館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2023蔵王始動!初日。

2023-04-25 03:56:34 | 山菜・きのこ・釣り


まだ、早いかな・・と、思いつつ、連休の混みこみが嫌で・・屛風岳を見る限りは、雪は少なかったか?



今回、弟子。そして女房(女房は観光)。





見事に、渇水、風強し、そして水温が低いという3つの障害。
それでも、今年の初物は嬉しい・・・・
春先というのは、まだ、魚が餌を追わず、もともとあまり釣果は期待できないのだが・・目標は2日で12匹。
初日8・翌朝4と立てたが・・・・





弟子は3年目・・・あたりも取れて、ポイントもわかってきた・・・





昼飯。時々、弟子からの茹で卵。



シラネアオイがばっちりで、あちらこちらに咲いて、カタクリは名残が少々であった。他の沢では、シラネアオイを踏まないと進めないなんて場所もある。





この沢はずっと登ると、山また山で、釣り登りは少しづつなのでへっちゃらなんだけど、帰りの下りは沢を降りるしかないので、もはや体力がやばかった・・
あと、何年、こんな沢に入れるだろうか・・・(腰がやばかった・・・)





必死に粘る弟子。こやつは、根性だけで釣っている。まぁ・・毎月何度もお山に登ってるので、体力は十分。何より若い!
結局目標届かず・・・6匹であった。釣ってる間は面白かったけどさ・・・



4時にペンションに戻って・・まずはきしんで、ほぼ悲鳴を上げていた体に、源泉かけ流しの風呂は沁みた。
いつもより入念に入った。半身浴10分!





楽しみは、風呂ののちの泡盛・・・・沁みたなぁ・・・・沁みた。



オーナーは山形出身・・山形愛。

山形牛のステーキが美味いっだな。

こごみの和え物・モミジガサのお浸し・こしあぶらとタラの天ぷら!

この後・・・7時には爆睡!

すこし、まじ・・・体力の衰えを感じた。60の暮れは、ますます体力維持に努めないなぁ・・・・

24日の濃厚接触・斎・R・・2名。
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今どきの見ごろ。

2023-04-24 04:14:16 | 生活雑感




桜が終わって、菜の花が終わって・・・・

今どきは、ハナミズキが美しい。圧巻の白であった。





黄緑もピンクもあるんだねぇ・・・・・





藤も、見ごろだった・・・・・ここらには有名な「フラワーパーク」の藤があるのだが・・・めちゃ混みだんべな。







咲き始めのツツジも殊の外美しい・・・・・

花をめでる余裕・・・・大事だよな。

23日の濃厚接触・・S・R・どんぐり夫婦。
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17日の菜園の記録。

2023-04-22 04:02:33 | 僕の菜園




タイムが年老いてきたので(地植えなら心配ないが、鉢なのだ)挿し木をした。





こ奴らを蒔いた。





本日のコーヒータイムは、おやつ付き。



枝豆第二弾(第一弾が発芽が悪く、しかもダンゴムシにやられたので)ながら、実際は第一弾かも?を、蒔いた。





じゃがいもの、芽欠き(基本2本立ち)。

そして、土寄せ第一回を行った。


21日の濃厚接触・・・1名。
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2023うりずんの沖縄・大沼君ついに上陸・・マイ企画。

2023-04-21 04:13:52 | ロスト シングアウト




ガイドツアーとはいえ、密かに、俺が行っていない場所など日程に忍び込ませた。俺にとって大事。

1944年8月対馬丸という疎開船(民間人・学童合わせおよそ1700名)が米軍の潜水艦に撃沈される。この事件は、軍によって、厳しく隠ぺいされる。
戦後、学童の遺族たちが中心になって「記念館」が作られ、語り継がれている。
同じように、軽便鉄道の爆破事故が起こるが、こちらも厳しく隠ぺいされ、残された資料も少なく、最近になってTVで特集されるようになった。

この事件を少し調べ始めたので、現地に立ってみたいと思った。

写真・旭橋にある那覇駅の遺構。





沖縄戦は「持久戦法」であった。迎え撃たず、持久になるには2つの引き金があった。1つは、最終的な日本軍の兵力のうち、戦闘部隊・実戦で武器が使える兵は53000ほどだったが、1944年11月に第9師団25000が台湾へ持って行かれ、戦闘兵力の3分の1を失ったこと。2つ目は1944年12月11日に起こった「軽便鉄道爆破事故」であった。兵士210余・女学生8人・乗務員3名が亡くなり、輸送中の弾薬・燃料のみならず爆発現場付近に置かれた弾薬も爆発で無くした。爆発音は一晩中鳴り響いたという・・・長参謀長をして「今、敵上陸するとせば、われは敵に対応すべき弾薬なく玉砕するほか無き現状」と言わしめている。戦中はかん口令が敷かれ、秘密裏に処理された。

この事件を追うべく、調べ上げた、爆発現場にまず立ってみた。どこにでもありそうな、喉かな農村がそこだった。この道路は糸満線が走っていた場所で、この辺りが爆発現場である。







