静聴雨読

歴史文化を読み解く

二つの文学全集

2009-08-10 01:00:00 | 私の本棚
多くの出版社が競うように文学全集を刊行したのは遠い昔のことになった。
今では、権威主義を嫌う風潮が盛んで、お仕着せの文学全集など歯牙にもかけないのだろう。
と思っていたのだが、このところ、また新しい流れが見受けられるようだ。それを書いてみよう。

池澤夏樹の個人編集になる「世界文学全集 全24巻」(河出書房新社)の刊行が始まった。
これは従来の「世界文学全集」の概念を大きく覆す試みに満ちている。

1.まず、「体系」を持たないこと。従来のものでは、古典から現代へ、とか、国ごとに括る、とか、配列に意を注ぐところだが、この全集では、24巻の配列に法則性がない。池澤の考えが隠されているのかもしれないが、それはわからない。

2.20世紀の小説家が選ばれているようだ。しかし、ジョイスとプルーストは選ばれていない。フォークナーとカフカは入っている。最初の5巻の作者を並べると、ケルアック、バルガス・リョサ、クンデラ、デュラス、サガン、ブルガーコフだ。知っている作家も知らなかった作家もいる。

3.初訳(初めての日本語訳)・新訳(新たな訳者による日本語訳)・全面改訳(従来の訳者による改訳)が多いのが意欲的だ。

4.装丁は、B6判カバー装で、函はつかない。函がつかないことが、従来の文学全集との違いを際立たせている。表紙は厚紙装で、なんだか、1950年代の装本のようで、いただけない。厚紙装は、時が経つと、温度や湿度の変化で張ってしまって元に戻らないのだ。

5.これだけ斬新な文学全集だが、タイトルが依然として、「世界文学全集」なのが微笑ましい。「二十世紀文学の精華」くらいのネーミングを考えてもいいではないか。

全巻揃えるつもりはないが、バルガス・リョサ『楽園への道』、田村さと子訳、を求めてきた。初訳である。ポール・ゴーギャンとフローラ・トリスタンの物語だそうだ。  

一方、日本文学全集では、これは少し古くなるが、1991年から刊行の始まった「ちくま日本文学全集 全60巻」が出色だ。

1.まず、池澤夏樹編の「世界文学全集」と同じく、体系を捨てたこと。刊行順に01から60までの番号がふってあるだけだ。

2.作家の選び方が柔軟だ。純文学の作家だけでなく、白井喬二、海音寺潮五郎などの大衆文学作家、夢野久作、江戸川乱歩などの推理作家、稲垣足穂、澁澤龍彦などの幻想作家、柳田國男などの思想家、も収録している。一方、従来の文学全集に「当然のように」割り当てられていた徳田秋声、横光利一、野間宏などはカットしている。

3.一巻に一作家を充てている。

4.A6判(文庫版)で、装丁は厚紙表紙・カバー装。一巻450ページ前後。この装丁は画期的だ。瀟洒な装本は思わず手に取りたくなる魅力に溢れている。

5.これだけ斬新な文学全集だが、タイトルが依然として、「ちくま日本文学全集」となっているのが、池澤編「世界文学全集」と同じで、微笑ましい。「近代文学のエスプリ」くらいのネーミングを考えてもいいではないか。

最近、この「ちくま日本文学全集 全60巻」から30巻を抜き出して再刊する動きが判明した。おそらく、評判がよくて、よく出たものの再刊なのだろう。装丁も若干変わり、厚紙表紙を止め、「ちくま学芸文庫」などと同じ材質の表紙になって一層親しみやすくなった。タイトルも「ちくま日本文学」(!)となり、永年のコブであった「全集」の文字がなくなった。これこそ画期的なことだ。

新しく近代文学に親しみたいという人には、文句なく、この「ちくま日本文学 全30巻」を推奨したいと思う。 (2008/2)

「ちくま日本文学」は10巻増巻して、全40巻となった。 (2009/7)