静聴雨読

歴史文化を読み解く

国技かスポーツか、はたまた見世物か?

2011-02-13 07:04:29 | スポーツあれこれ

相撲を「国技」としてとらえるか、「スポーツ」と見做すか、二通りの考え方が国民にあることを紹介したのは、2007年のことでした。相撲がわが国の古来の「神事」であることを主張するのであれば、外国人力士を制限する「鎖国化」もやむをえません。一方、相撲は、アスリートの極限の身体能力を楽しむものだと主張するのであれば、外国人力士を制限するのはナンセンスで、「国際化」を推進せざるをえません。日本相撲協会はどちらの道を進むのか、というのが当時の関心事でした。

ところが、その後、日本相撲協会は、報道されたように、数々の不祥事を引き起こし、「鎖国化」か「国際化」か、という論を立てることさえ、無意味になりました。そこに来て、今回の「八百長相撲」のスキャンダルです。

「八百長相撲」に関与したとされる一人が、ほかにも大勢「八百長相撲」に関与しているといっていると報ぜられ、さらに、「八百長相撲」に関与した力士を糾合して「相撲レスラー協会」を設立する動きがあると、まことしやかに報ぜられてもいます。ここで、はたと膝をたたきました。そうか、その道があったか?

相撲の力士が日本相撲協会から離れて、プロレスに身を転じた例は過去にもあります。力道山、北尾、曙(現、ボノ)など。何十人ともいわれる「八百長相撲」に関与した力士が集まれば、一大プロレス勢力を形成できます。そして、そこでは、もう「八百長」をする必要もありません。プロレスとは「見世物」だからです。「見世物」が悪いイメージを引きずっているならば、「エンタテインメント」と言い換えても構いません。

ケーブル・テレビでアメリカのプロレス興行を見ることがあります。そこには、筋骨隆々たるレスラーがいて、華麗なプロレス技を繰り広げ、「ヒール」役のレスラーもいて、ヒーロー役のレスラーとの対決を演出し、悪徳マネージャーが観客の反発を煽り立て、色気たっぷりの女子レスラーや女子マネージャーが花を添える、という具合に完璧な「エンタテインメント」に仕上がっています。そこでは、観客の誰も、真剣勝負を求めたり、「八百長」を疑ったりしません。

「相撲レスラー協会」はこのアメリカのプロレス興行に範を求めればいいのではないか? 日本のプロレス興行がいま一つ面白みに欠けるのは、登場人物が完全な「エンタテイナー」に成りきれていないからだと思います。ここは、アメリカのプロレス興行のいいところを吸収すべきです。

相撲は、古来の「神事」を伝承する「国技」であり、身体能力を見せ付ける「スポーツ」でもありますが、そのほかに、相撲をベースにした「エンタテインメント」でもありうる、ということが、図らずも今回の「八百長相撲」がもたらした醒めた相撲観です。 (2011/2)