館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2018梅雨明けの沖縄その5・悲しい最終日ながら、やっぱり沖縄はテーゲーであった。

2018-07-06 04:59:50 | 旅は続く


悲しい最終日は、ぐだぐだ朝はホテルで過ごし、市場の開く時間に市場に・・・
帰ってから酒のつまみに、名店、胡屋てんぷらやで魚のてんぷらとモズクのてんぷらを購入。
そして、ゆいレールで奥武山公園にやってきた。まぁ・・公園でも散策して、まったりと時間を過ごすつもりだった。



プロ野球のキャンプなどで使われる、沖縄セルラースタジアムがある。





沖縄の高校生たちは、野球強くなったよな。

駅を下りて、園内地図で良さげな場所を確認。なぜか「二中健児の碑」があるという・・・二中健児は初日に回ったが????
もしや、ここにもあるのかと・・・(事前調査で、どこかから移転して城岳に移ったという記事をこの時思い出さなかったのが悔やまれる)
2つある不思議さを思いつつ、それを目指した。

途中、こちらの碑が目に入る・・・

島田叡(しまだあきら)・・・・・・・戦前最後の知事だ。

そうだ!兵庫から、戦争が激しくなる時期に、沖縄の知事として赴任・・・・・相当な覚悟で赴任だったに違いない。

沖縄の人達に寄り添うことができた知事と聞く。反感は今もなく、沖縄に人たちに受け入れられている数少ない本土のお偉いさんだ。

彼もまた、死んだ場所さえ特定されることなく、沖縄の地に果てた人だ。

その彼は、野球人でもあったらしく、ここに立派な碑が建っているということらしい。

碑文をすべて読んだが、たいした知事だったな。


このような紹介がウィキに・・・・

1945年(昭和20年)1月10日、沖縄県知事の打診を受け、即受諾した。各官庁と折衝すると称して東京に頻繁に出張していた前任者の泉守紀には、出張中にも係わらず、香川県知事の辞令が出された。沖縄への米軍上陸は必至と見られていたため、後任者の人選は難航していた。沖縄に米軍が上陸すれば、知事の身にも危険が及ぶため、周囲の者はみな止めたが、島田は「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん。」として、日本刀と青酸カリを懐中に忍ばせながら、死を覚悟して沖縄へ飛んだ。
同年1月31日、島田は赴任するとすぐ、沖縄駐留の第32軍との関係改善に努め、前任者のもとで遅々として進まなかった北部への県民疎開や、食料の分散確保など、喫緊の問題を迅速に処理していった。同年2月下旬には台湾へ飛び、交渉の末、蓬莱米3000石分の確保に成功。翌3月に、蓬莱米は那覇に搬入された。こうした島田の姿勢により、県民は知事に対し、深い信頼の念を抱くようになった。
同年3月に入り空襲が始まると、県庁を首里に移転し、地下壕の中で執務を始めた。以後、沖縄戦戦局の推移に伴い、島田は壕を移転させながら指揮を執った。軍部とは密接な連携を保ちながらも、およそ横柄なところのない人物で、女子職員が井戸や川から水を汲み洗顔を勧めると「命がけの水汲みの苦労を思えば、あだやおろそかに使えないよ」と、ほんの少ししか水を使わなかったという。
陸軍守備隊の首里撤退に際して、島田は「南部には多くの住民が避難しており、住民が巻き添えになる。」と反対の意思を示していた。同年5月末の軍団長会議に同席した島田は、撤退の方針を知らされ、「軍が武器弾薬もあり装備も整った首里で玉砕せずに摩文仁に撤退し、住民を道連れにするのは愚策である。」と憤慨。そのとき牛島満司令官は、「第32軍の使命は本土作戦を一日たりとも有利に導くことだ。」と説いて会議を締め括ったという。



綺麗な案内板に「二中健児の塔」・・・・・・



このかなり急な階段上の高台にあるはずだ・・・塔といえば、高台はそれらしき場所だ・・・・

登る・・・・・隣が神社なので、そったら関連の塔はあるが、見当たらない・・・・反対の降り口あたりかぁ・・と、降りてみるが無い・・・
うろうろ周辺を探すが、見当たらない。
もう1度登って、くまなく探すが・・・無い。
降りて、ここではないのか?と、案内板でしっかり位置を確認する。そして、散歩中のお方に・・「近所の方ですか?」と声をかけると「そうだうよ」というので・・・
「二中健児の塔があると案内板にあるのですが?どこですか?」と聞けば・・あの2度も登った高台だと言う・・・

もう1度登るが、どうしてもない。下り反対側にある「護国神社」の方に聞いてみる・・・

「前はあったのですが、今は移転してここには無いです・・」だと。

帰って改めて調べると、1990年奥武山公園から城岳に移転とあった・・・わしゃ、そこは初日に行って拝んだ!

それにしても、ご近所住民といい・この公園の案内板といい・・・「テーゲーな島沖縄」の本領発揮であった・・・

猛烈に疲れ、木陰のベンチで30分は倒れていた・・・




気を取り直して、公園そばの食堂で早い昼飯・・・安いが噛み切れないとんかつを食って、かなり早いが空港でまったりと決めた。こうして、悲しい最終日は終わったのだった・・・・



ここからは、沖縄風物詩・・今回編である。

話には聞くが実際かかっているのを見るのは初めて!
沖縄の魔除け!形が「水」の字に似ているので「スイジガイ」!魔除けで玄関や台所などにつるすらしい・・・
恩納村仲泊で発見なのだ。



山の中で見つけた「山みつば」・・・本土と姿はおんなじだな。



山道に落ちていた、かなり大きな木の実。パパイヤほどの大きさだが・・・・調べねば。



もうすぐ食べ頃のバナナだねぇ・・・



ひときわこの時期鮮やかな「アリアケカズラ」!




ゴールデンシャワーの別名を持つ「ナンバンサイカチ」・・・花は本当に綺麗なんだけど、実は黒くヌンチャクが垂れ下がったようで不気味なんだよな・・・



毎日米軍基地をめぐる報道が新聞をにぎわすが、本土ではまったく流れない違和感・・・




車窓からいつも見えるのだが、すかんなぁ・・・・クリーニング屋の屋上。





さて、今回のシーサー

伝統工芸士のヤチムンだ。

これくらいになると、中古車が買える?



歴史の道を踏破できなかった・・・・
アナーザーサイドの「護郷隊」を知った・・・
まだ、手を合わせていない学徒の碑が本島にある・・・


やり残したことがまだまだあって、また島に行かねばならないなぁ・・・・・

これにて、2018梅雨明けの沖縄・・・終了です。長いお付き合いありがとうございました。
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