ぶらぶら人生

心の呟き

2月の庭 (クリスマスローズの蕾ほか)

2009-02-06 | 草花舎の四季
 午前中は、3組の来訪者があった。
 最初に、浄蓮寺住職の早川さん。仏壇の大きさをご自分の目で確認し、相談の上、本山にお願いする本尊を決めてくださった。
 お急ぎの様子でもなかったので、一緒にコーヒーを飲みながら、小林一茶の句に潜む仏教的な視点について、話を聞いた。それは、遷座のお勤めに来てくださったときの延長上の話である。
 早川さんは、これから入院中のご母堂様を見舞ってから帰られるとのことだった。
 心配事の種類は、人によって様々だ。
 それにしても、平穏無事、苦悩のない日々は、人生のどれほどのパーセントを占めるのだろう?

 浄蓮寺の早川さんが帰られるのと同時に、仏具店の方が来訪。
 昨日追加して頼んだ仏具を納めてくださった。
 置くべき所に仏具を収めながら、
 「こんなお天気の日には、釣りに出かけたい…」
 などと、趣味について話された。
 川釣りには意外性が乏しくて面白さがない。
 釣りは、海釣りに限ると。
 漁師の子どもなので、海の怖さは子どものとき、体験として覚えたことなど…。
 日頃は係わりのない人であっても、人それぞれの人生について、話を聞くのは好きである。

 10時過ぎには、ソコロのSさんも来訪。
 パソコンの点検をしていただいた。
 Sさんとも、コーヒーを飲みながら、お仕事以外の話、仏壇の存在意義、手を合わせることの意味など、互いの思いを語り合った。

 午前中は訪問者と、三者三様の語らいをして、心紛れていた。
 お昼過ぎ郵便局に行き、用事を済ませると、なんだか虚ろな気持ちになった。
 そこで、帰途、草花舎に立ち寄り、ひと時を過ごすことにした。
 今日は、コーヒーだけいただき、Yさんと話した。
 近日の多忙と、それに関連した話など……。

 間もなく、水仙の里からの帰りらしい4人づれのお客が、入ってこられた。
 そこで、私は庭に下りて散策した。
 今日も、春めく日差しがまぶしい。
 


 前回の草花舎の庭歩きでは気づかなかった、クリスマスローズの蕾を見つけた。
 全部で三個。



 入り口近くのヒマラヤユキノシタは、春に先がけて咲く花のようだ。
 大きな緑の葉と、可憐なピンクの花の調和がいい。



 今まで、随分庭歩きをしてきたのに、金柑の木のあることに気づかなかった。
 今は、小さな金色の実を輝かせている。木の下の地面には、落果した実が転がっていた。
 金柑の木には、どんな花が咲くのだろう?
 その実に似合った、小さな白い花だろうか。
 その季節に、見逃さないようにしたいものだ。

 今日もまた、平坂常弘氏の絵を見て廻る。
 棚に置かれた濱中月村氏の織部盛器の色彩に心惹かれ、今日初めて気づいた吉岡利一氏(陶芸作家・吉岡萬理さんの父君)の<てっせん彫り雛人形>にも、目を奪われた。
 (これらについては、また後日、稿を改めて書きたい。)

 草花舎の庭も室内も、その場にいる限り、心の疲れ気味な私を、ひと時慰めてくれる。

仏具店へ

2009-02-06 | 身辺雑記
 仏壇を兄嫁の家に運び出すと、その空間が寂しくなった。
 合掌は心の問題だとは思いつつ、やはり私のために、小さな仏壇を置いた方がいいような気がした。
 特に、日ごとに老いを重ねることになる今、心静かに向き合える阿弥陀様の存在は、私の波立ちがちな不安定な心にとって必要な気がする。

