ぶらぶら人生

心の呟き

天童荒太著『悼む人』を読み終えて

2009-02-11 | 身辺雑記
 随分難儀な読書であった。
 私は、いくたび読みかけの本を机に伏せ、頬を膨らませて、大きな息を吐いたかしれない。時には立ち上がり、廊下を一巡して気分を鎮めなくてはならなかった。
 それでも、読み始めた作品から、逃げ出そうとは思わなかった。
 9日に読み始めて、今日読了した。

 過日、この作品『悼む人』で、天童荒太氏は、直木賞を受賞された。
 赤旗新聞の日曜版(2月1日)が、一面を使い、<ひと>欄で取り上げていた。勿論、他紙も話題作として記事にしていた。
 それらに接して、読んでみるに値する小説であろうと思った。
 が、実は、天童荒太氏の前作『永遠の仔』を読了せず、書棚に立てたままにしている。『悼む人』を求める前に、まずは、その長編小説(上下二巻)を読んでからのことにしようと思った。
 そして、2月の1日から、『永遠の仔』を読み始めたのだった。
 その翌日の2日の朝であった。ATさんが来宅、
 「読まれましたか?」
 と、『悼む人』を貸してくださったのだ。

 身辺の雑用にも追われ、心身疲労気味で、『永遠の仔』も、上巻の第四章の途中で中断している。長編『永遠の仔』を読了するには時間がかかりそうである。そこで、お借りしている本を先に読もうと、一昨日、『悼む人』を読み始めたのだった。

 力作である。
 冒頭でも書いたが、こんな難儀な小説は、実に久しぶりであった。
 
 登場人物の人生がみな重い。
 赤旗の見出しには、<命に軽重をつける世界問う>とある。
 確かに主眼はそこにあるのだが、この小説の奥深さはそれだけではない。
 生とは、死とは、愛とはと、人間の生き方を考えざるを得ないないような内容なのである。それらをテーマとする小説は、数限りなくある。が、『悼む人』は、軽く読み流せない深遠な世界を扱っている。
 読みながら、とにかく辛かった。
 登場人物はみな、幼児期に、後の生き方、考え方を左右し決定付ける、何らかの体験をしている。こうした設定は、この作者の特徴の一つなのかもしれない。

 主人公は、全国を歩き、死者を悼む坂築静人。
 末期がんを病んでいる静人の母、巡子。
 破れかぶれな感じのする、人間不信の最たる週刊誌記者、蒔野抗太郎。
 夫(甲水朔也)を殺して、刑期を終えた奈義倖世。
 その他、etc.
 それらの人物が絡まりあいながら、悼む人、静人が描かれ、その生き方を通して、死者を悼むことの意味が問われてゆく。

 自らの人生に照らし合わせ、生とは、死とは、愛とはと、真剣に考えさせられてしまう作品である。
 後々まで重くのしかかりそうな作品であった。

 もっと書き留めたいことがあるのだが、このところ、頭の回転が鈍く、書く気力も少々萎え気味で、思うように書けない。ここらで、一応置くことにする。

              

 上の写真は、私の気分を慰めるかのように、裏庭に今日初めて咲いた椿。

祈り (2月の満月)

2009-02-11 | 身辺雑記
 昨夜は、満月だったように思う。
 寝室に移動しようとして、玄関が明るんでいるのに気づき、庭に出てみた。
 暦を確かめたわけではないけれど、隣家の屋根の上にある月は、ほぼ満ちた形に見えた。(写真)

              

 庭に降り立つと、寒さが身に沁みた。さすがに2月の夜である。
 昨夜、この月をどれだけの人が、どんな思いで眺めていたのだろう?
 私は、ただ祈るのみであった。<人も吾も、平穏であれかし>と。


 さっき、郵便物を投函するため、駅前のポストまで行ってきた。
 風景が黄色に霞んでいた。太陽はあるのに、地面に映る電柱も私も、その影は淡く頼りなげであった。
 黄砂の第1号ではあるまいか?
 <黄砂>は、『歳時記』では、<霾(つちふる)>の項に出ている。
 昨年だったか、調べて知ったことを思い出しながら歩いた。
 そして、今日のようなお天気は、<霾晦(よなぐもり)>と、説明してあったように思う。