日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「エシカル精神」の浸透が、新しい“復興日本”をつくる

2011-06-30 | マーケティング
ここ2、3年のことですが、「エシカル」という言葉がマーケティング用語的に使用され、消費のキーワードとして注目を集めています。「エシカル」の直接的な意味は「道徳的」とか「倫理的」とかといった言葉になるのですが、もともとはイギリスで道徳的でなかったり倫理的でなかったりする企業の製造物を排除しようという動きが市民運動的に盛り上がって一般にその名を知られるようになりました。具体的には、環境破壊的な材料調達をおこなっているとか、発展途上国の労働力を自己の利益のためのみに使用し発展支援を省みることなく搾取しているとか、そういう活動をしている企業の製品は購買を控えるなどの行動をとる運動がそれです。

このような、ややネガティブ・キャンペーン的な動きから誕生した「エシカル」ですが、英国を出て世界中に伝播していく過程において徐々にポジティブな運動に変貌を遂げてきています。すなわち、発展途上国の過疎の村で昔から生産されている織物を輸入して洋品にアレンジすることでその村の発展に寄与するといったような活動が、昨年あたりからわが国でも徐々に目立ちはじめてきているのです。今年の年初には、いろいろなトレンド情報誌などでも「エシカル」を消費マーケティングのキーワードに上げるような動きも見られていました。

ただこの手の話は「エコ」や「ロハス」の時もそうでしたが、我が国においてはどうも宗教的な背景に乏しい国民性の悲しさなのか、「実利」を実感させるものでないとなかなか本当の意味で根付きにくいというのも否定しがたい事実ではあります。現にCO2削減問題にからめて「エコ」が急激に注目度を高めたここ数年において、ようやく国民にその意識浸透を促したキッカケは、燃費を稼ぐエコカーとその購買を後押しした「エコカー減税」の実施であり、家電における「家電エコポイント」の実施でありました。エコカーこそは燃費メリットがあるが故に今後も「エコ」の牽引車役を務めていくのだとは思いますが、「エコカー減税」「家電エコポイント」の終了後は盛り上がりつつあった「エコ」機運もややさめ気味。“エコキャンペーン”は「エコ」意識を国民に植え付ける上で一定の成果はあったものの、まだまだ「道徳的」「倫理的」を最優先して物事を選択するような国民性の醸成にまでは至らなかったのが実情であると感じています。

そんな流れの中、次世代消費経済のキーワードである「エシカル」が我が国に定着するのかと言えば、昨年までの流れであれば「難しい」としか答えようがなかったでしょう。しかしながら、東日本大震災の発生によって事態は一変しました。私たち日本人の今は、被災地の人々の復興に向けた苦しい日々を新聞やテレビで見るにつけ「なんとか自分も力になれないものか」、そんなことを心から思う人間が本当にたくさん存在していると実感しています。「東北地方の野菜や肉や魚を、より多く消費することで復興の役に立ちたい」「東北地方の企業が作ったものをできるだけ多く使って自社製品を作りたい」、今日本のあちこちで聞かれる声はまさしく「エシカルの精神」なのです。英国的なネガティブな視点で言うなら、「被ばくが疑われる野菜は仕入れない」といった風評を煽るような行動をする企業の商品は排除していく、そんなことも「エシカル」の視点からは重要でしょう。いずれにしましても、震災発生により今こそ我が国でも国民性の根底に「エシカルの精神」が根付くチャンスを迎えていると言えると思うのです。

震災復興を単なる「復元」に終わらせたのでは我が国の発展はありません。「復元」ではなく「新生」こそが求められるものであり、そのためには国民性の部分にも震災を経てこそ成し得たと言える大きな成長が望まれるのです。私はそのキーワードとなりうるのが「エシカルの精神」なのではないかと思っています。政治も行政も、「復興」に対していかなる国民的成長ビジョンを描くのか明確にする必要があると思っています。今自然発生的に国民の間に芽生えている「エシカルの精神」を軸として、対処療法に終わらない復興ビジョンを国民に明示して欲しいと切に願って止みません。