日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

秋華賞

2009-10-18 | 競馬
3歳牝馬3冠最終戦秋華賞GⅠです。

主役は2冠馬③ブエナビスタとその2戦でいずれも2着⑤レッドデザイアです。何しろ桜花賞、オークスとも1~3着馬が全く同じ(3着は2レースとも⑭ジェルミナル)結果であり、今回も堅い?と思わせられる部分もあるにはあります。

そうは言っても荒れて当然の3歳牝馬戦ですから、ブエナの3冠とて決して堅いものではないと考え、穴狙いが妙味と思っています。さて波乱の主役ですが…。今回人気2頭をはじめ有力馬は「差し」「追い込み」脚質が多く、先行馬に有力馬がいないところに狙い目がありそうです。狙いは、前走ローズステークス(GⅡ)で差し馬有利の展開で先行して3着に粘った⑩クーデグレイス。京都内回りは仕掛けが早くなり圧倒的に差し馬有利なのですが、今回有力勢が後方で牽制しあう展開と直線坂のない京都替わりで粘りが増す可能性に期待します。

⑩から
馬連なら③⑤⑫へ、
ワイドなら③④⑤⑫⑭⑰あたりが相手でしょう。

訃報~加藤和彦

2009-10-17 | その他あれこれ
音楽家の加藤和彦さんが亡くなられたそうです。享年62歳。自殺であったとのお話には、大変明るい印象の方であっただけに、驚きと残念な気持ちでいっぱいです。

我々の世代にとって、加藤さん率いるフォーク・クルセダーズ67年の大ヒット曲「帰ってきたヨッパライ」は衝撃の1曲でした。忘れもしない小学校2年生の頃だったでしょうか。私はそれまで聴いたことのないコミカルでストーリー性のある歌に惹かれて親にレコードを買ってもらい、お気に入りで毎日聞いていました。この曲はテープの早回しを使った特殊な作り様で、今思えば音楽的に未発達なグループ・サウンズ全盛の時代に、アルバム「リボルバー」の頃のビートルズのレコーディング技術をほぼリアルタイムで真似ていたと言う点において、一歩も二歩も先を行っていた天才的な才能の持ち主であったと思えます。この曲の後も「悲しくてやりきれない」や「イムジン河」「青年は荒野をめざす」などの楽曲を聞き幅広い創作分野を知るにつけ、その才能の豊かさには子供心に大きな憧れを感じたものです(コマーシャル・ソングの「家をつくるなら(ナショナル住宅)」も大好きでした)。

そして数年後に結成したサディスティック・ミカ・バンドでは、それまでとは全く別ジャンルで新たな才能を披露。高中正義、高橋ユキヒロらを世に送り出した日本のロック・バンドの最高峰をいとも簡単に極めてしまうカッコ良さには、改めて心底しびれさせられたものです。特にクリス・トーマスがプロデュースしたアルバム「黒船」は、素晴らしくレベルが高く当時の洋楽アルバムとくらべても遜色のないコンセプト・アルバムであり、加藤和彦は間違いなく60~70年代の日本の音楽界をかなり進んだ立ち位置からリードし続けていたと言っていいでしょう。ミカ・バンド解散後も、彼らしいおしゃれなアルバム「それから先のことは」シングル「シンガプーラ」あたりまでは追っかけていたのですが、その後は表舞台での目立った活動よりも“大御所”的な一歩引いた活動が目立つようになっていったと記憶しております。

元来彼は、執着心のない割りきりの良い性格だそうで、その性格がフォーク・ソング、冗談音楽、文芸家との共作、ロック・バンド等々、次々と様々な音楽を生み出した原動力であった半面、「黒船」当時の妻加藤ミカをクリス・トーマスに寝取られ、それを機にあっさりミカ・バンドを解散させてしまうなど、その性格がヤケバチ的あきらめの早さに転じることで災いする面もあったように思います。今回残された遺書には「音楽的にやることがなくなってしまった」と書き残していたとの報道もあり、彼の執着心のなさが最悪の形で現れてしまったのかもしれないと思わされてしまいます。我々の世代にとって、邦楽界の本当に重要な位置を占める一人であり、また個人的には子供時代に憧れた音楽家でもあり、なんとも残念な訃報でありました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

