近々、函館戦争の跡を辿るために渡道するので、前哨戦?で、またまた会津若松へ。
「降伏をなしし日付は我が生れし月日と知らず天守に登る(新作)」
旧暦(慶応四年九月二十二日)ではあるが、迂闊にもやっと気付いた次第。
「飯盛で若き生命が散れどなほ籠る一月戦ひ了(をは)んぬ(新作)」
(天守から臨む飯盛山)
「白露はやがて消ゆれど泣血氈(きゅうけつせん)会津が血涙染むをな忘れそ(新作)」
(錦絵『会津藩降伏図』)
(白露庭(降伏式の場所、家老内藤介右衛門邸))
やはり『會津壹番館』に足が向く。何度訪れても心が安らぐ純喫茶。
(060524)
不尽