静聴雨読

歴史文化を読み解く

震災記 Ⅱ

2011-05-23 07:16:18 | 社会斜め読み

 

(1)天災は忘れたころにやってくる

 

明治以来、三陸地方は3度の大津波を経験している。ということは、ほぼ40年に一回津波に遭っている計算になる。

先人たちは、津波に家をさらわれても、また、同じ場所に家を建て、また、さらわれ、を繰り返したのだろうか?

 

南三陸町を空から撮影した写真を見た。海岸べりの平地では、ほとんどの家が大津波にもっていかれて、跡形もない。ここに暮らしていた人たちの多くが津波の犠牲になったのもうなづける。

 

ただ、「うなづける」と片付けていいのか、という疑問は残る。

今回の大津波が想像を絶する規模だったことは不幸なことだったが、仮に、過去3度と同じ程度の規模だったとしても、同じく大きな被害を受けたであろうことは想像に難くない。つまり、ことばが厳しくなるが、過去3度の罹災経験を「忘れてしまった」のだ。「天災は忘れたころにやってくる」とはまさにこのことをいう。

 

特定の地域や特定の人たちだけのことではなく、少し、引いて、人類とは、あるいは、日本人とは、「忘れやすい」生き物なのだ。40年の歳月は忘却に十分な長さなのだろう。津波の経験が風化し、被災住民は元の場所に戻って生活の営みを再開し、行政もそれを容認してきたのだろう。その意味では、今回の大津波は、不幸な大規模災害であることは間違いないとしても、言いにくいことだが、一部分は「人災」の面も併せ持っているといわざるをえない。  

 

(2)歴史は繰り返す

 

今回の三陸沖を震源とする大地震とそっくり同じ型で同じ規模の地震が同じ場所で9世紀に起こっていた、というのが話題になっている。「貞勧地震」という。まさに「歴史は繰り返す」だ。昨年には研究者間で発表原稿がまとまり、どう発表するか、慎重に検討していたところ、発表前に今回の東日本大震災が起こってしまった、という。

 

また、三陸地方は、明治以来、3回も大津波に見舞われた経験があった。しかし、今回も大津波による犠牲者が大量に出た。3度の経験は生きたのだろうか?

 

三陸地方のある中学校では、「津波対処策」の訓練が授業に取り入れられていた。その行動指針はこうだ。

 

1 大地震が起きたら、まず、高台の避難所に逃げなさい。

2 その際、隣りの小学校の学童をエスコートしなさい。

3 避難所が絶対安全と思わず、危ないと感じたら、さらに高いところに逃げなさい。

4 先生の判断・指示を待つことなく、自分で判断して行動しなさい。

 

素晴らしい行動指針だと思う。

そして、この中学校の生徒は、今回、この行動指針通りに動き、一人の犠牲者を生むことなく、大津波をやり過ごすことができたという。これは、歴史の教訓から学習した例だ。  

 

(3)25%の節電(震災記)

 

311日の東日本大震災を受けて、東京電力の給電能力が大幅に低下して、東京電力配下の関東地方を中心とする地域では、「計画停電」を余儀なくされた。

 

一日に3時間程度電気が止まる、というのは近来にない経験だった。陽気がよくなって、暖房需要が少なくなり、「計画停電」は一時中止だ。

しかし、夏にかけて、エアコンによる冷房需要の爆発的増加が目に見えている。またまた、給電能力不足により、「計画停電」が復活するのが確実な情勢だ。

 

そこで、国を挙げて「節電」に努めるべし、と政府や東京電力がPRしている。その一つの目安が、「25%の節電」だという。

 

このような具体的目標をかかげることは結構だと思う。しかし、一律に25%節電せよ、というのは困る。産業界はとくに困っている。ヨーグルト製造業では、「計画停電」の発表を聞いた途端に、当日の製造を休止せざるを得ない、という。一日3時間の停電でも、微妙な温度管理が不可能になるので、まる一日製造を止めざるをえないのだ。現に、今でも、スーパーにはヨーグルトは置かれていない。

 

産業界を困らせる「計画停電」は是正すべきだ。それは、製造業だけではなく、農業・水産業・装置産業・流通業などに共通で、生産力を落とすような停電は何としても回避すべきだ。 