経営のトリセツ69~「ボスの日」に贈る30の言葉

2009-10-16 | 経営
今日10月16日は「ボスの日」だそうです。昨日PCのファイルを整理していて、いつどこで入手したのか定かでないのですが、「心に留めておきたい30の言葉」というファイルを発見(PCを何台も使っていると、ファイル整理が悪くてよくあるんですこの手の話)。よくよく読み返してみると、どれもボス(経営者・管理者)の方々の心に留めおいていただきたいものばかりでした。と言う訳で、出所不明ですがここに掲載させていただきます。もちろん、ボス(経営者・管理者)以外の方々の日々の心がけにも役立つものであると思います。ボスも部下も参考にしていただき、自分に欠けていると思われるもの10項目ぐらいを選んで、紙に書いて毎朝(あるいは毎晩)目にして焼き付け、心がけてみるといいのではないでしょうか(私が個人的に特に重要と思ったモノは■にしてみました。ご参考まで)。

 
 ★心に留めておきたい30言葉★

 □安楽な日々は過ぎ去る、充実した日々は積み重る・・・(1)
 □楽を求めるほど苦しくなり、夢に向かうほど楽しくなる(2)
 □うまくいかないことを楽しめた時、成果は最大となる・(3)
 □決意は伝えなくとも伝わる・・・・・・・・・・・・・(4)
 ■罰を与えず、夢を与える・・・・・・・・・・・・・・(5)
 □苦境に挑む姿が他人を育てる・・・・・・・・・・・・(6)
 ■明日やるというウソ・・・・・・・・・・・・・・・・(7)
 ■歩き出すと道が見えてくる・・・・・・・・・・・・・(8)
 ■できない理由はできる理由・・・・・・・・・・・・・(9)
 □批判に感謝した時、批判は消え去る・・・・・・・・(10)

 ■成長するほど他人の長所が見えてくる・・・・・・・(11)
 □万策尽きた時、あきらめないという名案がある・・・(12)
 □とことんやると他人と違うものになる・・・・・・・(13)
 □一粒の雨が海になる、一粒の汗が未来になる・・・・(14)
 □何でもとことんやると自分らしくなる・・・・・・・(15)
 □どんな時でも手法は百万通りある・・・・・・・・・(16)
 □商品に魂が入ると作品になる・・・・・・・・・・・(17)
 □大事なものほど身近にある・・・・・・・・・・・・(18)
 □すべては自分で選んだこと・・・・・・・・・・・・(19)
 ■他人を変える最良の方法は、自分を変えることである(20)

 ■無駄な努力はない、成果は出ずとも成長している・・(21)
 □決意とはいかなる困難をも受け入れること・・・・・(22)
 ■できるかできないかではなく、やるかやらないか・・(23)
 □信用とは努力である・・・・・・・・・・・・・・・(24)
 □限界は自分でしかつくれない・・・・・・・・・・・(25)
 ■今までより、今から・・・・・・・・・・・・・・・(26)
 ■何をするのかよりも、なぜするのか・・・・・・・・(27)
 □謙虚な者ほど大きく見える・・・・・・・・・・・・(28)
 □大変とは、大きく変わること・・・・・・・・・・・(29)
 □本当に自信がある時は腹が立たない・・・・・・・・(30)

「羽田ハブ空港化反対」主張の不合理を説明する組織論的見解

2009-10-14 | ブックレビュー
前原国交相の羽田空港のハブ空港化発言で、昨日は森田健作千葉県知事が足で思い切り地面を踏みつけるジェスチャーを見せるほど怒りの態度を示しました。でもどうなんでしょうこの問題。

大臣の主張趣旨は、成田空港の使い勝手の悪さから今や韓国の仁川空港が東アジアのハブ空港として確固たる地位を築きつつあり、このままではアジアにおける国際空輸ルートの主導権は他国に奪われる運命で、将来にわたる国益の点から見て羽田のハブ空港化は重要な国家施策であると。昨日は知事の会見の他にも、成田市をはじめ千葉県の関係各市町の長が緊急会合を開き、大臣発言に猛烈な抗議姿勢を示したと聞きます。反対理由はズバリ「地域地盤沈下」。関係者は、「成田の空港化にどれだけの資金と血が流されたのか、それをムダにするな」という主張を声高に訴えかけてもいます。どちらの考えを優先すべきであるのでしょうか…?

