凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

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僕の旅 高知県

2007年07月15日 | 都道府県見て歩き
 高知県には若いときから特別の思いがあった。
 それは、高校時代に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで以来のことで、その当時、10代後半の頃は僕にとって坂本龍馬というひとはアイドルであったと言ってもいい。その感情は今でも続いていると言ってもいいけれども、当時は「熱狂」に等しかったとも思える。
 今にして思えば浅薄な知識をもって「龍馬はんについては誰よりも詳しい」と勘違いも甚だしいことを思っていたが、そんな若いときの僕にとって土佐の地を踏むことは「聖地巡礼」的な趣きがあった。

 初めての高知県は大学生の時。もう20年以上前になる。当時自転車で四国一周中だった僕は、愛媛県を海岸線に南下し、宿毛市へと入った。そこが高知県第一歩となった。
 早く高知市入りしたかった僕は気がはやっていたのだが日が暮れて宿毛で一泊。翌日早暁、宿泊していたYHを出て、まっすぐ高知市へ向かおうと中村へ向けてペダルを踏んだのだけれども、そこで朝靄にけむる松田川を見て少し考えが変わった。松田川なんて名前はその時まで聞いたことがなかったのだけれども、ちょっと驚きの美しさだった。
 四国は川がきれいなことで高名である。有名な四万十川も高知県だが、そのころから名は知られてはいたものの「最後の清流」なんてキャッチフレーズは浸透していなかったような。後にカヌーイストの聖地となる四万十だが、僕は先入観が無かったせいか、四万十だけでなく見る川全てに感動した。高知は美しいな。僕は四国一周をしようと思ってやってきたことを思い出し、ショートカットのコースをとるのをやめて足摺岬へと進路を変えた。回れるところはみんな見ていこう。
 そしてゆっくりと海岸線に沿って走り出した。高知市へたどり着くのは三日後のことになる。

 そして、高知市。龍馬はんが生まれた場所である。やってきましたぜ。感慨も新たに、青春真っ盛りの僕は武者震いをしていた。
 しかし、当時はこっちもせいぜい小説を読んだ程度である。歴史散策、と言ってもどこに行っていいのか分からなかった。詳細な地図も持っていない。また受け入れる側の高知市にも、現在ほどの盛り上がりは無かったように思う。観光案内所も通り一遍のことしか教えてくれず、生誕の地に吉田茂揮毫の石碑が立つくらいである。坂本龍馬記念館もまだ無い。今、電話ボックスの上に銅像を乗っけ、「龍馬空港」まである時代から思えば彼岸のことのようだが、それはそれでいい時代だったのかもしれない。坂本龍馬で町おこしなんて実に違和感がある。
 僕は高知城に登り、鏡川に佇み「よばいたれ」の頃の龍馬はんに思いをめぐらし、そしてペダルを踏んで桂浜に向かった。後ろのキャリアには、町で買った清酒「土佐鶴」を括り付けて。今夜は龍馬はんと一杯やろう。それは僕が出発して以来ずっと思ってきた夢だった。

 桂浜に着いたのはもう黄昏時だった。僕は念願でもあった、海を見つめて遥か彼方を思う威風堂々とした「坂本龍馬像」の前に佇んでいた。ここまでやってきましたぜ、龍馬はん。
 あたりには人もまだチラホラと見えたがかまうものか。僕はシェラカップに酒を注ぎ、スーパーで買った「サンマの姿すし」を頬張りながら呑んだ。貴方は凄い人だな。僕はまだまだ若輩者だけれど、少しでも貴方に近づけるようにこれから生きていくよ。どうか応援して下さい。
 僕はしたたか酩酊し、桂浜にあるあずまやにシュラフを広げて寝た。
 翌日、朝日が昇り、龍馬はんの顔を照らす。またいつの日か参りますから。どうか見守っていてください。そうして、二日酔いの僕はヨロヨロと高知市を離れた。

