Out of the crisisのAppendixに書かれている「日本での改革」の章の内容をさらします.
Appendix Transformation in Japan 日本での改革
【】内訳注
日本で,デミングさんが何を教え,どの様に変革していったかがこの章で説明されています.
内容を引用しながら,見てきたいと思います.
まず,デミングさんが,なぜこの章を書いたのか,見てみましょう.
Out of the crisis Ch. Appendix
<引用>
</引用>
以下,内容をまとめます.
どうやら,日科技連は戦争中にあった各組織をまとめたもののようです.彼ら(と経団連)は輸出するために,品質向上が必要であり,そのための学習が必要であると考えていたようです.
1942年ぐらいに,アメリカで10日集中セミナー等を開き,技術者に品質管理を教育していったようです.軍備の役所でも,品質管理のコースを開いていったそうです.その頃は,品質管理ブームのような感じになって燃え広がったようですが,デミングさん曰く,「勢いよく燃え,パチパチしてきて,シューとなって,消えてしまった」だそうです.
品質管理部門等の設立,管理図等,個々の組織や手法はそれぞれ残ったようですが,改善の考え方等は消えてしまったようです.
日本では,アメリカでの過ちを繰り返したくない.トップマネージメントに彼らの責任を理解させなければならない.
そう考えたデミングさんは,日科技連や経団連等のつてを頼って,トップマネージメントへの教育の場を設けたそうです.
そこで教えたのは,下記の図等を使って,製造のシステムとしての側面を教えたそうです.
Fig. Apdx-1 Production viewed as system
<引用>
</引用>
Expansion of education to management, engineers, foremen.
日本では現在,アメリカと違って,時間給の人にまで管理図等の教育が行き届いていて,アメリカのように,時間給の人に何もしないで彼らのプライドを傷つけている事は無いとしています.
ジュランさんも1954年に日科技連の招きで,日本へ行き,品質と生産性改善に対するマネージメントの責任に対する,新しい洞察についてのすばらしい講義を,日本のマネージャに与えたそうです.
Further notes in respect to top management in Japan.
<引用>
</引用>
・古河電気の西村社長の報告では,1951年7月に10%の被覆電線のリワークが低減され,同じだけ生産性が向上した.
・日科技連の小柳副理事は1952年,アメリカ品質協会の会合で,日本企業の13のレポートを報告した.
それら13のレポートは,すべてトップマネージメントが作成していた.
・田辺製薬の田辺社長は,同じ人,同じ機械,同じプラント,同じ材料で,今までの3倍の抗生物質の早期製造が可能になったと報告した.
-以下略-
QCサークルの一般化は,石川馨さんが1960年に行ったものです.
これらは,異常原因に対し,少数の人々で構成されたサークルでの討議等で対処していくことが目的です.(当の石川馨さんは,QCサークルとは,「まず勉強するグループであり,再発防止の管理を行うグループ活動である.」といっています.(日本的品質管理[増補版] P31))
これらQCサークルの成果は,いろんな業種が集まる地方や全国での報告会で報告され,共有されます.
最後に,デミングさんが,このQCサークルの節の最後に書いている内容を訳しますので,皆さん考えてみてください.
<引用>
</引用>
Appendix Transformation in Japan 日本での改革
【】内訳注
日本で,デミングさんが何を教え,どの様に変革していったかがこの章で説明されています.
内容を引用しながら,見てきたいと思います.
まず,デミングさんが,なぜこの章を書いたのか,見てみましょう.
この章の目的
Out of the crisis Ch. Appendix
<引用>
Motive for this appendix.
この章を【書いた】動機.
ありふれた世界に日本の奇跡があり,衝撃の1950年からこの奇跡が始まった事が知られている.それ以前は,日本が輸出した一般向け製品の品質は,全世界で「安かろう,悪かろう」とのうわさが立っていた.さらにアメリカ軍は,日本人が,何が品質なのかを知っているかをテストした.まだ,彼らは国際取引の中で,品質向上に対する努力を傾けてはいなかった.
1950年に,突然,日本製品の品質と信頼性が上がり,1954年には,世界中の市場を捉えた.ニューエコノミー時代が始まった.何がおきたのか.
その答えは,トップマネージメントが,輸出のためには品質が不可欠であると確信し,【品質向上に】スイッチする事が出来たことである.
彼らは,会議の上に会議を重ね,この目的の達成のために目的に導く責任を果たすことを学習した.マネージメントと工員たちは,品質と仕事のために,共に力を果たした.
</引用>
以下,内容をまとめます.
JUSE. 日科技連.
どうやら,日科技連は戦争中にあった各組織をまとめたもののようです.彼ら(と経団連)は輸出するために,品質向上が必要であり,そのための学習が必要であると考えていたようです.
Conferences with top management. トップマネージメントのとのコンファレンス.