ヒントを1冊の本に見つけました。最近文庫本化された「組織は合理的に失敗する/菊澤研宗(日経ビジネス人文庫762円)」がそれです。2000年に「組織の不条理」のタイトルで発行され、一部で評判を呼んだ組織論の名著です。戦時中の日本陸軍の戦略的あやまちを新制度派経済学の「取引コスト理論」「エージェンシー理論」「所有権理論」を使い、新しい解釈でその失敗の原因を解明するという野心的な著作です。この中のガダルカナル戦とインパール作戦の失敗はなぜ避けられなかったか、というくだりに今回の問題を考えるひとつの重要なヒントがあるように思いました。

著者は、本書の中で新制度派経済学の先の3つの理論によって、人間には完全合理的ではなく限定合理的であり、限定された情報獲得能力のために意図的に合理的にしか行動できない、そのことが不条理な現象を招き明らかな失敗へと導くという論理のもと、戦時中の日本軍の組織的失敗の数々を説明しているのです。特に、実行すれば明らかに失敗すると思われたガダルカナル戦やインパール作戦は、決断時点で止めることがその戦略における過去からのコスト負担を無駄にするという、ある一面において合理的な主張により正統化され結果として不合理な戦略選択に陥ったと説明。取引コストの節約原理を説明する「取引コスト理論」や本人と代理人の利害関係が異なることによる不条理な行動を説明する「エージェンシー理論」による適正化により回避が可能であったと説いているのです(このスペースで詳細な説明をするのは無理があるので、詳しくは本書ご参照願います)。

すなわち今回の件に引き直して言えば、「成田の空港化にどれだけの資金と血が流されたのか、それをムダにするな」という主張は合理的に思えるものの実は千葉の立場での限定合理的主張であり、取引コストの節約原理が働いていなかったり、千葉の権益と国益が異なることによる歪んだエージェンシー関係がそこには存在する訳です。従って「取引コスト理論」や「エージェンシー理論」的考え方により限定合理的なその主張を退け、羽田のハブ空港化を認める方向で進めることを検討すべきであるという結論になるように思うのです。余談ですが、過去50年間の投資を無駄にすべきではないと主張する八ッ場ダム建設中止反対派の意見にも、同様の限定合理性は指摘できると思われます。また、千葉県同様羽田ハブ化に対して関空のハブ化方針優先を主張する橋下大阪府知事は、自己の主張はしつつも羽田のハブ化の重要性は認めており、理論派の弁護士らしく森田知事に比べこの辺の理解力で勝っているように思われます。

本書の論理展開はひとつの学説にすぎないとも言えますが、森田知事をはじめ関係者の皆様にはぜひともお読みいただき、不条理のメカニズムがいかなるものであるのかを知り、自分たちの主義主張が国益との関係の中で本当に合理的であると言えるのかを、今一度自問自答し慎重な対応を検討してみてはいかがかと思います。なお、「組織は合理的に失敗する」は本件への説明だけでなく、多くの企業組織が陥りやすい不条理な行動を回避するヒントにもあふれています。戦時戦略への興味の有無はともかく、組織論、ガバナンス論に興味のある方にはぜひ一読をお勧めいたします。かなりおもしろく、ためになり、考えさせられる…、10点満点の内容です。私はこの本の中から、以前属した会社組織の“組織の意思”による合理的行動が生む数々の不条理の起因点を明確にすることができました。

★「組織は合理的に失敗する/菊澤研宗(日経ビジネス人文庫762円)」

〈70年代の100枚〉№87~“元祖ルーツ・ロック”のアメリカン・スピリット

2009-10-12 | 洋楽
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、略してCCRと言います。日本ではCCガールズは知っていてもCCRは知らないと言う音楽ファンもけっこういるようでして、今となっては何とも情けない程度の知名度です。でも彼ら、60年代末期から70年代初頭にかけて数多くのヒット曲を放った伝説のアメリカン・バンドなのです。

№87   「コスモズ・ファクトリー/クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」

ブルーズ、ソウル、カントリー…あらゆるアメリカの音楽をまぜこぜにして、出てきたものをロックビートに乗せました、と言った感じの表現がピッタリくる“ザ・アメリカン・バンド”、それがCCRです。あまりにもアメリカ過ぎるからなのか、カントリー臭が強すぎるからなのか、日本ではとんと聞かない存在になって久しいです。でも日本でも当時は、「プラウド・メアリー」や「雨を見たかい」がけっこう売れていました。アメリカでは、完璧に一時代を形成したヒット・メーカーであり、リーダーのジョン・フォガティは解散後ソロとしても十年一日の如き音楽制作を繰り返していながら、その後もアルバムを出せばその音楽に人々のアメリカ魂が騒ぐのか、必ずやヒットを記録しているのです。ちなみに97年の「ブルー・ムーン・スワンプ」もグラミー賞を受賞。近々久々の新作も出されるとか、またあちらでは売れるんでしょうね。

