ぶらぶら人生

心の呟き

京都の旅 8 御衣黄桜(ギョイコウザクラ)

2008-04-19 | 旅日記
 高台寺の見学を終えて、京都らしい風情を楽しみながら、二年坂周辺を散策した。石段や石畳の細い坂道を、沢山の観光客が行き来している。この辺りに、かつて竹久夢二が住んでいて、寓居跡を示す石碑があるはずと友人に教えられ、探しながら歩いたが、見つからなかった。<竹久夢二の店 港屋>と、目立つ看板を掲げたお店はあったけれど。
 この辺りの坂道を、800年代の初めごろから、どれだけ多くの人が足跡をしるしたことだろう? 1200年もの長い間、人間の営みを黙って見続けてきた石畳に、その思いをたずねてみたい気にもなった。

 二年坂の途中、人が群れているので立ち止まると、見上げているのは、「御衣黄桜」であった。(写真)
 傍に、趣のある字で、説明が記してあった。
 <開花のときには緑色で、黄、ピンクと
  色を変え、最後は花ごとポトリと
  落ちます。珍しい桜です。>
 と。

 同種の桜に、京都を旅していて、もう一度出会った。
 それは天竜寺の百花苑であっただろうか。
 あまりに沢山のお寺を巡り、お庭を彩る花々に巡り合ったので、いささか頭が混乱気味である。

 午後の長い散策を終えて、喫茶店に入った。趣のあるお店で、日向ミズキの枝が花瓶に挿してあった。(店員に花の名を尋ねたところ、その答えを持って、店主が現れ、親切に教えてくれた。)
 土佐ミズキより、花が繊細だった。
 雰囲気のいいお店であったが、その店の名前は、思い出せない。

 坂道を引き返し、<ねねの道>を再び歩いて、知恩院の前に出た。
 そこからタクシーで、ホテルに引き返したのだった。
 黄昏色が立ち込め始めていた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都の旅 7 高台寺 ②

2008-04-19 | 旅日記
 高台寺には、「霊屋(おたまや)」「開山堂」「臥龍廊(がりょうろう)」「観月台」、茶室の「傘亭」と「時雨邸」など、重文に指定されたものが多い。

 小堀遠州作といわれる庭園も、池を配し、見事であった。
 馬酔木の大きな木が花をつけていたし、石楠花も咲き始めの美しさを見せていた。(写真)
 私の好きな竹林もあった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都の旅 6 高台寺 ①

2008-04-19 | 旅日記
 4月8日、午前中は哲学の道と平安神宮を歩き、それぞれの桜の風情を堪能して、お昼の休憩をした。
 出発直前の腸感冒? の余波なのか、何を食べればいいのか思いつかない。というより何も欲しくない感じであった。が、午後の散策に備えて、何かを食べなくてはいけない。結局は、フルーツポンチ風のものでごまかした。京都で、食べる喜びをついに味わえなかったのは、残念なことであった。

 しかし、体力に不安はなかった。友人と一緒であることが大きな支えだったのかもしれない。
 八坂神社に着くと、周辺の桜の木々の下には、敷物を敷いてお花見を楽しむ人が群れていた。円山公園一帯は、かつて幾度か訪れている。脳裏に刻まれた枝垂桜の見事さを思い描いて訪れたのだが、今はかつての勢いがなく、少々哀れな姿であった。ものには盛衰のあることを物語る如く……。
 またいつか、咲き誇る姿に巡り合えるだろうか?
 いもぼうの<平野屋>とか<長楽館>など、かつて食事をしたお店は、健在であった。

 ここは<ねねの道>などと、教えてもらいながら、友人に案内してもらったのは、私の未見のお寺、「高台寺」であった。
 方丈前庭の枝垂桜も、見事であった。古木が一本、長い枝を垂れている姿が、白砂の庭の風情にマッチしていた。(写真)
 豊臣秀吉の没後、菩提を弔うために、秀吉の夫人、北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号した)が、慶長11年(1606)に開創したお寺の由。
 見所の多いお寺であった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする