諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

78 音楽の経営術#5 第3楽章

2020年05月09日 | 音楽の経営術
                     NHK交響楽団「フィルハーモニー 2012 12」


  第二楽章の響きの余韻がホールに残る中、尾高はハンカチで汗を押さえている。
「ここまでは、うまくいってるよ」
と目で満足感を示し、次への準備を促している。
オケは、譜面をめくっている。
第三楽章がはじまる。

 この楽章も緩徐楽章といえるのだろうが、よりシンプルである。
弦楽器と木管楽器とホルンの掛け合いのみで、他の金管楽器や打楽器はお休み。

 だから、逆に独奏に近い部分が多く、パートとしての腕の見せどころでもある。

 さっそくオーボエとファゴットの二重奏からはじまる。
奏でてる!感じがスーツの背中のからも分かる。
これに、連動して弦楽器が追いかける。少し室内楽の掛け合いのよう。いい感じのスタート。
                                      

 こういう室内楽のようなところを聞いていると、故 若杉 弘さんが、
「ある時、オーケストラもいい演奏をしたいと思っていることに気づいたんですよ」
と言っていたのを思い出す。指揮者がすべてをコントロールすることが常識だった時代である。

 室内楽には通常指揮者はいない。
だから奏者の創造性が前面に出る。フルオーケストラにはない良さがある。

 指揮者は、一つのコンサートをまとめるため、指揮者の個性を全面に出すことが通常だろうが、同時に演奏者の音楽性を信頼しながら、のびのびとした部分も生かさなければならないかと思われる。
室内楽や独奏の柔軟な感じ。

 この曲ではその箇所はないが、独奏(ソロ)の部分のある管弦楽曲は数多い。
ソロの部分は曲の一つの見せ場であり、実際その部分を楽しみにしているお客さんも多い。
「全体の協働のためのイメージの提示」「パートやパート相互の小さな単位の渦の形成」とならんで「個人技の演出」も演奏全体には重要なファクターだと言える。
圧巻のソロがコンサート全体の印象を決める場合すらある。

 室内楽に近い第三楽章が続いている。
フルート、オーボエ、その後ろのクラリネット、ファゴットが何度も練習したであろう連動性を発揮して躍動している。
結果としてそれぞれ奏者が木管楽器に託してた音が外連味なくホールの空間に広がっている。

 その順調な演奏に乗せられて、
「ブラームスも作曲に難渋した交響曲1番のあと、解放されたように第2番を書き、こんな楽章を設けただろうなぁ」
と考える余裕出てきたころ、5分足らずの第3楽章は静かに終わっていく。

 尾高が2、3度頷いたようの見えた。
そして、さっと指揮の構えに入った。最終楽章である。

                      
                        (つづく)

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