さてさて70年発表のこのアルバム、前年69年以来出せばヒット連発の絶好調を象徴するようなヒット曲のオンパレードです。A3「トラベリング・バンド(2位)」B3「フール・ストップ・ザ・レイン(2位)」B1「アップ・アラウンド・ザ・ベンド(4位)」A6「ラン・スルー・ザ・ジャングル(4位)」A5「ルッキング・アウト・マイ・バック・ドア(2位)」B5「ロング・アズ・アイ・キャン・スルー・ザ・ライト(2位)」と、両A面扱いでシングルが切られていたとは言え、実に6曲のTOP5ヒットを出すという、マイケル・ジャクソンも真っ青のヒット・メーカーだったのです(このバンド実は全米№1ヒットがなく、シングル最多第2位記録という珍しい記録保持者でもあります)。そしてアルバムは、実に9週連続№1を記録しています。同年ではビートルズの「レット・イット・ビー」が4週№1、レッド・ツェッペリンの「Ⅲ」も同じく4週№1ですから、この当時の全米チャート的CCR人気がいかにすごいものであったか、よくお分かりいただけると思います。

でも彼らがヒット狙いの安っぽいバンドであったかと言えば、決してそうではありません。ルーツ音楽に根差した演奏をガッツリ聞かせるナンバーも必ずアルバムには入っていて、このアルバムでもB4などは黒人コーラスバンド、グラディス・ナイト&ザ・ヒップスおよび大物黒人シンガー、マービン・ゲイのヒット曲「悲しいうわさ」を、長尺ギターソロも含め白人バンドである彼なりの解釈で約11分にわたリ展開するという、ヒット曲ばかりではないこのアルバムの聞きどころとなっています。このように、よくよく聞き返してみればしっかりルーツ・ミュージックしてまして、決して安直な受け狙いバンドなどではなく、その後のサザン・ロックやウエスト・コースト・サウンドの原型がしっかりと見て取れるのです。

それにしても日本では今や知る人の少ないこと…。名盤選とかでもほとんど目にしませんし、とんと話題に上りません。ジョンの声は日本人好みじゃないのかな。でも単に彼らのアメリカ臭だけでなく、ジョンの兄トム・フォガティ脱退後の72年、ほとんど解散状態で日本公演を敢行し、武道館でお粗末な演奏レベルとたった40分のギグと言うビートルズ然とした超大物みたいな真似をして、悪評を買ったことも日本での不人気の一因であるように思います。残念。

<音楽夜話>ビートルズ「モノ・ボックス」を聞く

2009-10-11 | 洋楽
この秋の洋楽界の話題と言えば、ビートルズのリマスターCD発売の話。すでに1カ月がたちましたがけっこうな売れ行きなようで、さすがはビートルズといった感じですね。

今回のリマスター盤は基本はステレオ・ミックスのリマスターで、同時にモノラル・ミックスも限定盤かつセット販売で出てはいるものの、発売当初の一般マス・メディアの取り上げ方をみても、モノはおまけ的扱いの感じが漂っていました。実はその扱いはおよそ素人的でして、間違っちゃいけないのはビートルズが活躍した60年代はまだまだモノラル主流の時代だということ。彼らのアルバムも実は大半はモノラルがオリジナル・ミックスであり、デビューから「ホワイト・アルバム」までプロデューサーのジョージ・マーチンはモノラルを基本ミックスに据えていたのです。なんと言っても彼は「モノラルで聞いてこそ、あなたはサージェント・ペパーを聞いたことになる」と言っているぐらいなのですから。

