館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

沖縄2013秋・・その3・・琉球王朝祭り・南風原・やちむん通り。

2013-11-15 06:47:59 | 旅は続く
記事は3日目そして4日目(最終日)と続く・・旅日記は終わりね、これで。

10時に座間味を出航、11時10分に泊港についた。
海は昨日とは打って変わって、穏やかだった。

ホテルに荷物を預け身軽にして、昼飯に首里城付近にタクシーで行った。

琉球料理「あしびうなぁ」という、まあ、観光客が多い店に行った。
店事情は後日。いや、旨かった!

首里城付近は、この日は「琉球王朝祭り」が開かれていた。



首里中学校のブラスバンドを先頭に、地元の宗教行事の再現、みるく(弥勒だわな・・)などが続き、最後は
尚王朝の王様や后の輿で行列は終わるのだけど、なんだかねぇ・・途中、市長とか、地元市議や県議なんてのが、大きなたすき(市議会議員○○なんて書いてあるのさ)をかけ、握手して回ったり可笑しいったらなくてさ。

それと、行列も間延びして、実行委員のオジイたちが例の黄緑の蛍光色の上着なんか着て、行列の早さを指示して回ったり、客に道路にはみ出すなと威嚇したりして、彼らのほうが目立つ状態で、正直あまり感動の無い行列であった。



地元の祭りも再現されて、これは迫力があったんだけど、全体とのプログラムが取れてない感じ?



テキヤさんも仰山出ていたな・・・これ、何も買わなかったけど、懐かしい風景だったな。



まあ、祭りは呑みつつ・・・




后は美しかったぜ!



実はこの日は、首里城に隣接の県立芸大が文化祭であった。



戦前は沖縄師範学校の跡地に建つ芸大周辺は散策にピッタリで、沖縄を代表するような、デイゴやアカギ・フクギ、そしてホウオウボクなどの大木が素敵。




生徒達の日ごろの成果を鑑賞。

祭りよりこっちのほうがGOODだったな。



わしな・・・当然反省は怠らなかったでよ。(撮影・文化祭受付のネーネー)



祭りを後にして、午後の見学地、南風原文化センターに向かった。
南風原は首里城に置かれた、沖縄大本営の後方支援の医療の拠点として当時、外科・内科・伝染病科が置かれる(多くの壕を丘陵に掘ってな)。あのひめゆりが重用されるのはここである。
やがて、戦況がひどくなると、すべて外科にされ、やがて、首里城が陥落すると、米軍が押し寄せ、あらゆる部隊・住民、ここの外科で働く人々は南へ敗走することになり、その10キロ以上もの南部への敗走は、むごたらしい惨状となってゆくのだった。

この南風原の病院壕では、重症患者は青酸カリを呑まされるのだった・・・



文化センターには壕の再現などがされ、ここから10分ほど歩いた場所には、発掘された当時の沖縄陸軍病院南風原壕群20号が整備公開されているようである。
案内も付くと、ここの受付のネーネーに教わる。

とても、タクシーを待たして30分や1時間では見切れないとすぐ判断。
次回の沖縄の目標が出来た。次回はここでたっぷり時間を取りたいと、ここを後にした。



那覇に戻って、ジュンク堂・・ここは沖縄本は宝庫のように揃っている。
小さな本屋にたとえれば、すべてその小さな本屋は沖縄本って品揃えだ。
フロアでは、仲村清司氏のトーク&サイン会など・・・

4冊購入・・・獏さん関連・沖縄の歴史本・座間味渡嘉敷の集団自決のルポなど・・・



市場で土産など購入し、宅配の手配を済まし、温泉に突入した。




夜は行きつけのタンパラヤで、日本シリーズを観戦し、宿に戻った。



最終日は11時までの日程・・・フライトは12時45分なので、11時半には空港と決めていた。

ここらでは有名な「やちむん(焼き物)通り」の散策と決めていた。




午後目指して「やちむん祭り」が行なわれるようで、あちこちで準備が行なわれていた。
写真、新垣清正氏の作品の色は大好き!




ゆったり時間が流れる、通り、そして路地(すじぐぁー)がいい。




最後に、前から食べてみたかった、謝花きっぱん店に行った。

こやつ、橘餅はかつて琉球王朝で高位の人のみが口にできたお菓で、沖縄産のミカンであるクニブ(九年母)やカーブチーが原料だそうだ。

庶民が口に出来たのは明治以降らしい・・・



いや、実に旨い。

茶会などに供されるらしいが、頷ける。

こうして、僕の沖縄は終わったのだった・・・

長い、旅日記・・・・読んでくれた方がいたら、感謝にたえない!

コメント (12)
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