7時35分の本部港行きのバスを待つ我々。朝から元気な、ベーベー3人だ・・・・
やがて9時・・・遠くに、伊江島の島影・・・それが少しづつ近づき・・・いよいよ、上陸した。
伊江島・・海岸線長22.4キロ・・城山(通称タッチュー)がシンボリックに立つ、美しい島だ。
1943年東洋一の飛行場(滑走路が何と6本)の建設が始まり、1945年完成した飛行場は、沖縄大本営32軍の要請で、建設に邁進した兵隊・人々はすぐに、自壊を開始する、見事な悲劇の歴史を背負う。
守備隊が居たので、いわゆる「伊江島の戦い」が始まり、4700人余(住民1500余)が戦死あるいは、集団自決で亡くなる。
こうした、戦跡・名勝を周回道路を進みながら、回るのが伊江島の俺の旅になる。
まずは、4700余の慰霊碑にお参り。
ピューリッツアー賞を取ったアメリカのジャーナリストのアーニー・パイルは伊江島で戦死する。その功績を称える記念碑。
米軍によっていつも綺麗に管理されている。彼を称えて、那覇に「アーニー・パイル記念国際劇場が出来、その劇場のあった通りが「国際通り」である。
悲しくも哀れな2人。伊江村が用意した駐車場からのガジュマルだが、裏手の私有地からこのガジュマルを眺めると、その高さ、茂り具合と様相が一変する。
この戦跡を残した伊江村・・天晴!
伊江島に案内した場合、必ずシンボルの城山(通称タッチュー)には登ってもらう。わしも、今回はしばらくぶりに登った。
見事に急な階段が、したすら(ひたすら)続いて、やっと頂上。
伝説・・力(ちから)タンナーバ。
360度の展望・・・その絶景は登ってよかった!!と、登りの苦労を思わせるぜ。
戦後の、まさに銃剣とブルドーザーで奪われた土地の、土地闘争。その原点・起爆剤になったのは、伊江島の戦いだ。
阿波根昌鴻さんたちの非暴力の闘争の姿は心打たれる。ここも必ず来る。
昼飯は仕入れておいたコンビニ飯をビーチの木陰で食べた。沖縄の海は晴れると化ける。見事に美しくなる。
今回旅は1度も降らず、スコールも無かったぜ。愛想のよいベーベーの注いだ生ビールは幸せだった。沁みた。
集団自決のガマ。
ワッジーという、景勝地。
ここも絶景なのだ。
実は・・実は、今回の伊江島は、アツコのたっての希望で「アツコ馬に乗ってお散歩」がサプライズ企画であった。
アツコは乗馬を始めたらしいのだった・・・
ガンベルトはしなかった・・・・
中々様になっていた。1時間半・・たっぷり乗った。わしらは、しばし、まったりの時間だった。(昼寝もした・・)
2頭の与那国馬も居たぜ・・・小さいなぁ・・・・こののち、色々あったが、旨い夕餉にありついた・・・
翌朝は8時発のフェリー。
遠ざかる伊江島にしばしのお別れだ。
また、必ず、来るつもり・・・(ミネさんもせいごうちゃんも、この島はお気に入りさ)
いい島です。