プレス・カンファレンス
“離婚後の親子の絆の破壊”
現在日本の離婚後の単独親権制度を諸外国と同様に共同親権へと民法改正する動きが日弁連や日本国政府の中で議論されており、近頃では頻繁にこの問題が国内のメディアでも取り上げられるようになってきました。
本プレス・カンファレンスでは、わが国の単独親権制度および離婚に関する家裁実務の実情と問題点を後藤弁護士と当事者から報告させていただきたいと存じます。
各国および国内の報道機関の皆様におかれましては、ご多忙とは存じますが、ご出席賜りますようお願い申し上げます。
日 時: 平成22年5月24日(月曜日) 15時から16時15分
会 場: 外国人記者クラブ
http://www.fccj.or.jp/aboutus/map
内 容:
1. 親権喪失事由のない親の親権を離婚により剥奪する家裁の実務
2. 日本国内での片親による子どもの連れ去り(主に母親による子連れ別居)
3. 日本の家裁で行われている親子のきずなの破壊実務
4. 日本国内で、離婚後に実子と引き離されている親達の悲痛な叫び
スピーカー:
後藤 富士子:弁護士・日弁連、家事法制委員会委員
ティエリ・コンシニ:在外フランス人議会議員
森田浩昭;共同親権の会(JJCA)共同代表
Masako A. Suzuki:Chair man of Left Behind Parents Japan
主 催:
共同親権の会
http://sites.google.com/site/kyoudoushinkennokai/ http://kyoudousinkenhubo.cocolog-nifty.com/
Left Behind Parents Japan
http://www.meetup.com/Left-Behind-Parents-Japan/about/comments/?op=all
※日本語スピーチ、逐次通訳。
プレス以外のご出席者は共同親権の会・森田さんまでご連絡くださいとのこと(kazukun1029@gmail.com)。
(10名まで入場可)
PRESS CONFERENCE
"THE SUFFERING OF LEFT BEHIND PARENT-CHILDREN AFTER DIVORCE"
By Fujiko Goto, Thierry Consigny, Hiroaki Morita and Masako A Suzuki
At present, there is an intense debate within the media in Japan, Japanese Federation of Bar Associations (Nichibenren), and Japanese government about whether Japan should change current single custody system to joint custody system after divorce and bring its Family Law to be consistent with international legal standards with respect to joint custodial rights of children after divorce.
Contents of the conference are as follows:
1. The Japanese civil court deprives custody of children from one parent after divorce without specific reason;
2. Domestic parental child abductions during the marriage before divorce;
3. Quite few visitation granted by Japanese civil courts to noncustodial parents;
and
4. Presentation by left behind parents sharing their real life traumas with losing all rights to their children after divorce and their children to share a meaningful life with them under the current Japanese system.
The following experts and left behind parents will contribute at the press conference:
Fujiko Goto, Attorney at Law, registered with JFBA (Japan Federation of Bar Associations, Nichibenren), Committee on Family Law Legislation.
Thierry Consigny, elected member of the Assembly for French Overseas Nationals (AFE) for Japan and North Asia;
Hiroaki Morita, co-chairman of Japan Joint Custody Association
Masako A Suzuki, organizer of Left Behind Parents Japan.
URL of JJCA :
http://kyoudousinkenhubo.cocolog-nifty.com/ http://sites.google.com/site/kyoudoushinkennokai/
URL of Left Behind Parents Japan.
http://www.meetup.com/Left-Behind-Parents-Japan/
Venue: The Foreign Correspondence Club of Japan, Yurakucho Denki North Bldg. 20F
Yurakucho 1-7-1, Chiyoda-ku Tokyo Japan
URL:
http://www.fccj.or.jp/
Day: May 24, 2010,
Time: 3pm to 4:15pm
The press conference will be in Japanese (with English translation) and English.
