ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

的を得た言葉って死に体語?

2010年06月06日 | 四方山話
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♪みんなで聞こう
楽しい オルゴールを
ラリラリラリラ
しらべは アマリリス

月の光
花園を あおく照らして
ああ 夢を見てる
花々の眠りよ

フランスみやげ
やさしい その音色(ねいろ)よ
ラリラリラリラ
しらべは アマリリス

近所を散歩していて見つけた鉢植えのアマリリス。大きいんですよ、私のグローブのような両手でも入りきれないくらい。


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 あんたの言葉はホント古いね。といつも言われる。”天気精蝋なれど”なんて知ってるもんなんかおりゃせんよ。とも言われた。
自分ではそんな感じはないのに、この言葉だけでなく とにかく普段の会話に出てくる言葉が年代物らしいのだ。
ま、決して若くないし、年相応の言葉だとは思うのだけど。それを無理していまどき言葉に変えるというのもなんか使い慣れてない言葉は、言葉だけが一人立歩きしているようで嫌なんですよね。

それに無理してでも 今や死に体になった言葉をわざわざ掘りだすのもまた楽しいものですし。
たとえば、「なかんずく」とか、「いわんや」とか、「けだし」とか、「ゆゆしき」とか、「よるべない」とか、「ほだされる」とか、「ないまぜ」とか、「ねんごろ」とか。
私はよく使う。

でも、何かを言葉で表わすとき、「この言葉しかない」という言葉って、たしかにある。あるのだけどそういう言葉って、どういうわけか日常から消えていきつつあると思うのだ。
これっきゃない、という言葉を失って、少ない語彙で「なんとなく」な会話をしていると、人と人の関係もどんどん希薄になっていくような気がしてしまう。
そうじゃなくて、そんなんじゃなくて、もっと今の気持ちにピッタリの言い回しが・・と思うと悔しい。

そういえば最近よくお客さんに「車変えたんかね。儲かったんだね。」と言われる。
「いいえ、中古です、諸々のやむにやまれぬ事情で買い替えたんです。」
「やむにやまれず」って、もう、どうしようもなく、という切羽詰まった葛藤のようなものが、この一言で伝わってしまう。
何も言わずとも人間の「感情」をぴたりと言い表している言葉。

でも最近こういう言葉ってあまり使わないよなぁとも思う。
お客さんたちと話していて、「どうしてそんなふうになったん?」「やむにやまれず・・」なんていわない。
「なんとなくね。」で済ませてしまう。

またもや、少し長くなってしまうけど、先日 読売新聞にこんな記事があった。
●やむを得ない。
そうするよりほかにどうしようもないと、諦めたときに口に出る言葉。
「やむ」は途中で行われなくなること。終わらずにいつまでも続くのが、「やまない」やめようとしてやめられないのは、「やむにやまれぬ」「やむを得ない」は、やめたくてもやめられず、続けざるを得ないということから、不本意ながら仕方ない、という意味になる。

してみると私の「やむにやまれず車を変えた」というのも あながち間違った言い回しではないのだな。

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