五月晴れの日が続いている。
今日は、昼間の温度が、28.2℃に上がったと、ニュースが報じていた。
日傘をさして、草花舎へ出かけた。
一週間ぶりの庭は、植物の佇まいに変化があった。
今日は、窓辺の白い花が目立った。
テイカカズラや白い薔薇など。
緑の溢れる五月の庭でもある。
入り口に近いところにも、テイカカズラの一叢があり、開かれたドアから、馥郁たる香が運び込まれていた。季節の香である。
五感を通して、季節を楽しむ。
窓辺には、他の花も咲いている。年年歳歳、同じ位置に咲く花たち。
庭には、その名を呼べるものや見慣れぬ花など、いろいろ咲いている。
街中で、親しそうに会釈をされても、その氏名を思い出せないことがあるように、花々にも疑問符つきの出合いが多い。
老化も手伝って、覚えたはずの名もよく忘れ、花々にも失礼を繰り返している。
先日、ヨウちゃんからもらった花と同じ植物が、庭に咲いていた。
ここにもあった! と、親しみを覚えた。
源平菊である。
クレマチス他。
かなり遅れて、スーザンさんが来られた。
先日初めてお会いしたカナダの若き振付家も一緒に。
二人が、一週間前と同じ席で昼食を食べておられる間、私はコーヒーを飲みながら、カウンター席で、Yさんが見せて下さった本をめくった。
英国のエドワード・バッチ博士(1886~1936)の提唱されたフラワーセラピーの世界を紹介した『心を癒す花の療法』という本であった。
私のように心の弱い人間は、気から病を生むことが多い。強そうな人でも、少なからず似たような一面があるに違いない。
そんな人間を救う一つの手立てが、<花の療法>なのであろう。
博士の治療法が、現在どのように役立てられているのか知らないが、人が病むときには、必ず心と身を同時に病む。
心の癒しにフラワーセラピーは、大いに活用されてよいのではないか。
斜め読みをしながら、そんなことを考えた。
折から、テイカカズラの花の香に心を癒されながら。
スーザンさんたちに「お先に」と言って、お店を出ようとしたところ、スーザンさんも一緒に帰ると立ち上がられた。同伴の客は、草花舎に残られた。
道々、取り留めなく単語での会話?をしながら帰ってきた。
国道わきの空き地で、枯れ草に火がつけられ、風にのって煙が一面に漂っていた。
私がゆっくりと<煙><焚き火>と発音すると、スーザンさんは、発音を真似て繰り返される。
次いで、似た構成の語の<花火>を、スーザンさんは思い出された。
夏に、花火を見られたのだろう。
私は、<火(ひ)>に修飾の語が重なると、<焚き火(び)><花火(び)>のように濁音になることをスーザンさんに、うまく伝えることはできない。
<野火>も同じだなと思っていると、折から強風が、スーザンさんの帽子を飛ばしそうになった。
<風が 強い!>と私が言うと、<ツ ヨ イ ?>とスーザンさんは一音一音発せられた。<そう、つ よ い。 strong >と、私はふと思いついた単語を発した。
スーザンさんは空を指して、<SKY ツヨイ?> <NO>
海のある方角を指して、<SEA ツヨイ?> <NO>
拳を握って男性のスタイルを表現し、<MAN ツヨイ?> <YES!>
二人は高らかに笑いながら、互いにお粗末な異国語を言い合うのだった。
<風が強い>という場合の<強い>は、<strong>では、まずいのだと気づいた。
どう言えばいいのだろう?
<hard>? <blowing hard>?
と、口の中で言ってみる。
日本語も英語も、難しい。
せめて英単語の数を少しでも増やそう、そんなことを思いながら、私の家の前で、スーザンさんと別れた。
今日は、昼間の温度が、28.2℃に上がったと、ニュースが報じていた。
日傘をさして、草花舎へ出かけた。
一週間ぶりの庭は、植物の佇まいに変化があった。
今日は、窓辺の白い花が目立った。
テイカカズラや白い薔薇など。
緑の溢れる五月の庭でもある。
入り口に近いところにも、テイカカズラの一叢があり、開かれたドアから、馥郁たる香が運び込まれていた。季節の香である。
五感を通して、季節を楽しむ。
窓辺には、他の花も咲いている。年年歳歳、同じ位置に咲く花たち。
庭には、その名を呼べるものや見慣れぬ花など、いろいろ咲いている。
街中で、親しそうに会釈をされても、その氏名を思い出せないことがあるように、花々にも疑問符つきの出合いが多い。
老化も手伝って、覚えたはずの名もよく忘れ、花々にも失礼を繰り返している。
先日、ヨウちゃんからもらった花と同じ植物が、庭に咲いていた。
ここにもあった! と、親しみを覚えた。
源平菊である。
クレマチス他。
かなり遅れて、スーザンさんが来られた。
先日初めてお会いしたカナダの若き振付家も一緒に。
二人が、一週間前と同じ席で昼食を食べておられる間、私はコーヒーを飲みながら、カウンター席で、Yさんが見せて下さった本をめくった。
英国のエドワード・バッチ博士(1886~1936)の提唱されたフラワーセラピーの世界を紹介した『心を癒す花の療法』という本であった。
私のように心の弱い人間は、気から病を生むことが多い。強そうな人でも、少なからず似たような一面があるに違いない。
そんな人間を救う一つの手立てが、<花の療法>なのであろう。
博士の治療法が、現在どのように役立てられているのか知らないが、人が病むときには、必ず心と身を同時に病む。
心の癒しにフラワーセラピーは、大いに活用されてよいのではないか。
斜め読みをしながら、そんなことを考えた。
折から、テイカカズラの花の香に心を癒されながら。
スーザンさんたちに「お先に」と言って、お店を出ようとしたところ、スーザンさんも一緒に帰ると立ち上がられた。同伴の客は、草花舎に残られた。
道々、取り留めなく単語での会話?をしながら帰ってきた。
国道わきの空き地で、枯れ草に火がつけられ、風にのって煙が一面に漂っていた。
私がゆっくりと<煙><焚き火>と発音すると、スーザンさんは、発音を真似て繰り返される。
次いで、似た構成の語の<花火>を、スーザンさんは思い出された。
夏に、花火を見られたのだろう。
私は、<火(ひ)>に修飾の語が重なると、<焚き火(び)><花火(び)>のように濁音になることをスーザンさんに、うまく伝えることはできない。
<野火>も同じだなと思っていると、折から強風が、スーザンさんの帽子を飛ばしそうになった。
<風が 強い!>と私が言うと、<ツ ヨ イ ?>とスーザンさんは一音一音発せられた。<そう、つ よ い。 strong >と、私はふと思いついた単語を発した。
スーザンさんは空を指して、<SKY ツヨイ?> <NO>
海のある方角を指して、<SEA ツヨイ?> <NO>
拳を握って男性のスタイルを表現し、<MAN ツヨイ?> <YES!>
二人は高らかに笑いながら、互いにお粗末な異国語を言い合うのだった。
<風が強い>という場合の<強い>は、<strong>では、まずいのだと気づいた。
どう言えばいいのだろう?
<hard>? <blowing hard>?
と、口の中で言ってみる。
日本語も英語も、難しい。
せめて英単語の数を少しでも増やそう、そんなことを思いながら、私の家の前で、スーザンさんと別れた。