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この花に始めて出会ったのはいつだか忘れたけど、なんと情熱的な花だろうと思った。
鮮やかな色といい、逆さになったように咲く形といい変っていて 調べてみたらグラリオサで、日本名はかがり火の花とか。なんとなしに納得。
梅雨の鬱陶しい時期、自由奔放に咲いている、この花を見ると元気が出る。
近所のソーメンさんちの庭で咲かせたのを頂いた。
早速 アールデコ風の花器(といってもドレッシングが入っていた空きビンですが)に活けて楽しんでいます。(写真をクリックしてみてくださいね。)
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ううむ、一日が早い しかるに一週間も早い。だから月日が逃げて行くのも早い。こんなこと言いながら年をとっていくんでしょうね。
時代の流れや変化に追いつくことなく 空しく人生終わるのか~・・・
朝からカウンターでそんな話をしていたら、一見さんの男性が入ってきて窓側の席に座った。
モーニングサービスのオーダーを静かに食べ終わって、窓の外を眺めながら煙草を一服吸い始めた。
そして煙を吐き出しながら「ふぅー、ふぅう、ふうう・・ううううう」といかにも苦しげにうめきながら煙草を吸っている。そんなに苦しけりゃタバコ吸わんにゃええのにね。
ちょうど居合わせた暇なトンボが「しゃーないかね、あのお客、救急車呼んだほうがいいんじゃない。」
「でも まだ倒れとらんけ、呼べんよ。」
「そのうち倒れるけ、下で待機していてもらいんさい。」
といつもとなんら変わらぬ一週間の始まりは 鬱陶しい梅雨空たっぷりです。夜半に大雨が降ったしね。
さぁ頑張ろう!!なにを?ブログの更新を?仕事です、仕事。
さて今日の記事です。
少し前だけど 毎日新聞に興味のある記事があった。
芥川龍之介の小説「歯車」に第二の僕ーーつまり自分の分身が人に目撃される気持ち悪い出来事が書かれていると・・これはドッペルゲンガー現象というらしい。
勿論 私が知るはずもなく、本も読んでいないので調べてみました。
『自分の姿を第三者が違うところで見るまたは、自分で違う自分を見る現象のことである。自ら自分の「ドッペルゲンガー」現象を体験した場合には、「その者の寿命が尽きる寸前の証」という民間伝承もあり、未確認ながら、数例あったということで、過去には恐れられていた現象でもある。』
でも、人がコンピューター上のデーターとして処理されている今日のデジタル社会では、分身は簡単に生み出せると思う。自分の知らないところで個人情報が売買され、データーは当人の知らない世界を勝手に歩いているんだもの。
こういうことがよくわからないのだけど、三菱UFJ証券のデーター売買の件ね。
どんどんハイテク化する現代社会に ホント、アップアッツプして対応できないでいる私は、アマゾンで本を買うたび、お金を払わずにパソコン上で売買できるのが信じられないでいる。
勿論後で通帳から引き落とされているのだけど、お金をまだ払っていなくても、二・三日したら私の手元には本が届いているのだ。(信じられなくても買っている私はデーター上の分身の私。)
私は思う。
いつからか 銀行にATMが登場してから日本人の金銭観というものが少しづつ変って来たのではないだろうか。
お金というものの具体性がどんどんなくなってきた。そこに「キャッスレス時代」といってカードも一般化してきたし、ありとあらゆるものが通販で簡単に買えるようになってきた。お金のやり取りが、自分の手を経ずに、通帳の数字の変化だけで終始してしまうことが多くなってきた。自分の財布から離れたところで勝手に動いている。
どうも私は古い人間だからか、それともお金がないからか、カードで支払いができない。どんぶり勘定が心底身に付いている私は、財布の中にあるお金がなくなったらもうおしまい のほうが安心していられる。
ところで自分の分身の話から少し横道にそれてしまったけれど、今回のデーター売買の三菱UFJ証券の記事を読んでいて、へぇ 警察にこんな部署もあるんだと、新発見したのだ。
それは警視庁ハイテク犯罪対策総合センターという部署。
警察の隣に30年以上の私も知らなかったわ・・
これも時代なんでしょうね。
曇り時々雨 29℃
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この花に始めて出会ったのはいつだか忘れたけど、なんと情熱的な花だろうと思った。
鮮やかな色といい、逆さになったように咲く形といい変っていて 調べてみたらグラリオサで、日本名はかがり火の花とか。なんとなしに納得。
梅雨の鬱陶しい時期、自由奔放に咲いている、この花を見ると元気が出る。
近所のソーメンさんちの庭で咲かせたのを頂いた。
早速 アールデコ風の花器(といってもドレッシングが入っていた空きビンですが)に活けて楽しんでいます。(写真をクリックしてみてくださいね。)
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ううむ、一日が早い しかるに一週間も早い。だから月日が逃げて行くのも早い。こんなこと言いながら年をとっていくんでしょうね。
時代の流れや変化に追いつくことなく 空しく人生終わるのか~・・・
朝からカウンターでそんな話をしていたら、一見さんの男性が入ってきて窓側の席に座った。
モーニングサービスのオーダーを静かに食べ終わって、窓の外を眺めながら煙草を一服吸い始めた。
そして煙を吐き出しながら「ふぅー、ふぅう、ふうう・・ううううう」といかにも苦しげにうめきながら煙草を吸っている。そんなに苦しけりゃタバコ吸わんにゃええのにね。
ちょうど居合わせた暇なトンボが「しゃーないかね、あのお客、救急車呼んだほうがいいんじゃない。」