 昨日、またしても、妹夫婦のお世話になって、仏具店に行ってきた。
 <20代>(こんな言い方があることも初めて知った)という大きさの、小さな仏壇と、それにふさわしい仏具を求めた。そして、2時以後に収めてもらうことになった。
 それまでには、時間のゆとりがあったので、妹たちと持石海岸をドライブし、<族>というレストランで、昼食をとった。
 そのお店の人の話では、昨日のようなお天気には、沖に、イルカの群がよく現れるとのことだった。そこで、食事をしながら海原に注意をはらったが、残念ながら、その群れはついに現れなかった。


 

 <族>から見た海の景色。

 
 
 仏具店との約束の2時には、なお間があったので、車で唐音にも行ってみることになった。昨日も、車が結構多かった。近隣に、水仙の美しい場所として、かなり周知されるようになったらしい。
 1日に眺めたときより、海に向かってなだれる丘の水仙が、少し目立ち始めていた。が、まだこれから花は増えそうだし、見ごろはもう少し先だろう。

 仏具店の店員は、時間を計ったように2時に来宅。
 手際よく仏壇と仏具を収めてくださった。間に合うと思っていた、家にある花器や香炉などを、新たな仏壇に置いてみると、どうも不似合いである。明日また、追加の仏具を収めてもらうことにした。
 仏具を扱われる人だけに、仏教に対して、かなりの見識を持っておられる。
 「お入仏」には、赤い蝋燭を立てるようにとか、お布施は祝儀袋(ただし、<のし>は取り外したもの)を使うようにとか、細やかに教えてもらった。赤い蝋燭はサービスとしていただいた。
 一生涯に初めての、また最後のことを行うに当たって、分からないことばかりである。それだけに、知恵を与えてもらえるのはありがたいことであった。

 仏具店が帰られた後、浄蓮寺に電話し、小さな仏壇(20代)を求めたので、ご本尊を収めていただきたいとお願いした。
 早速、本山に申し込み、いずれ「お入仏」の経を上げにまいります、とのことであった。しばらくして、改めてお寺から電話があり、本山に納める金額と、明日、家に立ち寄るとの連絡があった。

立春の日 

2009-02-06 | 身辺雑記
 3月4日、仏壇を移動するに当たって、10時から、浄蓮寺の早川住職に経を上げていただいた。初めて耳にするお経であった。この儀式に名前があるのかどうか、住職に尋ねてみると、頭を傾げて思案の末、<遷座>という言葉が適当かもしれない、とおっしゃった。
 父の家が、父母の晩年の世話をした私に譲られ、その後仏壇もそのままにして、仏事は私の家で行ってきたのだが、兄が亡くなった今、兄の住んでいた家に移し、その妻、その子へと受け継がれるのが妥当であろうと、遷座が決定したのであった。
 そして、偶然、<立春の日>と、その行事が重なったのであった。
 この日は、<春立つ日>に合わせるかのように、穏やかな春日和となった。
 
 早川住職は、最近の「浄蓮寺通信」(第53号)と、かなり以前の通信に、生前の兄が寄稿した<微笑みの国の思い出から ――本当の豊かさとは何か――>をコピーして持参してくださった。私たち姉妹の人数分だけ。
 タイの牧場試験場に、農林省から在外研究員として出かけ、そこで生活していたときの感想記といった類のものである。日本には失せてしまったが、貧しいながらも、タイにはなお存在していた、精神的豊かさについて書いたものである。
 この遺稿については、お通夜のときにも触れられた。

 儀式の終わった後、ひと時、仏教のこと、生き方のこと、さらには世相についてなど、雑談的に話し合った。今日、集いした5人で。

 兄嫁と妹夫婦、それに私も一緒に同乗して、大田の家に仏壇を移した。
 大方は、義弟が中心になって、作業を終えた。

 帰り、庭に立つと、木蓮の蕾が空に向かって伸び始め、蝋梅は黄金色に咲き満ちていた。兄の亡き後も、庭の木々は春の装いに余念がない。しかし、今年の春の華やぎを、兄はもう見ることができないのだ。
 


 

 妹たちは、小学生の孫を迎える用が残っていて、帰りを急がねばならず、帰途は休憩も取らず引き返したのだった。