音楽ファンにはよく知られた話ですが、マーチンはステレオ・ミックスに関与しておらず、そのせいもありビートルズのステレオ・ミックスは実はかなり乱雑で、いい加減なものも多いのです。例えば、ボーカルが右チャンネルのみで、リズムは左チャンネルのみなんていう乱暴なステレオ・ミックスもけっこうあるんです。そんな訳ですから、本来はリマスター盤CDを出すのなら、この機会にマーチンの手によってリミックスを施すべきであり、それをしないでいい加減なステレオ・ミックスのまま今回のようなリマスターをしても、それはあまり意味がないように思うのです。

ということで今回の目玉は、必然的に限定生産かつセット販売のみモノ・ミックス盤を集めた「モノ・ボックス」ということになるのです。個人的には「アビー・ロード」と「レット・イット・ビー」を欠くこの半端なセットにまたまた“散財”していいものかと、買うか買うまいか悩みに悩んでいるうちに予約段階で売り切れてしまいホッと胸をなでおろしたのもつかの間、なんと9月下旬に突如追加生産分がアマゾンで予約受付となり、マニアの悲しい性は瞬時に「予約購入」ボタンを押していたのでした。「あー、またやってしまった」と自己嫌悪になりながらも、送付された商品を開けて→眺めて→聞いて、「やっぱり買ってよかった!」と大感動の結末でありました。

さすがジョージ・マーチン、オリジナルのモノ・ミックスです。まだ全部は聞きとおしていないのですが、ボーカルと各楽器のバランスの素晴らしさは当然のこと、「なるほど、このバランスが本来のマーチンがイメージしていたビートルズであったのか」と再発見させられる曲もけっこうあったりします。もちろん、曲によってはステレオ・ミックスの方がいいものもあります。楽器の分離は当然ステレオの方がいい訳ですから。でも音圧は圧倒的にモノの勝ちでしょう。ステレオ・ミックスを安易に一本化してモノ・ミックスにしたものではなく、もともとのモノ・ミックスな訳で、これはけっこうすごいですよ。今までのCDを持っている人、今回のステレオ・リマスターを買った人も、ビートルズ・ファン必聴と思います。日本製の紙ジャケも美しい!惜しむらくは日本盤帯が欲しかったですが、ジャケットはかなりの出来です。

難を言えばレコード会社のもうけ主義でしょうね。今回のオヤジ連中の財布を狙った商売はちょっと許せんですね。本来なら、1枚のCDにステレオ・ミックスとモノ・ミックスを併せて収録して、かつ全作紙ジャケ仕様で売ってもバチは当たらない訳で、なんでステレオとモノを分けて販売し紙ジャケはモノ・ミックスのみかつセット販売な訳ですか?私は先の理由で今回のステレオ・ミックスは関心が薄く買っていませんが、両方ご購入の“ビートル・オヤジ”もけっこうたくさんいると思います。締めて75600円也って、少々アコギな商売じゃないでしょうか?これでまた、近々「待望のステレオ・リミックス盤登場!」とか言われようものなら怒りますよね。それはさておいても、ビートルズのステレオ・リミックス盤はジョージ・マーチン健在のうちに彼の手によって、なんとしても実現してもらいたいものです。

オバマ大統領ノーベル平和賞受賞は“弱いアメリカ”の象徴か?

2009-10-10 | ニュース雑感
昨日夕刻、突然飛び込んできた「オバマ大統領ノーベル平和賞受賞」のニュース。2ちゃんあたりでは、「まだ何もやってねーじゃねー?」「ノーベルおかしくね?」とちょっとした“祭り”になっているようです。

私も第一報を聞いたときに思ったのは、「何で?」です。そりゃそうですよ。大統領就任から1年弱。確かに「核廃絶宣言」はあったものの、まだ何も行動を起こしている訳ではないのですから。ただよくよくノーベル平和賞の位置付けを考えてみると、なるほどと思う点も出てきます。物理、化学、医学、文学、経済という学問的なものに与えられるノーベル賞に、唯一平和賞と言う毛色の違ったものがあるという意味。これは、とりもなおさず創設者の発明家ノーベルが、自身のダイナマイト発明が引き起こした戦争兵器への転用を悔いて、平和の願いを込めて作られたという大きな意図が背景にあります。すなわち、他部門の賞とはかなり色合いが異なるのです。他の賞が発明そのものの価値ではなくいかに実用化され価値が証明されたかが審査基準になるものであるのに対して、平和賞は特定の平和活動をこれからの世界平和にいかにして寄与させるかを賞がバックアップするという意図があるように思えるのです。

