会期4日の国会は昨日衆院の代表質問に移りました。毎度のことではあるものの、気になったのは汚い「ヤジ」の多さ。いつもこととは言いながら、「国を運営する選ばし者」のするべき行為であるのかいささか違和感を覚えるシーンである訳です。
似たような類の“事件が”、鉢呂前経済産業大臣の辞任会見でありました。辞任を表明する大臣に、「何が原因で不信の念を抱かせたのか、言ってみって言ってんだよ!」という罵声が浴びせられたという件。もちろん声の主は新聞記者です。社名、名前も名乗らず、とのことでですから、これも「ヤジ」の部類です。挙句には首からかけた身分証まで隠したと。社会正義の追及を旨とする報道の人間としてあるまじき行為であります。一体この国の報道モラルってものはどうなってしまっているのでしょう。驚きを通り越して呆れるしかない状況であるとしか言いようがありません。
場面とその声の主によっては「ヤジ」という行為そのものを否定するつもりはありませんが、国会の代表質問における議員、記者会見における記者の立場として「ヤジ」はいかがなものなのでしょう。「ヤジ」は匿名の無責任発言であり、個々には力を持たない小市民が口々に「ヤジ」を飛ばすとこで権力に対して世論を知らしめる手段などとしては有効かつ正当な「ヤジ」であろうとは思いますが、立場あるモノが公式の場で自ら行うのはある種の「コミュニケーション放棄」であり、私は恥ずべき行為であると考えます。
形を変えた「ヤジ」としては、ネット上の2ちゃんねるやツイッターなどでの匿名発言もその類であり、先の「世論を知らしめるケース」ではありませんが、いい方向に作用することもあるものの、匿名故の無責任発言があらぬ“炎上”を生みだしたり、いろいろな問題を引き起こしてもいます。ネット・コミュニケーションの広がりによって、「ヤジ」の功罪はこれまで以上に明確になった感があるようにも思えます。
私が先の国会における「ヤジ」や記者会見における「罵声」を不快に感じるのは、ネット上の暴力的匿名無責任発言と同じ“卑怯な弱虫”の匂いを感じるからに他なりません。「どうせ面と向かっては言えないんだろ」「相手が強面なら言わないんだろ」と思える点も、「どうせネット上の匿名でなければ言えないくせに」と思わされる行為と全く同様です。このような観点で考えれば、賢い政治家や記者なら自分がしている「ヤジ」行為がネット上の暴力的匿名無責任発言と同じであるという愚かさに気がつくはずではないのでしょうか。日本の政治家やメディアの質の低下には目を覆いたくなるばかりです。
国会議員や新聞記者というとるべき行為のある立場の人間のあるまじき行動を監視できるのは、唯一メディアでしかないと思います。国会中継やそれを報じるテレビ・ニュースでも、「ヤジ」をテロップで流すなどというくだらないことをするのではなく、誰の発した「ヤジ」なのか明確に報道しあるいは発した者の顔を大写しにするなどして選んだ国民の前に晒し、「恥」を「恥」としてしっかり自覚させる必要があるのです。新聞記者も同様です。不要な「罵声」を浴びせた記者に対しては、幹事社の責任において「社名、氏名」を正し悪質なモノは退場を命じる等の対応も必要でしょう。記者クラブが“情報談合団体”で終わらないためにも必要な行為であると思います。
立場ある人間の「ヤジ」や「罵声」は、コミュニケーションの破壊行為に他なりません。コミュニケーションの悪さがあらゆる物事を停滞させ、また誤った方向にすすませることにもなるのです。メディアはそのような観点からも立場ある人間の無責任発言を監視し、自覚を促して欲しいと思います。
似たような類の“事件が”、鉢呂前経済産業大臣の辞任会見でありました。辞任を表明する大臣に、「何が原因で不信の念を抱かせたのか、言ってみって言ってんだよ!」という罵声が浴びせられたという件。もちろん声の主は新聞記者です。社名、名前も名乗らず、とのことでですから、これも「ヤジ」の部類です。挙句には首からかけた身分証まで隠したと。社会正義の追及を旨とする報道の人間としてあるまじき行為であります。一体この国の報道モラルってものはどうなってしまっているのでしょう。驚きを通り越して呆れるしかない状況であるとしか言いようがありません。
場面とその声の主によっては「ヤジ」という行為そのものを否定するつもりはありませんが、国会の代表質問における議員、記者会見における記者の立場として「ヤジ」はいかがなものなのでしょう。「ヤジ」は匿名の無責任発言であり、個々には力を持たない小市民が口々に「ヤジ」を飛ばすとこで権力に対して世論を知らしめる手段などとしては有効かつ正当な「ヤジ」であろうとは思いますが、立場あるモノが公式の場で自ら行うのはある種の「コミュニケーション放棄」であり、私は恥ずべき行為であると考えます。
