啄木は『~人ごみの中にそをききにいく』と詠んだ。彼は上野駅に、「ふるさとの訛」を聞きに出かけたのだ。
それに倣って出かけた。行き先は、大阪メトロ中央線『大阪港駅』。
はるか昔。この駅を降りると『みなと遊園』という遊園地があった。営業期間は1960年代のみ。
たった一度きり行ったことがある。母と二人で。
しかし、肝心のみなと遊園の記憶は一切ないのだ。大阪港駅から歩いて五分くらいの場所。跡地のマンションの前に立っても欠片も思い出せなかった。
経路すらはっきりしない。当時の鉄道網を考えると、阪急で梅田まで出てから、内回りで弁天町乗り換え、やろか?
で、いまさら、何故そんな処へ?
いやいや、「停車場」に「そ」を聞きに行ったのだ。
されど、私の「そ」とは音、警笛の音だ。
あの日、母と私は赤い地下鉄に警笛を鳴らされたのだ。高くて大層けたたましい音だった。
(ほぼ、この車両に間違いない。)
今思えば、私たちに向けてではなかったろう。当時は終点だった大阪港駅。定めし、発車の合図だったか?
だが、二人とも腰を抜かさんばかりに驚いた。私は半べそをかいて母にしがみついた。
帰宅した私と母は、父にその日の出来事を話した。でも、みなと遊園はそっちのけで地下鉄の警笛の話を、、。
さて、二度目に訪れた大阪港駅は(地下鉄ながら)やはり地上の高架駅。ホームに屋根がかかっているのも当時と変わらない気がする。
何をするでもなく、でも、少し立ち去りがたく、ホームにしばし佇む。
折しもクリスマスイブ。ホームは、天保山ウォーターフロントを目指す若いカップルたちで、次第に賑わいを増しつつあった。
隣駅のコスモスクエアからゆっくり入線してくる電車を三台見送る。いずれも静かに停車しては、静かに発車していく。
結局「そ」は聞けなかった。それでも、この停車場に立つと、50年余の時を経て、あの日の警笛の音と母にしがみついた自分が、じわりとよみがえった。
「日の丸はチキンライスの上(へ)に立てり大食堂の上(へ)は遊園地(新作)」
・・『ひら(かた)パー(ク)』を始めとして、遊園地に出かけるのがハレの日とすれば、百貨店の屋上遊園地に行くのは、プチ・ハレの日だった。
回数が多かったのは、京都大丸、京都高島屋、梅田阪急。そや、京都駅前の丸物も行ったわぁ。
オムライスに立ってた日の丸もあったで。(笑)
不尽
(031224)