そしてもうひとつ、この平和賞だけがノーベルの母国スゥェーデンの選出ではなく、隣国ノルウェーの国会が選出するという仕組みも他部門との大きな違いのひとつです。自国選出をしないのは「公平を期して」というのがその理由ですが、公平を期する必要があるのは、この平和賞の選出基準があいまいで主観的なものにならざるを得ない事の象徴でもあると言えるでしょう。ポイントは、その“主観的”選出機関がノルウェー国会であるということ。一国の国会ですから、政治的“主観”抜きに選出基準を考えることは不可能に近い訳です。こうやって考えてみると、ノーベル平和賞は至って政治的かつ主観的判断基準で選ばれることが常であり、オバマ大統領の受賞の是非を論じるよりも、今の世界情勢の中でノルウェー国会の主観に基づいた政治的判断がどのようなものであったのかを推察することの方が数段意義があることのように思えてきます。

2016年オリンピック開催地選びのIOC総会の時にもお話ししましたが、個人的にはここにも世界におけるアメリカの立ち位置の変化が見て取れるように感じています。アメリカがリーマン・ショック以前の“強い”“世界に冠たる”アメリカであったなら、今回の受賞はなかったのかもしれません。すなわち、アメリカが世界覇権の多極化進展の中で以前とは違う立場になり、唯一無二ではなく多くのリーダー国のひとつに“成り下がった”ことで、ノルウェー国会は「言った以上しっかりやれよ!」と“釘を刺さした”ということではないかと思うのです。言い方を変えるなら、今のアメリカは世界の厳然たるリーダーではないから、オバマ大統領の核廃絶宣言に世界が追随するためには、ノーベル賞の“お墨付き”が必要であるとノルウェー国会は考えたとういうことなのかもしれません。いずれにしましても、アメリカが以前のアメリカであったなら、オバマ氏の現段階での平和賞授与はありえなかったと思えるのです。視点を変えればこの受賞は、ブッシュ政権の汚点たる武力外交とリーマン・ショックに対する、世界の嫌悪感の結果とも言えるのかもしれません。

通常ノーベル賞の内定者には内示があるそうで(マハトマ・ガンジー氏は内示を5回固辞したといいます)、オバマ氏に内示があった上で今回の賞を受けたのであれば、彼はアメリカが世界覇権を一度手放すことの容認と下降を続ける自身の国内で支持率の上昇とを天秤にかけた上で、後者を選んでの受諾だったのかもしれません。オリンピック、ノーベル賞、表向きは政治的色合いの薄い話題においても、世界の中でのアメリカの立ち位置の変化は止めようのない流れに入りつつあるように思えます。

経営のトリセツ68~すぐに使える「見える化」のヒント9 管理者教育

2009-10-09 | 経営
久しぶりに「見える化」のお話です。
最近行く先々の企業で「管理者の自覚はどうしたら醸成できるか」を問われるケースが増えています。景気の良い時は誰がどう管理してもうまくいっている会社組織が、不景気の影響下ではそうはいかなくなります。管理者の力が落ちた訳ではないのですが、自然と経営者の管理者に向けられる目が厳しくなり、結果ここにきて「うちの管理者はダメだ」と口にする経営者が増えているのではないでしょうか。

そんな評論家的な分析はともかくとして、管理者が管理者たる自覚や責任感を持たない場合、管理者自身が何か重要なモノが見えていないケースがほとんどであると思っています。では彼らに対して何の「見える化」が必要なのでしょう?こんな場面で経営者の方々に私がズバリお話するのは、まず「役割の見える化」の必要性です。すなわち「管理者としての役割」の再徹底。中小企業の場合よくあるのが、担当者の中で少し仕事ができる、実績が上がっている、そんな人物を役割の変化も告げずご褒美的に管理者に登用するケースです。そうするとたいていは、管理者に登用はしてみたものの部下ができたから偉そうに振る舞うようになるだけで、何をするべき立場なのか全く身についていない、そんな状況がよくあります。そして、部下ができたことをいいことに、部下を隠れ蓑にして責任逃れを言ったり、なんでも部下に仕事を振っておけば自分の仕事は終わったものと考えたり…。そんな光景を目にすると経営者は、「お前は管理者失格だ!」と怒る訳です。

