ぶらぶら人生

心の呟き

10月終わる

2014-10-31 | 身辺雑記
 10月、最後の日となった。

 近所の人が、ガン手術を受け、現在、抗癌剤治療を受けておらることを知った。
 術後、4か月も経って、その事実を知るとは!

 近所の情報が、耳に届かない。
 過日亡くなられた、一つ年長の女性も、死因はガンであったと、今日聞いた。
 通夜の当日、私ばかりでなく、病んでおられることさえ、近所の人のほとんどが知らなかった。
 入院しておられたのかどうかさえ、いまだに知らない。

 まるで大都会に住んでいるかのような、希薄な人間関係である。
 さっぱりしているともいえるし、至極寂しいことともいえる。

 近所へお見舞いに出かけた。
 全く知らずにいて、お見舞いの遅れたことを詫びて。

 比較的親しい人なので、いろいろな話をうかがった。
 手術よりも、術後の抗癌剤治療が大変らしい。
 そのことについは、聞き及んでいたけれど、治療中の人から直接話を聞くのは、今日が初めてであった。

 髪が完全に抜け落ちていた。
 でも、枕のうえに、黒髪がばさばさ落ちるのをみるより、よほど気分が楽である、と。
 その心境を察することができる。
 辛い日々だっただろうと思う。
 そしてこれからも、しばらくは。

 ホスピスのある病院に移って、緩和ケアを受け、楽になりたいと思った日もある、とも語られた。
 今なお、抵抗力がなくて、疲れやすく、足が弱ってしまった、etc。

 ガンの患者数は、増え続けているようだ。
 私のような高齢の場合は、ガンとともに生きる生き方の選択も可能であるが、若い人はそうもゆくまい。
 病は、みな大変だ。
 その中でも、ガンは、やはり相当厄介な病のようだ。

         
          × × × × × × × × × × × × × 


 先日、佐藤愛子さんの『箴言集』<ああ面白かったと言って死にたい>を読んだ。
 著者は私より10歳年長なので、現在、91歳を生きておられる。
 
 この箴言集は、多数ある著作から、編集者が、名句名言を抜粋し、編集されたものである。
 私は、著者のような、しっかりした生き方はできないけれど、心の持ち方については共鳴することが多く、そのいくつかをメモした。
 それを読み直してみると、私の現在に関わるものばかり……。(下記のとおり)
 『箴言集』の中身は、もっと多種多様なものなのである。
 

   ※ 人間すべて老いれば孤独寂寥に耐えねばならないのである。   
     それをしっかり耐えることが人生の総仕上げなのだ。(P16)

   ※ 長生きして我慢の力を涵養し、自然に枯れて行って枯木のように
     朽ち倒れる――。
     それが私の理想の死である。
     枯れ朽ちて死んだ身には葬儀など、どうでもよい。葬儀は死者のため
     のものではなく、遺された人のセレモニィであろう。義理の花輪が立
     ち並び弔問客が大勢集まったとしても、次元の違う世界に行った魂に
     は嬉しくも何ともないだろう。(P33)

   ※ どんなふうに死にたいか、と私は時々自分に訊ねる。殆どの人が
     願うように私もやはり「ポックリ」死ぬことが理想である。しかしそ
     んな幸福な人はごく少数の選ばれた人たちであろうから、私はやがて
     訪れる私の死を何とか上手に受け容れたいと考える。上手に受け容れ
     るということは、出来るだけ抵抗せず自然体で受け入れたいというこ
     とだ。(P36)

     ……死を拒否しようと努力するのではなく、馴染んでおきたいと思う。
     少しずつ死に近づいていよう。無理な健康法はするまい。不自然な長
     命は願わない。余剰エネルギーの始末に苦しまなくてもいいように、
     身体に鞭打って働きつづけよう。(P37)

   ※ 人生は美しいことだけ憶えていればいい――。私はそう考えている。
     苦しいことの中に美しさを見つけられればもっといい。
     「――ああ面白かった」
     死ぬ時、そういって死ねれば更にいい。私はそう思っている。(P43) 

   ※ 人間、ムリはいけない。どんなことであれ、そう「したいからする」
     のでなくてはならない。(P60)

   ※ 人は元気なうちにしておかなければならないことが沢山ある。我慢の
     力を養っておくのもそのひとつだ。私は将来、重病になって苦痛と戦
     わなければならなくなった時のことをよく考える。薬の力の及ばない
     苦痛に襲われた時は、我慢の力頼りである。元気な時から苦痛を逃れ
     ることばかり考えていると、その時になって七転八倒しなければなら
     ない。それは困る。(P114)

   ※ 人は一人一人みな違う。その人その人の体質や気質、病状に、その原
     因によって身体によいものは違ってくる筈である。あれを食べよ、こ
     れは食うなと専門家は知識によって指導するが、それが効果を上げる
     場合もあればそうでない時もある。確実なことは「その時のその人に
     とって必要な食物」であり必要な運動である。だから私は一般的な健
     康法や健康食品に関心がない。(P117)
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