1942年ぐらいに,アメリカで10日集中セミナー等を開き,技術者に品質管理を教育していったようです.軍備の役所でも,品質管理のコースを開いていったそうです.その頃は,品質管理ブームのような感じになって燃え広がったようですが,デミングさん曰く,「勢いよく燃え,パチパチしてきて,シューとなって,消えてしまった」だそうです.
品質管理部門等の設立,管理図等,個々の組織や手法はそれぞれ残ったようですが,改善の考え方等は消えてしまったようです.
Japan 1950. 日本 1950年.
日本では,アメリカでの過ちを繰り返したくない.トップマネージメントに彼らの責任を理解させなければならない.
そう考えたデミングさんは,日科技連や経団連等のつてを頼って,トップマネージメントへの教育の場を設けたそうです.
そこで教えたのは,下記の図等を使って,製造のシステムとしての側面を教えたそうです.
<引用>
消費者は,生産ラインの一番重要な部分である---日本のマネージメントにとって新しい原則である.製品のパフォーマンスの裏側に立脚するこの原則が,日本のマネージャにとって必要である.彼らは常に前を見て,新しい製品やサービスをデザインしなければならない.納入部材の同一性と信頼性の改善のために,信頼と忠誠の長期関係に則り,各1アイテム毎のベンダを選択しなければならない.
マネージャは,機械や指導書,ゲージのメンテナンスに何時でも注力しなけらばならない.
これだけでは,あちらこちらですばらしい達成をするのに不十分である.バラバラの努力では,国家単位でのインパクトは無い.消費者が,現在及び将来の必要において品質という言葉に含めているのは,企業や,国家などのすべての活動である.
品質の改善は,1950年,日本で始まった.
</引用>
Expansion of education to management, engineers, foremen.
マネージメント,技術者,職長への教育の広がり.
日本では現在,アメリカと違って,時間給の人にまで管理図等の教育が行き届いていて,アメリカのように,時間給の人に何もしないで彼らのプライドを傷つけている事は無いとしています.
ジュランさんも1954年に日科技連の招きで,日本へ行き,品質と生産性改善に対するマネージメントの責任に対する,新しい洞察についてのすばらしい講義を,日本のマネージャに与えたそうです.
Further notes in respect to top management in Japan.
日本の尊敬するトップマネージメントの将来の話.
<引用>
一般的に,今まで「安かろう・悪かろう」な日常品を生産していた日本は,ヨーロッパやアメリカには追いつかないであろうと思われていた.
しかし,1950年に品質面での新しい日本が始まった.私は5年後には日本は,世界のマーケットを侵略し,時間が経つにつれて,最も栄えている国の一つになると予測した.
-以下略-
</引用>
Encouragement from futher result. さらなる結果に励まされた.
・古河電気の西村社長の報告では,1951年7月に10%の被覆電線のリワークが低減され,同じだけ生産性が向上した.
・日科技連の小柳副理事は1952年,アメリカ品質協会の会合で,日本企業の13のレポートを報告した.
それら13のレポートは,すべてトップマネージメントが作成していた.
・田辺製薬の田辺社長は,同じ人,同じ機械,同じプラント,同じ材料で,今までの3倍の抗生物質の早期製造が可能になったと報告した.
-以下略-
QC-Circles. QCサークル.
QCサークルの一般化は,石川馨さんが1960年に行ったものです.
これらは,異常原因に対し,少数の人々で構成されたサークルでの討議等で対処していくことが目的です.(当の石川馨さんは,QCサークルとは,「まず勉強するグループであり,再発防止の管理を行うグループ活動である.」といっています.(日本的品質管理[増補版] P31))
これらQCサークルの成果は,いろんな業種が集まる地方や全国での報告会で報告され,共有されます.
最後に,デミングさんが,このQCサークルの節の最後に書いている内容を訳しますので,皆さん考えてみてください.
<引用>
1980年11月に東京で開かれたQCサークルの全国大会での100の報告のうちの一つで,現在7名で行っている作業を,5名で行えるように作業改善を行っているとの報告であった.
言い換えると,140名で行う作業を,今は100名で行えるという事だ.40名は仕事を失わない.ただ他の仕事に移るだけだ.
貢献は,このように会社を競争優位のポジションに立たせることであり,究極的には,会社はより多くの雇用を必要とすることである.より少なくではなく.
</引用>
参考文献
- Dening, W. Edwards,Out of the crisis,1986,ISBN:0-262-54115-7
- Dening, W. Edwards,The New Economics: for Industry, government, education -2nd ed.,1994,ISBN:0-262-54116-5
- 吉田耕作,国際競争力の再生 -Joy of Workから始まるTQMのすすめ-,2000,ISBN:4-8171-0338-8
- 武田修三郎,デミングの組織論,2002,ISBN:4-492-53152-1
- 石川馨,日本的品質管理 [増補版],1984,ISBN:4-8171-0010-9