こういったことになる原因はひとえに、管理者が自身の「役割」が見えていない事に尽きるのです。こんなケースでは経営者に、「役割の確認と自覚の醸成を、経営者自身がしてください」とお話しています。具体的には、管理者の役割が「自分の配下チームの業績進展への寄与」と「部下の育成」にあることを、経営者が改めて問いただし管理者自らその役割を口にするように仕向けるのです。ここでポイントは、経営者が一方的に「お前の役割は、業績の進展と部下の育成だろ!しっかりしろ!」と安直に解答を言ってしまわない事。基本は管理者にその役割を問いかけて、自分の頭で考え自分の口で解答を言わせることです。これは言ってみればコーチング的手法なのですが、自分の事を自分で考えて自分の口で語らせることで、脳内の潜在的にあるものを確実な意識にかえさせるのです。糸口的言葉が出てきたら次を引き出す、例えば「部下の育成です」と答えるところまでいったら、「じゃあなたは日々何をしなくちぁいけないの?」といった具合に次の質問に展開して次々答えさせ自覚を促すのです。

こうして、管理者の「役割の見える化」が少しでもできたら、併せてやって欲しいことは「目標の共有」です。すなわち、経営者自身がこの会社をどうしたいのか、半年後、1年後、3年後、5年後…、どんな会社にするために今何をしようとしているのか、それを明確に管理者に伝え管理者としてその一翼を担ってもらいたいことを熱く語って欲しいのです。先に当ブログでも紹介した野口吉昭氏の著作「コンサルタントの解答力」にもあった、人を動かす「ロジック」と「パッション」の話になぞられて言うなら、管理者に「役割の見える化」をして自覚をさせることは「ロジック」部分であり、「目標の共有」を経営者が直接本人に熱く語ることはまさしく「パッション」なのです。「パッション」部分は言ってみれば経営の「熱意の見える化」でもあるのです。

このように「管理者の自覚不足」は必ずしも本人のせいばかりではなく、言い方は悪いですが実は経営者の怠慢であることが間々あります。「クビだ」「降格だ」「減俸だ」と早計に結論付ける前に、まず管理者本人への「役割の見える化」と経営者自身の「熱意の見える化」を、経営者自らおこない改善を試みていただければ、問題の解決は意外なほど簡単に進む場合もよくあるのです。中小企業においては、経営者でなくては効果が出にくい「見える化」がたくさんあるのです。

売れ筋ブックレビュー~「『読む・書く・話す』を一瞬でモノにする技術」

2009-10-07 | ブックレビュー
★「『読む・書く・話す』を一瞬でモノにする技術/斎藤孝 大和書房1400円」

売れているようです。最近の売れ筋は「脳モノ本」「書き方本」「思考整理本」「読書法本」などなど。その意味では、タイトルからお分かりのように1冊で今注目のジャンルをけっこう幅広く押さえられる“お得本”かもしれません。ただ構成的にバラバラなモノを寄せ集めた訳ではなく、ステップ1~5として、各章を私なりの言葉に置き換えると、「情報の選択法」「読書法」「記憶法」「道具活用法」「編集力養成法」といったセクション構成で話は進んでいきます。

出だしの「情報の選択法」はすべての作業の基本になる行動の指針であり、なかなかの視点です。タイトルにある「読む・書く・話す」の中で、一番具体的記載がありボリューム感もあるのは、次の「読書法」です。ただ内容的には、よくある「多読のススメ」や「本への書き込み活用」など。私はむしろステップ3の「記憶法」に自分でも効果が思い当たる部分が多くあり、“読む価値あり”と思わされました。「自分の言葉で再生する」とか「信頼できる脳内スタッフを持つ」とか「批判的思考を鍛える」とか、まさに私が試みて自己鍛錬に大いに効果を感じているものと符合しています(特に「批判的思考を鍛える」は、このブログ継続効果そのもの!)。

「道具活用法」と「編集力養成法」は私的には完璧におまけ。特に「道具活用法」は、人によってはやり方を参考にされる方もいるのかもしれませんが、基本的に「三色ペンを使え」とか「手帳は1週間単位のモノを使え」とか、まぁ人それぞれやりやすい方法でいい訳でこれがベストとは思いません。あくまで「著者の場合はこれでうまくいっている」というものとして参考程度に捉えるのが正解と思います。

全体を通して言えることとして、著者は私と同年代なのですが、どうも匂いの違いをそこここで感じます。読み終えて、それは何かと考えてみると、“実業界育ち”と“学会育ち”の違いではないかなと、かなりハッキリと感じることができました。良い悪いの問題では決してないのですが、本書は正論のお話をステップを踏んでしてくれてはいるのですが、日々実業の世界に生きるクライアントを相手している私からするとやや食い足りない、なんとなく“突っ込み不足”を感じさせられる記述が多いように思いました。やはり、ビジネスシーンを想定した書き方や具体的落とし込みがあれば、もっと実践的でよかったかなと…。少々残念。10点満点で7点とさせていただきます。

「小泉はヒトラー」と言った“社会主義者”亀井大臣は金正日か?

