小山 青巖寺

三重県津市一志町小山にある真宗高田派のお寺です。

「いのちということ」を聞いて

2015年07月23日 | 学生の感想
 明日の講義で配ろうと思い、5月18日の宗祖降誕会での講演「いのちということ」の感想をまとめていました。

 学生たちの感想を少し紹介します。

 「今回初めての宗祖降誕会だった。清水谷先生の話はとても興味深い話だった。その中でも「ゆきなちゃん」の話が気になった。今、話を聞き、息をし、勉強している。それがどれほど幸せなことか。生きるために小さい体で手術を行う。母親の気持ちを考えると、押しつぶされそうなことだ。私たちは命を大切にしなければいけない。生きていることに感謝することを忘れてはならない。あらためて、命の大切さを感じた。私だけでなく、周りの人もそう感じたのではないだろうか。死ぬことを恐れるのではなく、生きていることを感謝することだ。私たちはこれから保育士となり、多くの子ども達と会うだろう。一人ひとりを保育するだけでなく、愛を持って寄り添っていくことの大切さを感じた。そうすれば、私たち自身も成長していくだろう。」

 「ゆきなちゃんという5歳の女の子の話を聞いて、こんなにも小さい子が病気とたたかっていることを知りました。私はいのちのこと電池のようなものなんて考えたこともなかったです。その前に生きていることは当たり前のように思っていました。恥ずかしく思います。今、こうやって生きていることはすごくありがたく、感謝しなければならないと感じました。生かされている、与えられたいのちだから、これまで以上に精一杯生きていこうと思えました。今日の話が聞けてよかったと思います。」

 「先生の話を聞いて、命の大切さが分かりました。親から授かった命を大切に、私もゆきなちゃんが書いた命の詩みたいに、命が疲れたと言うまで必死に頑張ろうと思った。もっと周りの人に感謝し、今こうして生きていられることに感謝したい。命ある限りという歌が、胸に突き刺さった。ゆきなちゃんの人生は短かったけど、今でも詩や歌がみんなに元気を与えている。私もそんな人になりたい、と思わせてくれた。ゆきなちゃんは電池が切れるまで頑張ったと思いました。」

 「私も1度くらい死んでもいいかなと思ったことがあります。でも今日の講話を聞いて、なんで私は1度くらい死んでもいいって思ったのだろうと思いました。与えられた命を無駄にしてはいけないと思いました。生きていられるだけで幸せだと思わなくてはいけません。命を捨てるということは、ゆきなちゃんも言っていたように、悲しいことです。私もこれから、いのちを大切にし、命の尊さを改めて見つめ直すことができました。自分の周りの大切な人が亡くなったらと思うと、どうしたらいいか分かりません。意味のない人生なんてどこにもない。私はこの言葉を胸におき1日1日大切にしていきます。」

 「今日までこんなに意味のこもった重い歌を聴いたのは初めてでした。「命は大切だ」ということは何度も教えられているのに、私は普段辛いことがあったり、課題などに負われて疲れてきたりすると、明日が来なければいいのに、このまま世界が終わってしまえばいいのに…と思ってしまうことがあります。つまり死んでしまった方が楽であると考えていました。しかし、命が重く大切であるということを、歌によって改めて深く感じました。歌によって命の重さ、大切さを学ぶとは思いませんでした。私たちはもっと生きていることに感謝し、時間を大切にしなければならないと思いました。」

 「今生きているのは当たり前ではないこと、今隣に居る人がこれからも隣に居続けることが当たり前ではなく有難いことだと改めて感じることができた。私はつい最近祖母を亡くした。祖母はいつも私に「ありがとう」と言っていた。最期の時も「苦しい、苦しい」と言いながらも、私に「いつもありがとう」と言ってくれた。祖母は今日の講話のような思いで日々を過ごしていたのだろうと思った。正直、何故何回も仏教行事などがあるのだろうと思っていた。しかし、今日の講話を聞いて、今私たちが当たり前だと思っている多くのことが当たり前ではないのだということを感じ、有難いと思った。亡くなった祖母への感謝の気持ちで一杯になった。周りの人を大切にし、今ある時間を大切にし、十分に楽しんで学業に励みたいと思えた。出来ないことも努力して出来るようになるまで頑張っていこうと思えた。生きている限り何度でも挑戦できることは素晴らしいと思った。ありがとうございました。」

 みんな、ありがとう。
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