 

産業界を困らせる「計画停電」は考え物だが、サービス業・レジャー産業、そして、家庭では、「計画停電」を甘受してもいいのではないか。

 

ある駅の改札は4列あるうちの1列を「節電のため」閉鎖している。笑ってしまったが、1列閉鎖しても、客への影響はほとんどない。このような節電可能な設備・サービスは山ほどある。ショッピング・モールの明るすぎる照明、冬の電車内の暖かすぎる暖房、夏の電車内の冷えすぎた冷房、ドーム球場でのプロ野球、より大きなものの購入に誘導するような「エコ家電」奨励策、パチンコ屋やゲームセンターなどの営業、などなど。個別に洗い出して、節電に仕向ければよい。

 

次に家庭では、これまで何気なく贅沢にはまっていた生活を見直すいい機会だ。

富裕層の家庭で、4機使っていたエアコンを3機使用に抑えれば、25%の節電だ。その上で、冷房・暖房の設定温度を上げる(冷房の場合)か下げる(暖房の場合)かすれば、大幅に節電になる。今、設定温度を1度変えようというキャンペーンが張られているが、1度などと言わず、3度変えれば、記録的な節電になる。

 

昨年夏は猛暑で、エアコンの稼動により、電力消費量がハネ上がった。

その中、わが家では、エアコンなしで過ごした。何も、高尚な節電意識に基づいたものではなく、水モレの故障が発生して、依頼した修理屋が来ないため、やむを得ず、エアコンなしの生活を体験するハメになったのだ。

 

そこで経験したことは、「エアコンなしでも、何とかやっていける」ということだ。昼間の窓際は耐えられないほど暑かったが、中に入れば暑さは和らぐ。夜間は、窓を開ければ、風も通る。それでも耐え難ければ、外に出て、冷房の効いた施設に逃げ込めばいい。

 

今年の夏は過度のエアコン依存から脱却するチャンスではないか。 

 

(4)代替電力

 

東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の損壊が、原子力発電に対する根本的不安を生み出した。この不安はわが国でだけでなく、世界中の国々で、「原子力発電に頼っていていいのか?」という疑問が沸き起こっている。ドイツはその一例で、古い原発の再稼動を決めていたのを取り消して、再度凍結する処置を発表した。

 

原子力発電に依存することの是非は、広く文明論的課題として取り上げられる必要がある。

今回の福島原発の事故の直後に、ある「有識者」が、「石炭・石油・天然ガスなどの化石燃料はいずれ枯渇するのだから、原子力発電に頼らざるをえない」と発言していた。これでは、まるで「周回遅れのランナー」の発言ではないか?

 

化石燃料は枯渇化が進み、原子力発電のリスクも無視できなくなった今、「代替エネルギー」をどこに求めるべきか、というのが正しい論の立て方だ。

 

環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長は、「戦力的エネルギーシフト」を提唱している。(朝日新聞、2011413日朝刊)

「戦力的エネルギーシフト」とは、化石燃料と原子力による発電量を減らし、その分、自然エネルギー(水力・太陽光・風力・バイオマス・地熱)による発電量の比率を高めることを指している。もっともな提唱だ。

 

アメリカのオバマ大統領が原子力発電の推進を唱えたのは、原子力発電が二酸化炭素の排出量が少ない「クリーン・エネルギー」だという理由からであったが、手の負えない放射能汚染を撒き散らすことが現実化した今では、原子力発電がクリーン・エネルギーだとは誰もいわない。

 

もう一つの原子力発電推進理由として、経済的な発電コストが挙げられていた。しかし、これまで以上に安全対策を実施した場合に、果たして、それでも、原子力発電が安価な発電方法なのか、再検証する必要がある。

 

自然エネルギー(水力・太陽光・風力・バイオマス・地熱)による発電は、二酸化炭素の排出量が少ない「クリーン・エネルギー」であることは、原子力発電以上だ。

問題は、その発電コストで、それを引き下げる技術開発に国を挙げて取り組むべきなのだろう。

 

(5)コスモポリタニズム

 

