さんななのうた

思ったことを書いていく。学芸大学にあるちいさいサロンの日記

そば

2016-11-25 18:55:56 | 日記
ソバは、世界各地で広く利用されています。蕎麦の起源については、日本人科学者が野生祖先種を中国南部で近年発見し、この発見によってソバの起源は中国南部であることが明らかになっています。このようなソバが、中国から韓半島を経て我が国へ、一方でヨーロッパなどへと伝播していったと考えられています。
 ヨーロッパでは、ソバは南欧・東欧を中心として広く利用されています。ヨーロッパで蕎麦の利用法には、粉食と粒食との両方の形があります。ヨーロッパでの蕎麦に関する古い記録を見ますと、ドイツに1396年に、チェコには1365年に、スロベニアには1426年にあります。10~15世紀頃にヨーロッパへ伝播したものと考えられています。蕎麦を今日でも利用している国としては,スロベニア、クロワチア、イタリア、ポーランド、デンマーク、フランス、チェコなどがあげられます。今回は、スロベニアを取り上げます。スロベニア共和国は、1992年に旧ユーゴスラビアから独立したベニア民族は6世紀中期からの古い歴史をもつ民族であり、大変美しい首都リュブリヤーナなどには、古代からの史跡を見ることができます。小生のブログの写真は、スロベニアのソバ畑です。
ソバが東の方から伝播した頃から、スロベニアのそば料理がつくられるようになりましたが、貧しい農民達にとっては、大変人気の高い食品であったといわれます。というのは、1つにはソバがいわば免税食品として取り扱われ誰にでも食すことのできる食べ物であり、また小麦、大麦の収穫の間に間作できる穀物であったことも大きい理由でした。その後、20世紀に至るまで長い間に貧しい人達の大切な穀物でありました。20世紀に入り、ソバの生産量は一時低下しましたが、現在では再び「古き時代の良き食べ物」として再び関心が高まっています。現在の消費量は約3000トンで、時には輸入もしています。
スロベニアには、伝統的なソバ料理が沢山あります。首都リュブリヤーナ近郊には、ソバ用の水車小屋があります。スロベニアには、ソバの粒食の形態が1つの主流の食べ方です。写真は、ニジマスにソバ米が添えてあります。また、写真にはありませんが、そば米の腸詰(カラバビツェと呼ばれます)もよく見られます。ソバ粉でつくるケーキもあります。とても美味です。ソバ粉でつくったパンもあります。町のスーパーマーケットなどに行きますと、様々なソバ粉や、ソバ米(カーシャ)がたくさん売られています。また、ズレバンカという料理があります。これは、北スロベニアの、オーストリアに近いムルスカ・ソボタ地方に今も残る郷土料理です。作り方は、溶いた卵と牛乳を混ぜ、その中にソバ粉と少量の塩を混ぜ、バッター状にします。次いで、玉ねぎを、多量の油の中で焦げ目がつくまで炒めます。天板にたっぷりのバターを塗り、その中にソバ生地を流し入れ、その上に炒めた玉ねぎと、炒め油をともにちらして置きます。オーブンで、約250℃で約20分間程度焼きます。焼きあがるころには、ソバ粉と玉ねぎの焼けたとても香ばしい香りがして来ます。表面全体がこげ茶色に焼きあがったら、出来上がりです。我が国の麺ではゆがく調理操作が入りますが、ズレバンカでは、我が国のそばがきのようにゆがく操作が入らず、栄養素をそのまま利用でき、またソバ粉全体を食することができ、その上大変美味なおすすめ料理です。一度お試し下さい。
その他、スロベニアには、ソバの花・茎をアルコール漬けや、花・茎を乾燥してしぼったジュースなどもあります。花や茎には、ルチンとよばれるソバ特有の成分(毛細血管の脆弱性を改善する作用や、血流改善然様など多彩な作用を示す)がソバ粉よりも多く含まれますので、アルコール漬けやジュースはルチンの大切な供給源になります。また、その他には、ヂガンチ(欧風そばがき料理)や、シュトルクリー(クレープに似た料理)など様々なソバ料理があり、良き伝統食品として今日も広く利用されています。
以前に、国際そば学会(IBRA)という学会があることを書きましたが、この学会を初めに提唱した著名なそば学者は、スロベニア・リュブリヤーナ大学生物工学部教授のイワン・クレフト先生です。そして第1回の国際ソバ誌シンポジウムが、1980年にリュブリヤーナ大学で開催されました。今年4月から1カ月の短い期間でしたが、クレフト先生に神戸学院大学の客員教授として来日願い、楽しいソバ談義をしました。今日はこれまでにします。

コメントを投稿