「でも まだ倒れとらんけ、呼べんよ。」
「そのうち倒れるけ、下で待機していてもらいんさい。」
といつもとなんら変わらぬ一週間の始まりは 鬱陶しい梅雨空たっぷりです。夜半に大雨が降ったしね。
さぁ頑張ろう!!なにを?ブログの更新を?仕事です、仕事。
さて今日の記事です。
少し前だけど 毎日新聞に興味のある記事があった。
芥川龍之介の小説「歯車」に第二の僕ーーつまり自分の分身が人に目撃される気持ち悪い出来事が書かれていると・・これはドッペルゲンガー現象というらしい。
勿論 私が知るはずもなく、本も読んでいないので調べてみました。
『自分の姿を第三者が違うところで見るまたは、自分で違う自分を見る現象のことである。自ら自分の「ドッペルゲンガー」現象を体験した場合には、「その者の寿命が尽きる寸前の証」という民間伝承もあり、未確認ながら、数例あったということで、過去には恐れられていた現象でもある。』
でも、人がコンピューター上のデーターとして処理されている今日のデジタル社会では、分身は簡単に生み出せると思う。自分の知らないところで個人情報が売買され、データーは当人の知らない世界を勝手に歩いているんだもの。
こういうことがよくわからないのだけど、三菱UFJ証券のデーター売買の件ね。
どんどんハイテク化する現代社会に ホント、アップアッツプして対応できないでいる私は、アマゾンで本を買うたび、お金を払わずにパソコン上で売買できるのが信じられないでいる。
勿論後で通帳から引き落とされているのだけど、お金をまだ払っていなくても、二・三日したら私の手元には本が届いているのだ。(信じられなくても買っている私はデーター上の分身の私。)
私は思う。
いつからか 銀行にATMが登場してから日本人の金銭観というものが少しづつ変って来たのではないだろうか。
お金というものの具体性がどんどんなくなってきた。そこに「キャッスレス時代」といってカードも一般化してきたし、ありとあらゆるものが通販で簡単に買えるようになってきた。お金のやり取りが、自分の手を経ずに、通帳の数字の変化だけで終始してしまうことが多くなってきた。自分の財布から離れたところで勝手に動いている。
どうも私は古い人間だからか、それともお金がないからか、カードで支払いができない。どんぶり勘定が心底身に付いている私は、財布の中にあるお金がなくなったらもうおしまい のほうが安心していられる。
ところで自分の分身の話から少し横道にそれてしまったけれど、今回のデーター売買の三菱UFJ証券の記事を読んでいて、へぇ 警察にこんな部署もあるんだと、新発見したのだ。
それは警視庁ハイテク犯罪対策総合センターという部署。
警察の隣に30年以上の私も知らなかったわ・・
これも時代なんでしょうね。
曇り時々雨 29℃
いつもありがとうございます。
本当に久しぶりの雨、いいんだか鬱陶しいんだか・・
でも梅雨は雨が降らなくちゃ、畑が困るよね。
私の格言、新種の便利は新種のストレスを生む。
やはり今の時代、オレオレ詐欺だって ATMがなけりゃ 起こらなかったと思います。
昔がいいわ、和やかで、親のありがたみがよーくわかって。
便利さは 心の情を失う確率が高いと思います。
いいんだか、悪いんだか、よくわかりません。
とにかく騙されないようにしなくちゃです。
支払いは財布から。
まるみさんのコメントで昔を思い出しましたねえ。
時代がちがうから、郵便の為替。
変動の激しい時代だったから、
金額は、50円ぐらいから、卒業前で3千円ぐらいだったでしょうか?親の顔を思い出しては
頑張らねばと思ったものでした。
芥川は実際に自分のドッペルゲンガーに会ってしまったと昔テレビで視たように思う。
朝、起きると書いたはずのない原稿が仕上がっている。 しかも自分の筆跡で。 不可解な日々の挙句、ある朝ついに文机に向かって執筆している自分を見てしまう。 奇怪な話である。 そうか・・おれは双子だったのか。。
と、そんなオチで終われば結構、面白いのだが。。不如意なる日々や世の中ではえてしてこういう怪奇ミステリーな風聞が流行るのだそうだ。 口裂け女 ツチノコ 。。。
現実をしかと見据えることに倦んでしまい、非在なるものへの憧憬が生まれ、そこに新しい自分を投影してしまう。 鬱屈した閉塞感の中から「どこかへ跳んでいけそうな自分」を錯覚してしまうのだろう。オウム(アレフ)の信者には選良といわれる若者が多かったのも無縁ではあるまいと思う。 何も分っちゃいないはずの若造のその優れた脳みその故に、なにもかも知ってしまったかのような思い込みが、短絡なる絶望に繋がる。 残されたものは非・日常的な世界への憧れだったのだろうか。
もう一人の自分は恐ろしい話ではあるが、ある種の同質なカタルシスをも含んでいるような気がする。 念のため市役所に行って、私は本当に一人っ子だったのかどうか確認してこようと思う。
梅雨ですから仕方がないですよね。
>金の出し入れは、伝票を書いてハンコを捺して。支払いは財布から。
全く同感です、古い人間でもいい。
これが一番、なければあきらめればいいのです。最近はカードならお金が湧いて出ると勘違いしている若者が多いようなきがする。
>親の顔を思い出しては
頑張らねばと思ったものでした。
こまちゃんはいい子だったんですね。涙、涙です。
こんな子供ばかりなら 間違いを起こす子供はいなくなるでしょうね。
勿論 私も含めてですよ。
アハハハ・・
やめとけ、やめとけ、自分とまったく同じ人間なんておりゃせん、第一 気持ち悪い。
ただ よくよく考えると、人はいい行動ばかりして生きてはいけない、時には法に触れない程度に悪いこともしたくなる、というかしなければならないような時もある。
そんなとき 別の自分を感じることはあります。
ううむ、ブラックな自分と、ホワイトな自分が どう自分の中で共存共栄していくか、これが問題です。