子育ては親育て

2006年5月生まれのケイと2014年2月生まれのアイの成長記録。子供と笑ったり悩んだりしながら、親も成長してるはず!

国語の付き合い方

2018-05-24 22:45:39 | ケイ12歳
小学6年生になったケイ。
小さい頃から文字に興味がなく、母が読んであげれば絵本も開くものの、自分から本を読むことがなかった。
これは、ろくに絵本の読み聞かせをしてこなかったアイはどんどん自分で文字を覚え、1人で本を読むようになってるのと対照的で、同じ親から産まれても、子供の特性は違うんだと実感する。

で、ケイには少しでも本に興味を持って欲しい、とよく見てたアニメのマンガを買ったり、ゲームの攻略本を与えたり、何かきっかけになるものを探してきた。
低学年では将棋の本は開くようになったけど、駒の説明や強さをグラフ化したものを眺めるばかりで、文を読んでる素振りはなく。
5年生あたりからようやく好きなマンガは読むようになったけど、同じ本ばかり読むのは相変わらずで、なかなか広がっていかない。
で、語彙も増えないし、教科書の音読もつっかえつっかえで意味を理解するところまでなかなか行けてない感じだった。

こんな状態で受験を想定した長文問題が解けるはずもなく、長期の休みには一回り下の学年のシンプルな問題集を買って解いてみたり、漢字の問題をやってみたり、お風呂に四字熟語やことわざのポスターを貼ってみたり、底上げになりそうなことを散りばめてきた。

で、それが功を奏したのかどうかは分からないけど、論説文であれば意外と読めるようになってるな、とある時感じた。
そして、そのことをケイに言ったら、ケイが自分で
「説明文は同じことを繰り返し書いてあるから分かりやすいんだよ。物語は話がどんどん変わるから、何が言いたいのかよくわからないんだよ。」と言い出した。

なんか、母、妙に納得してしまった。
母は本が好きだったので、結構たくさんの本を読んできたけれど、確かに物語って、何が言いたいのかよくわからないのも多い。
そもそも、単に何かを伝えたくて物語を書いてる訳ではないんじゃない?と思うようなのもある。
(もちろん、テーマが明確な物語もあるんだけど、分かりにくいの、あるよな、と)
で、その話を話として楽しめるなら読むんだけど、元々文字を読むのが好きな訳ではない理系的なケイからすると、だから何?って思っちゃうんだろうな、と。

そう思えば、社会に出てから使うのは圧倒的に論文であったり、キーワードだけを載せたパワポ資料が多くて、物語を読む必要性はそれほどないのかもしれない。
もちろん、本を楽しめたらその分人生が豊かになると思うけど、今のケイが物語を読んでも腑に落ちなくて楽しめないならば、無理して物語を読む必要はないのかも。

そう思い至ったところで、急に母の気が楽になった。
物語には興味ないなら、別に読まなくてもいいじゃないか。
読むのは好きじゃなくても、話をするのが好きならそれでいいじゃないか。

そんなことを思った今日1日でした。
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