外国人記者クラブ記者会見通訳用資料
http://www.midori-lo.com/column_lawyer_34.html 「親権」と「親」の乖離 後藤 富士子 2008年12月
民法では成人年齢を20歳としており、未成年者は「親権」に服することになっています。「親権」の内容は、子を監護・教育することや居所指定権などです。
問題は、「親権者」は、養親も含め、「親」でなければなりませんが、「親」なら必ず「親権者」かというと、そうではないことです。
具体的にいえば、両親の共同親権制は、父母が法律上の結婚をしている間だけのことで、未婚や離婚では、両親がいるのに「親権者」はどちらか一方の単独親権です。未婚や出生前に両親が離婚した場合は、原則として母が親権者で、例外的に協議で父と定めることができます。離婚の場合は、どちらかが原則ということはありませんが、協議でどちらか一方を親権者に決めなければなりません。いずれの場合でも、協議がまとまらないときは、家庭裁判所に審判を求めることができます。
つまり、単独親権になる場合は、片方は、親でありながら、親権を喪失するのです。しかも、離婚や未婚は、それ自体では親権喪失事由とされる「親権の濫用」「著しい不行跡」に当りません。
私が弁護士になった1980年には既に、親権争いのために離婚事件が紛糾し、しかも子の「身柄」の争奪が熾烈化する事件を目にしました。当時は、離婚調停を家裁でやって、離婚の合意はあるのに親権の争いがあるために、地裁へ離婚訴訟を提起しなければなりませんでした。離婚訴訟の管轄が家裁になったのは、2004年4月からです。
今日では、離婚の増加、少子化、そして男性の育児参加が進む中で、離婚に伴う子の争奪紛争は、増大しています。しかも、離婚前の別居段階で、家事審判前の保全処分、本案審判、さらには人身保護請求などにより、簡易迅速に子の「身柄」を確保する手続が活用されるようになったことで、子どもの争奪紛争は、極めて熾烈で非人間的な様相を呈しています。「子の引渡し」の強制執行は、まさに「捕獲」「拉致」です。子どもの意思を無視して、大人の理屈で、無理やり子の「身柄」を移動させるわけですから、狂気の沙汰です。
また、別居親の子どもとの面会交流は、法的に保障されていないし、家裁の実務でも消極的です。したがって、「単独」の親権を持つのと持たないのとでは、天国と地獄の差があるのです。単独制は小選挙区制の原理ですから、相対的優位者が絶対権力を取得し、敗者は無力になるのです。しかし、両親の適格性の差は、それほどはっきりしたものではありませんから、親権喪失事由がないのに親権を喪失させられた親は、理不尽・不条理としか思えないでしょう。
離婚は親の都合です。親の都合で両親と同居できなくなること自体、子どもにとっては不利益でしょう。そのうえ、親権をめぐって争いになり、「身柄」の争奪まで起きると、それ自体、子の福祉を害します。さらに、私が最も不思議に思うのは、子の養育に何の責任ももたない裁判官が、なぜ、どちらか片方の親から親権を剥奪できるのかということです。おそらく裁判官は「親権を剥奪している」という意識すらないのでしょうが、そういう不感症が人間不在の司法をもたらしているのです。
日本でも1994年に「子どもの権利条約」が発効しました。この条約では、子どもの人格の完全かつ調和のとれた発達のためには家族・家庭という社会の基礎的集団が重要であり、子どもは父母によって養育される権利を有し、父母は養育について共同責任を有すると謳っています。また、子どもは父母の意思に反して父母から分離されないし、分離されている親と定期的に人的関係・直接接触を維持する権利が尊重されます。そして、子どもは、自分に影響を及ぼす事項について、自分の意見を表明する権利が認められています。
この条約により、欧米諸国では、離婚と子どもをめぐる法制度は抜本的に改革されました。一口で言えば、離婚後も共同親権・監護が原則とされ、子どもの意思を尊重する手続的保障がなされるようになったのです。
ところが日本では、相変わらず「子の問題」は離婚に付随する問題として処理されています。単独親権制のまま離婚訴訟の附帯処分として親権者指定がなされるため、親権争いに勝つためには「子の身柄」を有していることが必須になります。そこから身柄争奪が離婚とは別個の法的手続で争われるようになるのです。
このような不毛で残酷な「裁判闘争」をなくすには、保全処分、本案審判、人身保護請求など、「身柄」レベルの争いについて、各裁判所が個別に結論を出すのではなく、「離婚と子ども」の紛争として、それを扱う手続を一元化することです。身柄の争奪が実際に起きても、公権力が紛争に介入するなら、PKO精神で、現状を凍結するのです。そして、離婚後も共同親権とし、「同居親をどちらにするか」と「別居親の監護内容をどうするか」をセットで決めるのです。そのためには、家裁調査官の科学的調査を実施し、夫婦双方に「ペアレンティング・プラン」(子育て計画)を提出させて調整し、合意を促し、合意に至らない時に審判するのです。
つまり、裁判所がなすべきことは、父母に「子の最善の利益」を図る共同責任を自覚させることです。こうすれば、消耗で不幸な紛争をなくすことができるし、離婚後もそれなりの生活が親にも子にも保障されるのではないでしょうか?