311日の東日本大震災の被災地では、地震・火災・津波で多くの人が家を失った。加えて、福島第一原子力発電所での放射能もれで、近隣の人たちは家を追われた。その数20万人から30万人。

 

被災者の避難先には様々なパターンがある。1、地域の公共施設。2、県内の公共施設や住宅。3、他県の公共施設や住宅。中には、1→2、2→3と避難を複数回経験している人も多く、1→2→3と避難先を変えざるを得ない人もいる。避難に伴うストレスは計り知れない。  

 

さて、「コスモポリタニズム」という言葉がある。英和辞典には、「四海同朋主義」という訳語が載っているが、実情は少し違う。「コスモポリタン」といえば、「根無し草(デラシネ)」という祖国喪失者を指すけなし言葉なのだ。祖国に受け入れられず、祖国を捨て、世界を放浪する人は胡散臭い目で見られる。

 

インドを発端として、ヨーロッパ西端までさすらうジプシー。彼らがその典型だ。

また、薄汚い格好をして世界を放浪する日本人バックパッカーは、どの地でも歓迎されない。

 

一方、例えば、二十世紀のパリは、世界の文化人を集める「るつぼ」で、そこに集まる人たちは、まさにコスモポリタンであった。ロシア・バレーのダンサーや演出家たち、アイルランドから来たジェイムズ・ジョイス、アメリカから来たヘミングウェイやフィッツジェラルドなどの作家たち。彼らは、いずれもパリという「るつぼ」に吸い寄せられ、そこで自らの芸術家としての才能を熟成させた。

 

ヘミングウェイはパリで青春を謳歌したが、決して、パリだけに留まったわけではなく、スペイン内戦に志願したり、フロリダで隠居生活を営んだり、と住む場所にこだわらない。彼こそ、いい意味での「コスモポリタン」の典型なのだろう。

 

わが国では、堀田善衛が注目される。小説家である彼は、アジア・アフリカ作家会議のメンバーとして、世界の文学者と「政治と文学」について意見を戦わしてきた。そして、老年になると、スペインに長期間滞在して、「歴史と文学」に沈潜した。彼の思索の対象は、鴨長明、ゴヤ、モンテーニュだった。

 

「コスモポリタン」を「根無し草」と切り捨てる見方がある一方、「世界どこでも住める人」という見方もありうる。 

 

話戻って、東日本大震災の被災者はふるさとから引き離された避難生活を余儀なくされている。早く元の場所に戻りたいという被災者の心情がメディアを通じて伝えられている。

 

確かに元の場所に戻って昔の生活を取り戻すのも一法だが、別の生活設計もありうるのではないか? すなわち、避難先などに生活の拠点を移して、新規まき直しの生活を構想する道があるのではないか?

 

世界的に見ると、中国人は外国のどこの街にも住み着いて、そこに「中国人街」を作り上げている。移住先に溶け込みながら、一方で彼らの仲間の結束は強く、中国人のアイデンティティを保持し続けている。その生き方が一つの参考にならないか、と考える。

 

どこでも住めるという「コスモポリタニズム」の力を発揮する道があるのではなかろうか?

 

(6)復興の原動力

 

今回の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故は、世界にも大きく伝わった。中で、日本人の想像していない反応が世界各国から起こった。被災者の忍耐力・我慢強さ・ほかの被災者をいたわる思いやりなどが新鮮な感動を与えたらしいのだ。これは、アメリカやヨーロッパの国々のみならず、中国や韓国などの人びとも目を見張ったそうだ。

 

大江健三郎が、以前、広島の被爆者(『ヒロシマ・ノート』)や沖縄のアメリカ軍基地周辺で暮らす住民(『沖縄ノート』)の中に見出した decency (礼儀正しさ)ということばを思い出す。決して加害者をうらまず、与えられた悲惨を嘆かず、少しの希望を目標にして生活の再建を図る人びとに共通する心情を大江はdecency と表現した。このことばは、今回の大震災と原発事故の被災者にもあてはまるといえる。

 

あるいは、このdecency こそ、遺伝子に組み込まれた日本人の最大の財産なのではなかろうか? そして、このdecency が復興の原動力になるのではないかと確信しているところだ。

 (2011/4-5