館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

多忙な日曜日であった。

2007-12-17 06:59:06 | 生活雑感


年に1度の「あかんべ山」、そして、年に1度の「顔合わせ会」であった。
あかんべ山に集う、各グループの代表・委員会メンバー・音響氏が、一堂に会し、近況報告やら、委員会のお知らせやら、話し合っているのだ。

で、こんな集まりが、「よし!コンサートが近いな」「いや~元気に1つもこぼれずどのグループもがんばってるね」など刺激になって、コンサートへの、意識の高揚がはかられるのである。



委員会3役揃い踏み。



委員は9時集合・その他は9:30集合。
懐かしく・楽しい再会である。
障害者バンドが、新しく加わって、2008である。



と~ちゃんは、働いて、日曜日。
きゃわいい、子供がお父さんと居たくて、ついてきたか?
それとも、女房氏に、休みくらいは、子供と遊んでよ!となったか?

子供は絵になるね~



前日にはタップリ時間をとって、リハーサルが組まれる。

本日は、希望時間など聞いて、リハを確定するのも大事な仕事だった。
無事・おごそかに・にぎやかしく・わきあいあいあと、終了したのだ。



午後は「ハンセン病」の問題に取り組む友人と立ち上げた、「映画と講演会」のやはり、上映リハーサルを行ったのだ。



不治の病・隔離!と日本の厚生行政や政策の誤りを、2000年に入って認め、やっと謝罪した。
そこでは、「最後の一人になるまで面倒を見る」が、約束だが、既に年金だって、公約違反に、逃げの答弁の政治家や官僚の日本である。

面倒の具体化が、何もされてない現状らしい。

既に、治療できる病気であり、無菌の「隔離された人たち」が、高齢になり、日を追う毎に、亡くなっている現状である。

まあ、「死ぬのを」待っている行政である。



公民館の、無料貸し出しの「プロジェクター」を使いDVDを大きく写すトライだ。
音を会場全体に流す仕掛けも、トライだ。

はたして、上手くいったのだ。

戦争の体験者・語り部が亡くなってゆく。
ハンセンの語り部も亡くなってゆく。

負の遺産も、語り継ぎ、歴史から学ぶ事は、僕らが過ちを犯さないために、大事なことだ。
そして、避けて通るべきではないと、思っている。

日曜日が終わってしまった。

少し、複雑な、酒を飲んだ。

12月23日(日)が本番である。

お近くの方は、ぜひ、来て欲しいな。

チケット・ありますです。
コメント (2)
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