もうずいぶん前に書き始めた、このブログを眺める機会があった。
よく、励まして頂いたり、存在を感じる事で一人じゃない気がしていたあの頃。
自分の知らない間に、その大切に思っていた方が亡くなった事にも気付かずに普通に生活していて、私には普通に時間が流れていた。
その方の時間は停まったままなのに。
でも、何となく自分と関わっていて頂いた部分の言葉はまだ生きてた。活きてた。
その方の時間は停まってしまった事をあまり正確には感じられていないせいもあるけれど、
その方の言葉は、離れているようで近くにいてくれていた事を感じられる。
まるで、子供も見るような感じで、成長を待つように余計な事は言わず、手を差し伸べならないであろうタイミングで、必ず要るであろう言葉をかける。
結果、栄養が染み込むように、心と身体にその言葉達は入ってきた。
あまりに、その言葉達が活きてるものだから、物質としての存在が無くなってしまった事がいまだ信じられず、受け入れられてもいない。
が、少しずつ理解はしてきた。
結果、会いたくなった。
遅い。いつも自分は遅すぎるのだ。
こんな私ですが、許して頂けますか?
今でも、大好きです。
よく、励まして頂いたり、存在を感じる事で一人じゃない気がしていたあの頃。
自分の知らない間に、その大切に思っていた方が亡くなった事にも気付かずに普通に生活していて、私には普通に時間が流れていた。
その方の時間は停まったままなのに。
でも、何となく自分と関わっていて頂いた部分の言葉はまだ生きてた。活きてた。
その方の時間は停まってしまった事をあまり正確には感じられていないせいもあるけれど、
その方の言葉は、離れているようで近くにいてくれていた事を感じられる。
まるで、子供も見るような感じで、成長を待つように余計な事は言わず、手を差し伸べならないであろうタイミングで、必ず要るであろう言葉をかける。
結果、栄養が染み込むように、心と身体にその言葉達は入ってきた。
あまりに、その言葉達が活きてるものだから、物質としての存在が無くなってしまった事がいまだ信じられず、受け入れられてもいない。
が、少しずつ理解はしてきた。
結果、会いたくなった。
遅い。いつも自分は遅すぎるのだ。
こんな私ですが、許して頂けますか?
今でも、大好きです。