静聴雨読

歴史文化を読み解く

「分煙」から「断煙」へ

2006-11-30 05:37:49 | 社会斜め読み
喫煙者と非喫煙者とのバトルを振り返ると、非喫煙者の「嫌煙権」の主張の発生・進展の歴史であることがわかります。(伊佐山芳郎「嫌煙権を考える」、「現代たばこ戦争」、ともに岩波新書、を参照)
「嫌煙権」ということばはきついが、その意図は、「喫煙者の喫煙権を認めた上で、非喫煙者と共在する場所では喫煙しないでほしい」という、極めてつつましい権利の主張なのです。

一昔前の旅客機における「分煙」を思い起こします。「嫌煙権」の発生期のこと。
座席のある列から後ろが「喫煙席」として設定されていましたが、「禁煙席」との間に仕切りもなければ、エア・シャッターもありません。そのため、「喫煙席」で燻らすタバコの煙は遠慮なく「禁煙席」に侵入することになります。気密性の高い旅客機では、この弊害は致命的です。当時の「分煙」の実態はこのようなものでした。

その後、アメリカの航空会社の客室乗務員がタバコ会社に対して起こした「客室内での受動喫煙被害への賠償」訴訟が客室乗務員側の勝訴になったことなどを受けて、客室内での全面禁煙への動きが加速したことはご承知の通りです。

「分煙」の考え方は、喫煙者のマナー(非喫煙者への配慮)と施設(航空会社・病院・レストランなど)の努力に期待し・依存することを前提としています。しかし、喫煙者のマナーも施設の努力も自律的には良くならないというのが、悲しいかな、日本の現状です。
例えば、プロムナードに置いてある灰皿に群がってタバコを燻らす喫煙者に、そこから大量に流れる煙による受動喫煙に思いを致す優しい気持ちがあるでしょうか? また、例えば、しっかりとした仕切りやエア・シャッターを設けて、「喫煙席」と「禁煙席」を完全に分離しているレストランがどれだけあるでしょうか?

このような「分煙」の限界を突破するために広まってきたのが、「公共禁煙」の発想です。法律や条例によって「公共区域」における喫煙を禁ずる趣旨です。喫煙者や公共施設の管理者は、自律的な改善を期待されていないわけですから、恥と思わなければいけないでしょう。できれば、法律や条例によることなく、喫煙者と非喫煙者の共在が実現することが望ましい。

それが「断煙」の考え方です。喫煙のもたらす受動喫煙の機会を完全に排除するために、喫煙できる場所を限定し、その場所を隔離して、「煙を断つ」。そのためには、「公共区域」の範囲を広くとることが必須です。病院・レストランなどの公共施設はもちろんのこと、道路・公園・海浜などのオープン・エア・スペースや家庭内の居間・洗面所などの共用部分も「公共区域」とする考えを普及していく必要があります。「喫煙者と非喫煙者が共在する可能性のある場所では、非喫煙者の利益を優先して禁煙とする。」ということです。

「断煙」の考え方が広まると、喫煙者が自由に喫煙できる場所は、レストランなどの隔離されたスモーキング・エリア、家庭内の個室、喫煙者だけが集うスモーキング・クラブ、となりましょうか。しかし、それでいいではないですか。このような場所で、誰に気兼ねもなく、大っぴらに喫煙を謳歌できるのであれば。  (終わる。2006年11月)