 そんな若き日の青雲の志などは今はどこへいってしまったのかというテイタラクの僕であるが、その後も高知にはしばしば訪れるようになった。もう10回くらいは足を運んだのではないか。
 何年も生きていると、本もたくさん読む。それに従って知識も増える。坂本龍馬に関する書籍もずいぶん読み、そして得たものを現地に行って確認しまた陶酔したくなるのは人の習い。僕は龍馬はんとその仲間達の足跡を辿ってあちこちに出没するようになる。
 例えば北川村。高知市から遥か東に外れた室戸岬にも近いこの村は、龍馬はんの盟友中岡慎太郎さんの故郷である。生家が復元されていて、英傑・慎太郎さんを偲ぶことが出来る。そのまま海岸へ出れば田野村で、あの武市半平太の釈放を求めて斬られた二十三人の土佐勤王党殉死の地だ。奈半利川河畔には碑と墓があり、清岡道之助の生家も残る。高知市に戻るように行けば安芸市で、野球のキャンプで知られるがここは三菱の創設者である岩崎弥太郎の生家が残る。三階菱の紋も見える。
 高知市近郊、吹井には武市半平太の生家が残っている。武市さんはここから城下に通っていたこともあるのだな。少し行くと瑞山神社があり、その上の墓地に武市さんと奥さんの富さんが並んで眠っている。また薊野には岡田以蔵さんの墓がある。彼も辛い生涯だった。
 須崎の横波半島、あの明徳義塾で有名なこの地に武市さんの銅像が建ち、土佐勤王党血盟の各々の名前が刻まれている。これを見ていると思いが乱れる。さらに西、東津野村には吉村虎太郎の銅像が凛として建ち、虎太郎さんの生家も門と塀を残している。その東はもう梼原村だ。言わずと知れた「脱藩の道」である。龍馬はんと共に掛橋和泉や那須俊平、信吾親子、澤村惣之丞らの銅像が林立している(関係ないが、高知は銅像だらけだ)。

 高知市内はもう、歩いても歩いても史跡だ。ただ、道標や碑は龍馬はんに特化した印象があり、その他の仲間達は少し忘れられている感もある。
 朝は喫茶「さいたにや」でモーニング。龍馬散歩はここから始めたい。龍馬はんの本家である才谷屋跡にあるこの喫茶店のモーニングセットはボリュームがあって実に美味い。さらに史料も揃っていて、二階は龍馬研究会の事務局である。市内にある観光案内所などは散策にはほとんど役に立たない(申し訳ないけれども)。「池内蔵太の旧宅跡はどこらへんです?」と尋ねても「え、誰です?」と言われてしまった経験もあり、「さいたにや」の方がよっぽど詳しい。マスターも時間が空いていれば親切に教えてくれる。
 すぐ近くに龍馬はん旧宅跡があり、旅館「城西館」の裏には「龍馬の生まれた町記念館」なるものが最近建った。価値があるかどうかは人によるけれども。近藤長次郎さん旧宅跡もすぐで、ここには石碑が建つ。鏡川に向かえば日根野道場跡。ここには案内板等はなかったな。でもこのあたりを歩くといかにもご近所という感じがする。ここから歩いて永福寺(井口事件の場所ですね。幼い頃の龍馬はんの遊び場だったとも)を目指せば、池内蔵太、望月亀弥太旧宅跡が並ぶ。みんな近所なんだな。しかし碑などはなく、想像力を発揮せねばならない。その裏山が、坂本家墓所のある丹中山である。
 この墓所は、残念ながら市の開発によってずいぶんと様相を変えてしまった。僕も何度か足を運んだが、来るたびに山が削られ、もうかつての面影は無い。無茶苦茶である。詳細は書籍も出ているので譲るとして、墓石は整理されて一箇所にまとめられている。乙女姉さん達ご家族に手を合わせることくらいは出来るが。無念である。その北側に向かって歩くと、JR踏み切りの手前に平井収二郎宅跡がある。龍馬はんの初恋の人とも言われる加尾さんちだ。
 キリがないのだが、もちろん市街地を歩いても、武市さんの切腹の碑や吉田東洋暗殺の場所、後藤象二郎や板垣退助旧宅跡などがすぐに目に留まる。これらはちゃんと石碑も充実している。武市さんの道場跡や、中江兆民や河田小龍ゆかりの地など目白押しであるため、市内だけでも一日では回りきれない。

 やはり土佐を歩くなら、じっくりと日程を確保したほうがいいだろう。後悔を残す。これは、僕のような歴史ファンだけに限らないと思う。それになにより一泊しないと酒が呑めない。
 夕刻、商店街を歩く。土佐の町は活気がある。観光客は「ひろめ市場」に行くのもいい。特産物が揃っている。酒場に行く前にここで蒲鉾などをちょいと買ってまずビール、というのは僕の定番。ちょいと一杯のつもりがあちこち目移りしてつい二杯、三杯となることも。それからいきおい居酒屋へと向かう。
 高知と言えば鰹のたたき。これは定番だが、高知ならではと言えば、僕にはやはりチャンバラ貝、そしてドロメ、ノレソレ、そしてニロギ。美味いのぉ。壇一雄氏のファンでもある僕は、教えに従ってこれらで一杯やる。たまらない。それでまだ呑みたらなれればハシゴ。楽しい豚料理の老舗に顔を出す。最後は屋台でラーメンでもいい。ああ高知の夜は楽しいな。