2009-10-06 | その他あれこれ
このおっちゃん、どこまで社会主義者なんでしょうか?
亀井静香金融・郵政担当相が5日東京都内で行われた講演会で、「日本で家族間の殺人事件が増えているのは、大企業が日本型経営を捨てて人間を人間として扱わなくなったからだ」と述べ、日本経団連の御手洗冨士夫会長に「経団連は責任を感じなさい」と叱咤したと、またまた偉そうに話したそうです。何で家族間殺人の増加が大企業の責任であるのか、論理の飛躍も甚だしく言いがかりもいいところ。聞いていて腹が立ちます。

この人、マルクス主義者でキューバのゲリラ革命チェ・ゲバラの思想に心酔し、日本の連合赤軍に対しても、警察時代に取調べで向き合った経験から「“世のため人の為”と立ち上がった彼らの思想そのものに間違いはない」と言い放つほどの危険人物です。ちなみに自身の事務所の壁にはゲバラのポスターが飾ってあるとか…。そんな社会主義者が、一国の大臣と言う立場でありながら資本主義経済の市場原理を否定し大企業批判を展開しているのです。何とかして欲しいですね。個々人が、どんな思想でどんな考えを持とうと、それは憲法の下で保障されている権利であり、その点をとやかく言うつもりはありませんが、日本国の大臣の立場での発言となるとそれは全く別の話であると思いますが、いかがなものでしょうか?

だいたい、殺人の原因を企業になすりつけるなんぞは、まるで北朝鮮のようです。あな恐ろしや。彼は以前小泉政権の郵政民化論議の中で小泉首相を「ヒトラー並みの独裁者」呼ばわりし、さらに自民党を“クビ”になりその後の総選挙で刺客を向けられた折には「ヒトラーよりもひどい」「ガス室に送られた」と言ったそうですが、あなたの方こそまさに金正日並みに危険な思想の持ち主です。話題の金融モラトリアム発言もそうですが、とにかく資本主義を根底で支えるモノをこの不況下の不安定な時期に根こそぎぶち壊そうとするのですから、まさしく敬愛するゲバラのゲリラ革命思想を地で行っているとしか言いようがありません。本当に危険極まりないです。

亀井大臣は今日もまた会見で、「改革と称する市場原理資本主義、極端なそれが始まって以来、統計的にもそう。家族の崩壊、家族間の殺し合いが増えてきた。取り消す気は全然ない」と述べ、改めて経団連の責任を強調したそうです。昨日の発言はよくある政治家の「失言」ではなく、確信犯であると宣言した訳です。もちろん市場原理に基づく資本主義経済が完璧ではなく、リーマン・ショックによりその限界と行き過ぎが世界に大きなダメージをもたらしたことも事実であります。だからと言って、あまりに社会主義的な思想をかざして資本主義経済批判とともとれる発言を繰り返すのは、日本国の大臣としていかがなものかと思う訳です。

「人間を単なる自分たちが利益を得るための道具としてしか考えないような風潮の中で、人間関係がばらばらにされて家族まで崩壊していった」というのが彼の持論のようですが、これはまさしくマルクス「資本論」の基本的考え方です。今の企業経営者は彼が言うような短絡的なものの考え方で、一企業の経営が出来る訳がありません。マルクスから100年以上の時を経て、多くの企業家たちが様々な苦難と対面しながらマネジメントもまた進化を遂げてきているのです。実業経験もなく実態も知らずに、机上論だけで持論を展開し勝手な論理で結論を押しつけることこそ、一国の大臣として大問題であると思います。経済オンチの元警察官僚の戯言としか言いようがありません。経済の根幹を担う金融担当大臣としては間違いなく不適格な危険人物であると、世論、マスメディアは声を大にして言うべき時ではないでしょうか。