諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

81 音楽の経営術#8 まとめ

2020年05月24日 | 音楽の経営術
 猪瀬直樹さんの『空気と戦争』ではないが、組織というのはそれぞれがもつ「空気」によって重要な判断を誤ったり、構成員の動きに少なからぬ影響を及ぼすようだ。

 逆に言えば、淀みのない、酸素の多い空気のもとでは、個人としても自然に力を発揮しやすいし、同僚性も発揮しやすく、やりとりの中で機転のきいた工夫も出る。新人の育成もスムースだ。
極論すれば「空気」がその組織の成否を決めるのかもしれない。
 そんな空気について考えるモティーフとして音楽の演奏会を取り上げてみた。名演奏づくりのための空気である。

 ところで、学校は、民間企業のような数値目標を掲げられるような機能的な組織ではない。
まして、特別支援学校は小中学校や高校とも違い、学齢も幅広く、教育課程も極端にいうと一人ひとり違う。
教員は共通の目標をもちにくく、組織全体の目標は抽象的にならざるを得ない。
 だから、余計に「良い空気」の中にあって、それぞれの健全な気持ちの中で生徒の小さな変化に気を配り、創意工夫を生かした教育活動ができることが何より大切である。
「05 健康な学校#1 はじめに」にも書いたようにそのこと自体がヒューマンサービス業の直接的な目的でもある。

 ところが空気は空気なのである。
 空気をよくするなんて意図的に出来るものなのか。一般的な経営論ではないだろう。

 そのことは、長い間大きなテーマとして引っかかっていた。
カンやコツのレベルで時々話題にる程度?、下手をすると教員個人のキャラクターの問題と割り切る人すらある。
もう少し汎化できうる説明はできないかと考えていた。それが可能なら経営術?としてまとめられるのではないか。

 そこでオーケストラの演奏を引き合いに出した訳だが、単なる趣味と重なったということでもない。
かつて斎藤喜博の学校づくりを著した文中に「管弦楽の指揮者」という項があり、この印象が残っていたことも大きい。
 
 さて、もう一度まとめてみます。

第1楽章
  指揮者 尾高は、何もしないで聴いている。ブラームスのすべて、オーケストラのすべてわかったいること、瞬間瞬間の音のありようをイメージできていることに確信をもって立っている。

第2楽章
  指揮台の尾高とオーケストラの間に一定の(空間)が保たれていること。 団員ひとりひとりの表現者としての創造性を発揮できる余地が十分ある。またその創造が好意的に受けとめられている。

第3楽章
  決め所の厳しさ。経営者の景色を短絡的に押し付けないが、曲の要所は尾高の曲解釈にしたがって妥協せずに指導したに違いないこと。

第4楽章
  以上のようなことを背景にして、団員相互、パート相互で連携が生じ、その相乗効果(大小の渦)で演奏に味が出ること。(これが音楽の楽しさなのかもしれない。)
 また、そのことを尾高は期待していて感心しているに違いないこと。

以上が、学生オーケストラが、ベストな演奏に向けて指揮者が演出した空気づくりである(と感じた)。大きな枠はこの4つの楽章。

 それにしても、音楽づくりも、たぶん学校づくりも、説明しにくいイマジネーションの部分が大きいのだと感じる。
まさしく「ブラックボックス」の部分はのこり、これ以上の説明がつかないところをアートと言ったりするのだろう。

 そして、これを学校にあてはめて具体化することはやっぱり難しい。
どうしたって学校や個人の個性があってそれが変数として大きい。
無理をするとすごく陳腐なものになってしまうような…。

 次週はここのところを斎藤喜博はどう表現するのか久々に耳を傾けたいと思います。
                                     
                            (つづく)

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