしても、日本書紀、続日本紀には古事記は全く出てこない。ここから「秘密文書説」「機密文書説」なども登場するのだ。序文を信じれば秘密文書であるわけがないのだが。だから「偽書」なのだ、と考えられるのだが、少なくとも序文は怪しい。

 次に「本文」そのものについて考えたい。
 ・本文の用字、表記がおかしい
 本文の字音仮名が奈良朝以降のものである、という主張がなされている。これについては難しくて理解が及ばない。森博達氏の著作などを読むと非常に興味深く、言語学はそんな一朝一夕には学べないので今からでも大学に入りたいくらいだが、そんなことは無理なので諸説を読むよりしょうがない。なので薄いのを勘弁してもらいたいが、ここでの反証の決め手として「モ」音の書き分けがある。
 上代特殊仮名遣というものがある。昔は音節が50音よりも多かったとされている。
 平安時代の音節数は、いろは47文字とその濁音20音を合わせた67音。平安初期だとア行エとヤ行エも分かれていたので68音。ところが上代になると、イ段のキヒミ、エ段のケへメ、オ段のコソトノモヨロの13音、並びに濁音ギビゲベゴゾドの7音については万葉仮名において厳密に二種に書き分けがなされ、区別されていたことが研究の成果により分かっている。つまり88音あったのだと。これは奈良時代の文献全てで確認されている。前述したようにそれも奈良末期には乱れ、平安時代にはほぼ消滅したとされる。
 その中で「モ」音については書き分けられているのは古事記だけである。88音あるのは古事記だけで、日本書紀は87音しかない。よって、古事記の方が古い、とされるのである。
 これには説得力もあるが、偽書説としては、偽作側が上代古語に精通していればモ音までも使い分けて製作することは可能だとする。それは確かにそうだが。
 ・本文の内容がおかしい
 様々な説が出されている。氏族に関する記事が新しい(平安朝の「新撰姓氏録」に近似)。歌謡が新しい。神の概念が新しい(天御中主神、高天原、大国主神など)。
 これらについて「そうかもしれない」とは思うものの、古事記が書紀よりも新しい、奈良朝後半もしくは平安朝前半に著作されたとは一概には言えない部分もある。

 以上の事柄を考えて、少なくとも「序文」は偽作の可能性は高いと僕は考える。ただし本文、「古事記」そのものについては、古来からあった可能性を否定できない。「モ」音の使い分けから考えると、もしかしたら和銅5年を遡る可能性もあるのだ。

 偽書説で出される問題点はこれだけではない。古事記にはその成立における傍証があまりにも少ないことが最も大きな問題となっている。成立過程についてはその「序文(疑わしいと書いたが)」が唯一であり、他にどこにも(もちろん続日本紀にも)古事記成立についての記載がないのだ。
 全くどこの文献にも現れなかった、というわけではないとも言われる。例えば「仙覚抄」の註釈に書かれていたり。「土佐風土記」に引用されているとの記載もあるが、その土佐風土記はもう残っておらず真贋は判定できない。「琴歌譜」「令集解」にも「古事記曰」と残るが、それが固有名詞の古事記と同義だったかどうか。万葉集の巻2・90番の歌に古事記からの引用があるのが決め手だとも言われるが、これも成立当時からあったか。だが、傍証にはなるかもしれない。

 古事記が文献上に初めて出てくるのは、平安初期の「弘仁私記」である。これは「日本書紀」の講書である。講じたのは多人長。その「序」に古事記成立の謂れが記述されている。
 ここにはまず「夫日本紀者一品舎人親王、従四位下勲五等太朝臣安麻呂等」と日本書紀の編者にも太安万侶が名を連ねる(!)と記され、稗田阿礼のこと、そして安万侶が序文どおり古事記を撰したことが書かれている。
 多人長は太安万侶と同族、つまり太(多)氏であることから、一族である安万侶が撰したにもかかわらず忘れられている古事記を何とか世に出したかった説、そして人長自身が太(多)氏顕彰のために古事記を捏造製作したのだ、という説にまで広がっていく。
 決め手はないのだが僕も、人長が偽作に関わったと考えている。ただし人長は「序文」を作成し付与したのみであり、「古事記」そのものはやはり存在していたと考えたい。
 そして、この時(弘仁期)以降、古事記は流布したのではないかと考えている。それまで古事記はおそらく秘されていたのだ。そうでないと、100年間もどの文献にも現れないことの説明がつかない。 
 
 本文、つまり古事記本体については、偽書であるとはやはり言いきれないと考える。日本書紀と同時期、あるいはもう少し上代に一応の成立を見ていたと考えられるのではないか。
 そして表題のifに戻るが、もしも古事記本体が偽書でなかったならば。
 やはりいくつかの疑問が生じる。

 ①なぜ同時期の文献に現れないか。日本書紀は「一書に曰」と他文献を多く引用するが、古事記はどうして現れないのか。続日本紀は古事記成立をなぜ記載しなかったのか。
 ②古事記は、神代から始まり推古天皇で終わる。なぜここで終わるのか。序文は怪しいが一応荒唐無稽でもないとして、天武天皇期に勅がなされたとすれば、なぜ天智・弘文紀まで記さないのか。
 ③古事記は、推古朝までの記述はあるものの、実際は記述としては顕宗天皇で記事は終わっている。仁賢天皇以降は、淡々と系譜を記すのみである。見方によっては、古事記は未完成品である。なぜこのように中途半端な終わり方なのか。
 ④序文は偽作の可能性が高いが、なぜこのような内容なのか。太安万侶一人に編纂を託しているのはなぜか。稗田阿礼という人物を登場させたのはなぜか。
 そして冒頭の、
 ⑤なぜ二つの歴史書がほぼ同時期に、ほぼ同内容で存在したのか。

 これらの疑問について、次回、考察してみたい。


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2 コメント

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Unknown (A)
2009-12-11 12:58:53
時の権力者を宣伝する目的で書かれた事は容易に想像がつきますね。

天皇制が日本の伝統であり由緒だなどという考えは、根本的に誤りであると思う訳です。
http://blog.goo.ne.jp/aiu_project
>Aさん (凛太郎)
2009-12-11 23:34:31
歴史書は時の権力者を喧伝する目的で書かれる、とはよく言われることではありますが、何ゆえ時の権力者が喧伝(正統性の主張と置き換えてもいいですか?)をせねばならなかったかをよく考察しないと、歴史の本質が見えてこないように思います。容易にそう言い切るためには勉強が必要かと。なかなかに大変です(笑)。

天皇制については、もう僕はその役割を終えていると思っています。無くなってもいい。ただ、天皇家という存在は日本の文化遺産であるとも思っています。これは存続して欲しい。
これ以上は政治的発言になる可能性がありますので控えますが(汗)、誤りであったのかどうかは、どれだけ時代時代の歴史を細かく検証していくかで評価は分かれると思います。もっと勉強しないと「根本的に」などと僕には簡単には言い切れない。幕末の尊王運動は僕は感心していませんけれども、うまく弁として機能していた時代もあったと思っています。独裁者を生み出さないという過程で。その総合的評価を下すのは相当勉強しないと難しいですね。

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