ぶらぶら人生

心の呟き

5月の庭 (窓辺の花たち)

2010-05-17 | 草花舎の四季
 五月晴れの日が続いている。
 今日は、昼間の温度が、28.2℃に上がったと、ニュースが報じていた。
 日傘をさして、草花舎へ出かけた。

 一週間ぶりの庭は、植物の佇まいに変化があった。
 今日は、窓辺の白い花が目立った。
 テイカカズラや白い薔薇など。
 緑の溢れる五月の庭でもある。

 入り口に近いところにも、テイカカズラの一叢があり、開かれたドアから、馥郁たる香が運び込まれていた。季節の香である。
 五感を通して、季節を楽しむ。 


      

             

 窓辺には、他の花も咲いている。年年歳歳、同じ位置に咲く花たち。

      

             

 庭には、その名を呼べるものや見慣れぬ花など、いろいろ咲いている。
 街中で、親しそうに会釈をされても、その氏名を思い出せないことがあるように、花々にも疑問符つきの出合いが多い。
 老化も手伝って、覚えたはずの名もよく忘れ、花々にも失礼を繰り返している。

      

 先日、ヨウちゃんからもらった花と同じ植物が、庭に咲いていた。
 ここにもあった! と、親しみを覚えた。
 源平菊である。

             

 クレマチス他。

  


 かなり遅れて、スーザンさんが来られた。
 先日初めてお会いしたカナダの若き振付家も一緒に。
 二人が、一週間前と同じ席で昼食を食べておられる間、私はコーヒーを飲みながら、カウンター席で、Yさんが見せて下さった本をめくった。
 英国のエドワード・バッチ博士(1886~1936)の提唱されたフラワーセラピーの世界を紹介した『心を癒す花の療法』という本であった。
 私のように心の弱い人間は、気から病を生むことが多い。強そうな人でも、少なからず似たような一面があるに違いない。
 そんな人間を救う一つの手立てが、<花の療法>なのであろう。
 博士の治療法が、現在どのように役立てられているのか知らないが、人が病むときには、必ず心と身を同時に病む。
 心の癒しにフラワーセラピーは、大いに活用されてよいのではないか。
 斜め読みをしながら、そんなことを考えた。
 折から、テイカカズラの花の香に心を癒されながら。

 スーザンさんたちに「お先に」と言って、お店を出ようとしたところ、スーザンさんも一緒に帰ると立ち上がられた。同伴の客は、草花舎に残られた。
 道々、取り留めなく単語での会話?をしながら帰ってきた。
 国道わきの空き地で、枯れ草に火がつけられ、風にのって煙が一面に漂っていた。
 私がゆっくりと<煙><焚き火>と発音すると、スーザンさんは、発音を真似て繰り返される。
 次いで、似た構成の語の<花火>を、スーザンさんは思い出された。
 夏に、花火を見られたのだろう。
 私は、<火(ひ)>に修飾の語が重なると、<焚き火(び)><花火(び)>のように濁音になることをスーザンさんに、うまく伝えることはできない。
 <野火>も同じだなと思っていると、折から強風が、スーザンさんの帽子を飛ばしそうになった。
 <風が 強い!>と私が言うと、<ツ ヨ イ ?>とスーザンさんは一音一音発せられた。<そう、つ よ い。 strong >と、私はふと思いついた単語を発した。
 スーザンさんは空を指して、<SKY ツヨイ?> <NO>
 海のある方角を指して、<SEA ツヨイ?> <NO>
 拳を握って男性のスタイルを表現し、<MAN ツヨイ?> <YES!>
 二人は高らかに笑いながら、互いにお粗末な異国語を言い合うのだった。

 <風が強い>という場合の<強い>は、<strong>では、まずいのだと気づいた。
 どう言えばいいのだろう?
 <hard>? <blowing hard>?
 と、口の中で言ってみる。

 日本語も英語も、難しい。
 せめて英単語の数を少しでも増やそう、そんなことを思いながら、私の家の前で、スーザンさんと別れた。
コメント
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