 居酒屋で呑んでいると、隣のおっさんに話しかけられることもある。豪儀な人も多い。土佐の人はよく、男は「いごっそう」女は「はちきん」と称される。豪快でしかも議論好きが多いとも。女性も「乙女ねえさん」に代表されるような強い人が多いらしい。しかし、なかなかに土佐弁の女性は素敵なのである。
 夜、呑んだくれてハシゴの途中、中央公園のベンチに腰掛けると、隣に若い女性が座った。ふと見ると髪の長いいかにも清楚な少女(に酔眼では見えた)。その子は彼氏と待ち合わせをしているらしいが、なかなか男が来ない様子。携帯で話し出した。聞くともなしに聞いていると、か細い声で「うん…うん…ええきに…」。土佐弁はいいなぁ。「うん…大丈夫…いつまでも待っちゅうきにね…」半泣きの声。思わずルパンの五右衛門のように「可憐だ…」と言いかけて呑み込んだ。あちきもオヤジですなぁ。
 

なお、高知市内の歴史散策の記事を作りました。僕にしては珍しい画像付き記事なので合わせて御覧いただければ幸いです。
 →僕の旅番外編・高知のマニアック歴史ポイント

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5 コメント

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イメージが湧いてきました♪ (jasmintea)
2007-07-16 21:16:21
「龍馬が好き」と言いながら小説しか読んだことがなく(それも「竜馬がゆく」に影響された作家ばかりの)、飛鳥時代や奈良時代のように自分で調べてみたり、考えることもなく「龍馬ミーハー」できました。
私と凛太郎さんでは次元(五右衛門が出てきたらやっぱり次元も出演しないとね)が違いますが凛太郎さんが記事の中で生き生きと描かれたワクワク感がすっごく理解できます。

高知市内の観光にはまるまる1日とっていますがよさこい祭りとぶつかってしまったのでどれだけ回れるのやら。
毎度ごめんなさい (jasmintea再び…)
2007-07-16 21:21:10
改行したつもりが投稿されてしまいました。
また長崎の時のように凛太郎さんのこの記事を印刷して持っていきます♪
ちなみに夜は土佐の居酒屋のハシゴにしようっと
あーーー、本当に楽しみだなぁ
桂浜の夜 (ヒロリン)
2007-07-16 22:39:05
 私が学生時代に高知を訪れたときも、夏の帰省の時に「ちょっと旅に出てくるから・・・」といって寝袋一つで宿も取らず、酒をあおって桂浜の砂浜で寝ましたからね・・・。

 何となく龍馬ファンの行動はどこか似ていると・・・。当時の私も武田鉄矢のドラマに感動して龍馬ファンになったばかりで知識なんぞほとんどなかったもので、若さゆえの勢いと行動力だけでしたから・・。

 当日、桂浜は若い男女の集団ががたき火をしながら過ごしていて、彼らにとってはじゃまだったんじゃないかなんて(笑)思いましたけどね・・・。

 今行けばもう少しじっくりと史跡探訪ができるものの今は帰省だけでめいっぱい・・・子どもにも一度見せてやりたいのですけどね。

 なんとなく「たぎる」思いの若き日の凜太郎さんの様子を教えていただき、自分のことも懐かしく思い出しました。

<横レスですが>
jasminteaさんへ
くれぐれも女性はまねしないようにね!(笑)
>jasminteaさん (凛太郎)
2007-07-18 23:04:17
どうもすみません。高知へ旅行に行かれることはもちろん知っておりましたが、観光ポイントを示せるような記事にはならずいつもの思い出話に終始しています。長崎の時のように画像付きのものを…とも思いましたがなかなか余裕がなく(スキャナも買ってないし^^;)出来ませんでした。
まあしかし、今はネットであらゆることが調べられますからね。十分に調べていかれることをおすすめします。現地情報は決してアテにはなりません。特に龍馬はん関係は生家周辺に結構密集していますので。
まあ、あれもこれもでは時間が足りないかもしれませんし暑いですからね(汗)。ある程度集中するのもいいかもしれませんね。
あとは呑みすぎなければOKではないでしょうか。え、お前じゃないから大丈夫って? 失礼しました~。m(_ _;)m
>ヒロリンさん (凛太郎)
2007-07-18 23:11:27
以前ヒロリンさんが桂浜で寝たお話を聞いて、「ああ同じだ」と僕も笑いましたけれど(笑)、やっぱりファンのやることには同じ傾向が出てくるのでしょうかね。他にもいそうだな(笑)。
ただ、現在のヒロリンさんの膨大な知識量で土佐や下関や長崎を歩かれると、また違ったものが見えるような気もするのですね。僕など及びもつかない「龍馬頭脳」を持つヒロリンさんであれば。なかなか遠くて行かれるのには大変だと思うのですが、是非いつの日か土佐へ再訪出来るといいですね。
といいつつ、早い方がいいのですけれどもね。どんどん様子は変わってきますから。あの丹中山がその象徴かも…。

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