ぶらぶら人生

心の呟き

寸感・寸描

2009-02-16 | 身辺雑記
  ▼ チャイコフスキー(1840~1896) 交響曲第6番ロ短調「悲愴」

 昨夜、N響アワーの時間、キタエンコ指揮の「悲愴」を聴いた。
 わけもなく、涙を流していた。自分でも明快に涙のわけを分析できない。老いて、ますます涙もろくなったのだろうか。
 演奏を聴きながら、過去から今に至るまでを回想していたことは事実である。
 
 50余年前、勤め始めて間もなくのころ、<白鳥>という音楽喫茶ができた。
 いつもクラシック音楽が流れており、当時、多くの喫茶店がそうであったように、読書にはやや不向きなくらい照明を落とし、音楽を聴いて心安らげる雰囲気が演出されていた。
 私は勤め帰り、帰宅のバスを待つ間、よくその喫茶店に入った。今は、多くの人が喫茶店を利用するようになったけれど、当時、田舎町の喫茶店には、客が少なかった。ひとりで、チャイコフスキーを聴き、コーヒーを飲むことが多かった。

 昔から、コーヒーが好きで、生涯に飲んだコーヒーの量はどれほどになるのか分からない。勤め始めて間もないころの給料は激安であったが、家から通勤していたので、コーヒー代には事欠かなかったようだ。一杯50円の時代であった。

 ひとりで<白鳥>に入るときには、いつも「悲愴」をリクエストした。
 永らく聴くことのなかった「悲愴」を、昨夜聴いたのであった。
 諸々の感情が去来して、当然だったのかもしれない。
 曲想は、すぐ思い出せたけれど、当時聴いていた演奏の指揮者が誰であるかも知らなかったし、昨夜、聴いたキタエンコとの違いが分るわけでもない。

 ただ、「悲愴」に限らず、チャイコフスキーは好きで、CDを幾枚か持っている。カラヤン指揮のものが多い。
 今また、カラヤン指揮の「悲愴」を聴きながら、自分で入れたコーヒーを飲んでいる。
 この曲は、チャイコフスキーにとっての「白鳥の歌」でもあるという。56歳の生涯を終えたのは、この交響曲を作曲し、「悲愴」と自ら名づけ、自らが指揮して間もなくであったと聞く。
 この曲の背景にある悲愴な趣は、当時のロシア全体に漂う、暗鬱な社会のやりきれなさと無縁ではないのだろう。
 今の日本や世界の情勢にも思いを馳せながら、今朝はカラヤンの「悲愴」を聴いた。


  ▼ 江戸の絵師 岩佐又兵衛(1578~1650)

 昨日のNHK新日曜美術館で、岩佐又兵衛を取り上げていた。
 この画家の絵を詳しく見るのは、二度目である。
 「山中常盤物語絵巻」の作者が、岩佐又兵衛に違いないとみなされるようになったのは近年のことで、辻惟雄氏の功績だという。
 昨日も、解説者の席には、辻惟雄氏が座っておられた。もう一人記録映画作家の羽田澄子氏と。
 又兵衛の色彩や細密な描写には感心する。
 ただ、山中常盤物語の、血なまぐさい場面描写からは、昨夜も目をそらしてしまった。いくら名画であっても、血を見るのは厭だし、戦争や殴り合いのシーンも、主題とは関係なく厭である。
 しかし、岩佐又兵衛は幼少にして、一家皆殺しに遭遇するという、数奇な運命を背負っていた人だと聞けば、あの、容赦ない殺戮場面を描いた気持ちも、理解できないわけではない。


   ▼ ホームレスの歌人

 今朝の朝日歌壇で、また、ホームレス、公田耕一さんの歌に出合った。

  哀しきは寿町と言う地名長者町さへ隣りにはあり

 高野公彦選となっていて、
 <歩みゆく横浜市内の町名に皮肉を感じたのであろう。>との選評が出ていた。

 ホームレスは、大都には、珍しくないのだろう。
 私は、上京の際、上野公園でいつも目にするくらいだが、哀しい社会現象である。昨年末以来、さらにその数は増えているらしいことを考えると、心が痛む。

 朝日新聞の文化欄にも、<謎のホームレス歌人>(縦見出し)、<朝日歌壇に入選重ねる>(横見出し)とあって、入選歌を取り上げ、この歌人に関する記事が載っていた。
 

 <歌壇係には、ホームレス歌人を思う歌や「短歌を拠(よりどころ)に生きぬいて」などの励ましが寄せられているが(ホームレス)では、これらの厚意は届けられない。公田さん、なんとか連絡が取れませんか。あなたが手にすべき入選一首につきはがき10枚の投稿謝礼も宙に浮いているのです。>

 とも、記してあった。選外歌には、

  百均の⁽赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞

 という歌も投稿されているらしい。
 今日は月曜日。公田さんの目に、この記事が止まるといいのだが……。
 私も過日、公田さんの歌が気になり、ブログに一度書いたことがる。 


             

 (写真 花数がなかなか増えてくれない、わが家の臘梅。)