http://www.midori-lo.com/column_lawyer_36.html
「わが子と生きる権利」を闘おう 後藤 富士子 2009年3月
これまでも、夫婦が別居して子どもの親権争いになる事件を受任してきたが、この2年程、妻が夫に無断で子どもを連れて実家に帰ってしまったり、姿を隠してしまったりして、悲嘆にくれる夫(父)からの依頼が増えている。朝、何事も無く会話したのに、夜仕事から帰ってきたら「もぬけの殻」だったというのもある。こういう全く一方的な遁走を正当化する論理が「DV」や「モラハラ」だ。しかし、こういう「被害者」は、被害の生々しさなどなく、何ヶ月も前から遁走する計画を練っている。妻が管理していた夫の預金など財産を持ち出し、子どもの学校や健康保険など行政の保護を受け、弁護士がついて法的手続がとられる。
殺人などの犯罪者でさえ、適正手続が保障され、裁判で有罪が確定するまで無罪推定を受けるというのに、「DV」や「モラハラ」では、「被害者」が有罪を宣告する。私は、学園紛争華やかなりし頃の大学生で、2年生のとき無期限バリスト(バリケード・ストライキ)を経験したが、過激派学生は、「革命か、反革命か」を一般学生に迫り、彼らと同調しないものを「右翼反動」と罵っていた。また、解放同盟の一部の勢力が自治体財政を食い物にして社会問題になったりしたが、そういう人たちに異を唱える教師がリンチを受ける事件もあった。そういう実際に起きた事象を経験した者にとって、妻たちの一方的遁走は既視感がある。
私が黙視できないのは、夫婦間の紛争に子どもを巻き込んで憚らない妻の態度である。妻にとって「悪い夫」であったとしても、子どもの「良き父」であることは珍しくない。だから、かくも独善的な遁走劇を演じることができる妻が、子どもの幸福を考えているとは到底思えない。夫の財産を持ち出したり、残された夫の明日の生活にも困ることなどお構いなしなのは、ただただ「子どもが自分の方にいる」からである。つまり、子どもは、母親の生活のための「手段」「道具」にされている。それ故、子どもの意思を無視して、子どもの居場所も隠し、父子の交流を遮断する。
従前、このようなケースで父が子との面会交流を求めても、「子の福祉」を楯にして認めない運用が裁判所を席巻していた感がある。子どもを自分の生活の手段や道具にする親の下で監護されることが「子の福祉」に適うはずがない。まして、突然、生活の場から父を消し去るなど、子に対する精神的虐待である。それにもかかわらず、「子の福祉」を錦の御旗にして「単独監護」を争う構図では、悲惨な結果がもたらされるだけである。このことは、父と母が入れ替わっても同じである。そこで、むしろ子どもとの接触を不当に排除されている親の「わが子と生きる権利」を根拠にして、離婚紛争とは別に、慰謝料請求訴訟を提起することを提唱したい。「家族的生存権」を司法に認知させることなしに、誰も幸福にはなれないと思われる。