軽便の纏まった資料館は、ここだった・・・爆破事故の何がしかの資料もあるかと・・・行ってみたが・・・









まずオジイと記念撮影・・・・



入場券は昔の切符のレプリカ・・自分でハサミを入れる。







ARで展示の写真を見ると、カラーになる・・・・



しかし、爆破事故の資料は全くなく・・・学芸員もそちらへの意識は無かった・・・まぁ・・こんなものかもしれない。







大里グスクも行った。第一尚氏の時代、まず南部のここが落とされ(1402年)、以降、中部・北部と各地の按司(あじと言います・その地域の大名と考えれば・・)を征服し、統一を遂げるのであった。
戦中は石垣などが建築資材に使われ、さらに米軍の攻撃・・・戦後は復興の資材と使われ、遺跡は消失する。
平成2年度から発掘調査が始まり、戦後の公園事業の構造物を撤去しながら整備が進み、2012年1月には国の指定史跡となって、少しは昔の姿が蘇ったのであった。。







城の大きさが想像できる広場(馬場であるとか、家来の住居とかあったのかもしれない)を過ぎると、やがて2の丸・そして本丸が現れる。
立ち寄りなので、速足の見学だったが、わしゃ、ここなら半日は居られる・・・・









こんなところにも行った。実は年金者新聞の原稿で、「3人の戦前で嫌われていない行政官・軍人」というシリーズを書こうと思っている。
(現在は、「沖縄から眺める本土日本」というシリーズを書いていて、毎月1回、それが14回まで発行され、17で1つの区切りを迎える)
3人とは、戦前最後の知事「島田叡」・最後の県警部長「荒井退造」そして海軍の「太田中将」である。現在の警察資料館を見学すれば(コロナで久しく見学できなかった)何か、荒井退造氏の資料でもあろうかと、やってきた。





事前の申し込みで、若い方が対応したが、、「ところで、どうして見学しようと思ったのですか?」と、明らかに不思議がられ・・・
荒井退造氏を調べていて、そちらに何かあればと思ったから、と伝えた。
資料館には何もなかった・・・ここは、郷土学習なんぞで、児童がやってくるのが大半らしい・・・

若い電話対応のお兄ちゃんが、こんなものしかありませんでした(事前に荒井退造関連を調べたらしい・・)と、資料を見せてくれた。
おかげで14Pに及ぶ資料を画像に収められた。(昔ならコピーを頼むが今どきはデジカメで便利だわ!)



今回から、そうだ!沖縄の都道府県の慰霊碑を、毎回一つ紹介したらいいかも?と、思付きで・・
仲間や知り合いの県をさ・・・ってことで、今回は石川県。







摩文仁の丘にある。
すっきりしたたたずまいである。


20日の濃厚接触・・1名。
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2023うりずんの沖縄・大沼君ついに上陸その2。

2023-04-20 04:48:15 | 旅は続く






民謡酒場は沖縄の文化と言って大げさでない。場末でないと、観光客目当てで、面白くないし、お金が高い。
峯さんのたっての希望でこちらに来た・・・まず観光客は居ない。そして、歌って踊って、飲んで2500円!
オーナーのおばぁは、実に歌も太鼓も上手で、歌者は3人いるらしいが、日によって変わるようだ・・・上手である。



まぁ・・・すっかり峯岸ワールドである。



太鼓をたたく峯さん・・・



太鼓を叩く大沼君・・・・

わしゃ、このあと、明日のガイドを完ぺきにこなすため・・・ホテルに帰る。







世界遺産「中城城址」を訪ねる。1440年ごろ、第一尚王朝から城主護佐丸がここへ転付を命じられ治める。やがて謀反を疑われ命を落とす。
築城の名手であった。その城跡は見事ながら、痛みが激しく、ずっと修復が行われている。





ペリーが画かせた絵が、チケットの図柄になっている。ペリーをして「世界で一番美しい城」と言わしめた場所は、修復で見る影もなかった。







首里城・座喜味城・勝連城・そして中城城、この世界遺産は観光コースになっているが、見ごたえはある。
守り完璧は絶壁に建っている。









中城城址から200mほどに、護佐丸の墓があるのだが、案内もなく、ここは訪ねるべき場所と俺は思うので、行政にやや不満だ。
墓に刻まれた「毛国鼎」とは彼の中国名である。沖縄で一番古いと言われる、亀甲墓である。









護佐丸の家来だった、築城の匠の家が重要文化財として保存・解放されている。鎌倉・室町の日本建築と琉球独自の設計思想が融合した、美しい景観だ。
赤瓦の住居に、見事に溶け込む、大沼君のお姿!



立派な、豚小屋・・・フールが観れる。他、牛小屋・馬小屋もあり、豪農、名主であったと見て取れる。









最終日・・・首里城にやってきた。バリケンが出迎えてくれた。





2028年の完成を目指し、焼失した首里城の大規模な建設が進んでいる。





軍隊・・・戦争は破壊でしかないとよくわかる。
ここは、首里城の下に掘った、32軍の大本営の入り口だ。

2年前からここの壕の保存運動が活発になったが、壕の入り口までの道を整備していた。
壕の中も、がれきが片付き始めたようだ・・・・大事なことだ。
数年後には、壕の中の痛んでない部分が見学できるようになる気がして、うれしかった。

19日の濃厚接触・・大・R。
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