静聴雨読

歴史文化を読み解く

公共禁煙の発想

2006-11-20 04:44:28 | 社会斜め読み
アメリカのハワイ州で「公共禁煙法」が施行されたという報道が踊っています。日本人が大勢押しかける大観光地だけに、日本人への影響を気にする論調が目立ちます。「公共禁煙」は、アメリカのニューヨーク市やサンフランシスコ市でも同様の条例がすでに施行されていますし、アイルランドでは2004年3月に「公共禁煙法」が施行されています。

ハワイ州の例では、病院・学校・レストラン・カフェなどが「公共区域」に指定された一方、海浜は除外されたようです。いかにもハワイらしい決め方です。

改めて、「公共禁煙」とはどういう意味だろうか、と問いを発してみたいと思います。「不特定の人々が集まる公共の場所では喫煙してはならない。」というのが素直な理解です。非常に深い理念を持つ発想であるといえます。「不特定の人々が集まるのだから、喫煙者・非喫煙者の区分をつけ難い。そのため、非喫煙者の利益を優先して禁煙とする。」ということです。

しかし、「公共区域」の定義の仕方で、「公共禁煙」の効果は大きく左右されてしまいます。病院・学校・レストラン・カフェなどが「公共区域」だという認識は広く広まっているようにも思います。しかし、そうなっていない国や地域もまだまだ多いのが実情です。
公園はどうか、海浜はどうか。もっと敷衍すれば、道路なども含めたオープン・エア・スペースを「公共区域」とする考え方はどれほど定着しているでしょうか? 疑わしい限りです。

喫煙者と非喫煙者がともに在る空間として最も身近なものは、家庭です。例えば、喫煙者の世帯主と非喫煙者の配偶者・子供とが暮らす家庭では、居間・台所・洗面所・便所・風呂場などは「公共区域」と設定すべきですが、この考え方はどこまで浸透しているでしょうか? 世帯主のパワー・ハラッスメントが横行しているのが現実ではないでしょうか?  (つづく。2006年11月)