読書の意欲があっても、活字が小さいと、非常に読みにくく、そのうえ、身も心も疲れる。
背や首の不快(だるさ)の遠因も、目にあるのでは?と、先日来考えるようになった。
前回、S眼科で受診したのは、
辛夷の花の咲く季節であった。
花を見て、こんなところに辛夷の木が…と、嬉しくなったのを覚えている。
平成16年以来、S眼下のお世話になっている。
半年に一度は受診するよう勧められているにもかかわらず、とかく日延べしがちであった。
白内障を指摘されたのは、もう30年も前のことである。
徐々に、進行はしているのだろうけれど、日常生活に不自由はない。
活字に無縁な暮らしをしていれば、進行に気付きもしないだろう。
3月に受診したころから、活字の読みにくさを、特に強く感じるようになった。
また、遠近両用のつもりで、老眼鏡をかけて外出しても違和感がなかったり、老眼鏡をかけてテレビを見ても平気であったり、老眼鏡との付き合い方がおかしくなってきた。
目に合っていないのかもしれないと思っていた。
白内障が、どう影響しているのかも、気がかりだった。
我ながら、自分の目の状況を、どう理解したらいいのかわからなかった。
そこで、3月の受診の折、手術はいつしたらいいのかを、先生に尋ねた。
すると、
「決めるのはあなたですから…」
と、おっしゃった。
正直、困惑した。
患者は何を基準に判断すればいいのか。
父は晩年、眼科にかかりながらも、手術の時機を逸した。
私は、そんなふうにはなりたくなかった。
半年以上経った今も、日常生活では、急に悪くなったという感じはない。
ただ体調は良くないし、近年、活字を読むには、明るい昼間か電気スタンドの真下か、とにかく明るさが必要だ。
それは白内障の進行によるものなのか、単に老いのせいなのか、よくわからない。
とにかく、老眼鏡の度を確かめてもらい、場合によっては眼鏡を作り直そうと思い立ち、昨日、S眼科へ行った。
視力検査で、眼鏡を作り直せば、今より活字の読みやすくなることが分かった。
そのあと、診察室で、先生の検診を受けた。
「かなり白内障が進行しているし、手術しますか」
と、おっしゃった。
思いがけない提案である。
可能な限り、本やPCと繋がって生きてゆきたい。
手術して、よく見えるようになるのであれば、手術してもらいたい。
私自身では決めかねることなので、先生の勧めに応じることにした。
かくして、あっさりと手術することが決まった。
と言っても、待機患者がかなりあるようで、年が明けてからの手術である。
<来年の事を言えば鬼が笑う>の、来年の話。
一瞬、命があるかな? と思ったが、今から4か月先のことである。
なんとかその日を迎えて、術後の風景がどう変わるか、確かめてみたいものだ。
「眼鏡はどうされますか」
と、尋ねられた。
「作り直した眼鏡が、手術後使えるかどうか? もう少し様子みます?」
とおっしゃる。
結局、今作りかえるのは、見合わせることにした。
いきなり手術の話になったのは、白内障の進行が、意外に早かったということなのだろうか。
詳しいことはわからない。
病院を出た時、患者を下したタクシーが止まっていた。
それを利用しようかと思ったが、スーパーまでは歩くことにした。
歩いてよかった。
途中、辛夷の高い梢の葉陰に、
赤い辛夷の実を見つけることができたのだった。
初めて見る実であった。
これから殻が割れ、白い糸を垂らすのだろうか。
日ごと眺められなくて残念だ。
帰途、川沿いの道には、曼珠沙華が咲き残り、群生するコスモスもあった。
橋の上に立つと、はるか下の川面に、二羽の鴨と鯉の群れを眺めることもできた。
歩くと、いい風景にも出会える。
家を出るときは、鰯雲の広がる秋空(下の写真)であったが、土手を歩く昼前には、かなりあやしげな雲に変わっていた。
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