ぶらぶら人生

心の呟き

終戦記念日

2018-08-15 | 身辺雑記
 一年に一度訪れる八月十五日。
 戦争という馬鹿げたことで、不幸を招くことのないよう、誰もが自覚する日となれば、今日という日が、意義深いものとなるだろう。
 戦争の犠牲者は、戦没者やその遺族、広島や長崎の被爆者だけではない。無辜の民の命がどれだけ失われたことか。生き残りはしたものの浮浪者となった多くの子どもたちの、無残な辛さや悲しみをも戦争は残した。
 人間の歴史を思い返すと、遠い昔から、古今東西を問わず、無為な戦いがどれだけ繰り返されたことか!
 気づけば、戦争に巻き込まれているというような、過去の世代が経験したような悲しみが、繰り返されないように!
 一人一人が自覚し合えば、終戦記念日の意義が深まるだろう、と式典を見ながら思う。


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 私生活の面では、少々疲れを感じる日であった。
 今回持参した斎藤孝著『声に出して読みたい日本語 2』を読む。
 この本には、朗読にふさわしい各種の文章が載っていて学ぶことも多く、面白い。
 実際に声に出して朗読したり、改めて語句や表現に潜む奥深さを味わったり……。

           

 ついには立ち上がって、『ゴンドラの唄』(吉井勇)、『かなりや』(西條八十)、『あおげば尊し』を歌ったりもした。(YouTubeの曲に合わせて。)

 特に『ゴンドラの唄』については思い出が深い。昔見た映画、黒澤明監督の「生きる」のなかで、主人公を演じる志村喬の歌う場面、特に最終場面の公園でブランコに乗って歌う情景が印象に深く残っている。
 渋い歌声と人生の悲哀が、今でも鮮明に蘇ってくる。

 映画「生きる」を一緒に見、互いに涙目のまま街を歩いた友だちは、大学を出て数年後には故人となった。今までにも、ブログに幾度か書いたが、小、中、高、大学での最も親しかった友人は、皆故人である。しかも、不思議なことに不惑の年に達することなく亡くなっている。一番虚弱であった、しかも能なしの私だけが、生き残っているのは不思議なことである。

 YouTubeでは、森繁久弥と藤圭子の唄を聞いた。森繁久弥の『ゴンドラの唄』は、映画の志村喬と同様に、四つの小節中の一と四だけであった。(藤圭子の場合は、一、二、四の歌詞)
 『ゴンドラの唄』の作詞者が、歌人の吉井勇であることは、今日初めて知った。

 起立して、朗読したり、歌ったりしているうちに、少し元気が出てきた。
 私は、色々な姿勢の中で、起立している姿勢が一番楽なように思う。しゃがむ姿勢が最も苦手、正座も長続きしない。椅子もあまり好きではない。
 私の好みは、起立か横臥! 
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