形を変えた「ヤジ」としては、ネット上の2ちゃんねるやツイッターなどでの匿名発言もその類であり、先の「世論を知らしめるケース」ではありませんが、いい方向に作用することもあるものの、匿名故の無責任発言があらぬ“炎上”を生みだしたり、いろいろな問題を引き起こしてもいます。ネット・コミュニケーションの広がりによって、「ヤジ」の功罪はこれまで以上に明確になった感があるようにも思えます。
私が先の国会における「ヤジ」や記者会見における「罵声」を不快に感じるのは、ネット上の暴力的匿名無責任発言と同じ“卑怯な弱虫”の匂いを感じるからに他なりません。「どうせ面と向かっては言えないんだろ」「相手が強面なら言わないんだろ」と思える点も、「どうせネット上の匿名でなければ言えないくせに」と思わされる行為と全く同様です。このような観点で考えれば、賢い政治家や記者なら自分がしている「ヤジ」行為がネット上の暴力的匿名無責任発言と同じであるという愚かさに気がつくはずではないのでしょうか。日本の政治家やメディアの質の低下には目を覆いたくなるばかりです。
国会議員や新聞記者というとるべき行為のある立場の人間のあるまじき行動を監視できるのは、唯一メディアでしかないと思います。国会中継やそれを報じるテレビ・ニュースでも、「ヤジ」をテロップで流すなどというくだらないことをするのではなく、誰の発した「ヤジ」なのか明確に報道しあるいは発した者の顔を大写しにするなどして選んだ国民の前に晒し、「恥」を「恥」としてしっかり自覚させる必要があるのです。新聞記者も同様です。不要な「罵声」を浴びせた記者に対しては、幹事社の責任において「社名、氏名」を正し悪質なモノは退場を命じる等の対応も必要でしょう。記者クラブが“情報談合団体”で終わらないためにも必要な行為であると思います。
立場ある人間の「ヤジ」や「罵声」は、コミュニケーションの破壊行為に他なりません。コミュニケーションの悪さがあらゆる物事を停滞させ、また誤った方向にすすませることにもなるのです。メディアはそのような観点からも立場ある人間の無責任発言を監視し、自覚を促して欲しいと思います。
本当は、左翼のフリージャーナリストの売名に、昔かたぎの記者が引っ掛かっただけではあるまいか。
そんなことより、どうどうと釈明会見しない大臣や臨時国会を4日間しか開かない新政権の方がよほど本質だと思いますが。
ヤジと2chやTwitterを絡めるあたりも強引ですし、ご自分が実名プログだからと言って、匿名が特質のネットツールを卑怯呼ばわりするのも違うでしょう。薄い。
英語は、高度の考えを編み出すために適した言語である。
英米人の高等教育は、子供には学習が難しい彼らの国語 (英語) 教育である。
我が国には、英米流の高等教育は存在しない。
修業年限を英米と同じにするなどの教育制度の確立だけでは、高度な職業人を育成することは難しい。
我が国では最初から最後まで行われている丸暗記 (rote memory) と受け売り (regurgitation) の修行では、自らを決することが難しい。
これを「教養がない (uneducated)」という。子供のような状態かな、赤子かな。
自らを決することのできない人たちには、論点を定めることができない。
自分の意見を大声で言う、
相手をこき下ろす、
相手がしゃべっている最中に反対意見を言うなど、「議論をすれば、喧嘩になります」という事態が事実になる。
議論と無礼は同等と見なされているのかもしれない。
だから、礼儀正しい日本人は誰も議論をしたがらない。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、いつも静かに笑っている。
私は、そんな人にはなりたくない。
少しおかしくはありませんか。
自分に必要なものを、自分自ら手に入れるのが大人の態度でしょう。
片岡義男氏は、<日本語の外へ>の中の<頭のなかが日本語のままの英語>で次のように述べています。
友情関係はもっとも重要と彼 [宮沢喜一首相] は言ったが、その彼にはすでに失点がいくつかある。大統領選挙中に感想を求められた彼は、ブッシュさんに頑張っていただきたい、と日本国内で発言した。クリントン候補にはすぐに伝わったはずだ。ミュンヘンに向かう途中だったと思うが、首相は次のようにも言った。アメリカはなにかとお困りの様子で日本も心配していますから、お助け出来るための努力ならなんでもいたします。これに対するクリントン候補の反応は記録に残っている。余計なお世話だという意味で、アメリカは自分の欲するものは自分で勝ち取る、とクリントン候補は言った。フレンドシップやグッド・リレーションシップがそれほどに最重要なら、そのための絶好のチャンスである大統領就任式に、なぜ首相は欠席したのだろうか。(引用終り)
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
さすがですね。
心に響く言葉を評論家なら持ってください
政治家であるなら、まずは他の人の話を聞き
その上で自分の意見を言って下さい