館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

キハダマグロ・珍味「松浦漬け」など・・・拾遺物語。

2024-10-31 03:59:37 | グルメだ!


友人の息子は海釣りにはまっている。時々おすそ分けがある。30キロのキハダマグロを仕留めたらしい。
柵どり・血合い・ブツと頂いた。



まずは、ブツを刺身で堪能。





珍品を佐賀のご出身で、里帰りした知り合いから頂いた。クジラの軟骨???
鯨の上あご(鼻筋)の軟骨「かぶら骨」を、細く刻み、長時間水にさらして脂を抜いたのちに、甘く調味した酒粕に漬け込む松浦漬。





滑らかな舌触りがたまらん!!!お酒にピッタリではないかっ!!!!!!!!

鯨、軟骨の、コリコリ食感もいけるねぇ・・・・



佐野で有名な「しんこまんじゅう」。
ちょいと前に紹介したが、太田屋と言う店が美味い。今回は、その太田屋謹製!!
甘め控えめ・滑らかな皮と、申し分ない。ちなみに、わしゃ「塩大福」「豆大福」が殊の外好物。
女房が両方買ってきてくれた。







故郷に里帰りの知り合いから、地場の会社のきゅうり漬けを貰った。



実に美味い。弁当に最適!
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2024秋の沖縄旅・対馬丸記念館~辻界隈散策。

2024-10-30 03:57:04 | 旅は続く




疎開船対馬丸記念館。乗船をイメージした建物は、なんだか、良いな。2日目土砂降りの中、タクシーで行ったが、下車すると、傘で十分な降り具合になっていた。
が・・・調べ無かった俺がイケないのだが・・木曜日は休館だった。この2日目は対馬丸記念館とその周辺の慰霊碑探索。そして、沖縄最大の色町であった、「辻」の散策がテーマだった。記念館は最終日土曜にリベンジした。他、慰霊碑や「辻」は激しくなったり、小雨になったりと呼吸を繰り返す雨の那覇の2日目の記録だ。



迫りくる戦争から、老・幼・婦女子を守るべく県外疎開の指示が出される(軍は、足手まといは県外に出し、沖縄全体を戦場と化し、戦争を引き延ばそうと意図する)
1944年8月21日、18時35分、疎開船対馬丸は、台風接近による激しい風雨のなか、那覇港を出港する。



他、暁空丸・和浦丸の2隻の疎開船、疎開には軍艦の投入を要請の声もあったが、あてる余力は無く、駆逐艦「蓮」と砲艦「宇治」が護衛。対潜水艦には不十分なものであった。



アメリカ海軍は暗号解読によって予定航路を把握していた。



魚雷命中から11分後、対馬丸は大爆発を起こし沈没。鹿児島県悪石島付近が、沈没地点だ。他の疎開船、駆逐艦、砲艦はその場の救助を行わず、次の攻撃での犠牲を恐れ、危険水域から姿を消していった。数日後に目的地長崎港に着いている。
対馬丸事件から80年の節目の年が今年である。







いかだや漂流物にすがり付き、生き残った者はわずか。対馬丸の生存率は学童7%・一般
14%・軍人48%・船員72%とする資料もある。軍からかん口令が敷かれるが、事件はたちまち知られることになる。



幼き学童たちの遺族の思いが、この記念館になり、亡くなった学童たちを中心の展示が行われている

この事件後10月10日には、「10・10空襲」があり、県都那覇は焼け野原になる。軍や行政は一般人の犠牲を減らしたいと、県外疎開・県内北部疎開を推し進めるが、この対馬丸事件は、住民の疎開への不安となって、結果的に島に留まる人が多く、10万を超える砲弾での犠牲を生むことになった。

3度目の来館だったが・・・自分の学びの深まりもあるのだろうか?受ける印象は、深くなっている。「あそこは1度行きました」で済ませてはいけない、沖縄の学びであった。



パンフレットの写真より・・・学童と束ねてはいけない・・・1人1人、生きた時間も名前もあった。





記念館の建つ、小高い丘・旭ヶ丘公園には多くの慰霊碑が建っている。
これは、まさに対馬丸の犠牲となった「学童」たちの慰霊碑「小桜の塔」だ。子供たちの慰霊碑が無いと、造られたと言うが、確かに軍人たちの慰霊碑は、いらないほどあるが、子供たち・・はほとんどないかも?



小桜の塔の奥の高みに「海鳴りの像」がある。沖縄県民が乗船して撃沈された戦時遭難船舶は26隻。海なりの像には、対馬丸を除く25隻の船舶で犠牲になった県民1927人(沖縄県調査)の慰霊の像だ。



小桜の塔の手前にある「戦没新聞人の碑」。沖縄戦で亡くなった新聞記者ら14人の名前が刻まれた「戦没新聞人の碑」がある。 新聞労連沖縄地連の真栄里泰球委員長が「戦没新聞人の碑が反戦、非戦の碑であることを確認したい」とあいさつした。と、記事があったが、戦意高揚・・加担では無かったか?

慰霊碑がおびただしい数である沖縄。そのほとんどが「2度と戦争を繰り返してはいけない」と、平和の希求が刻まれている。何度もそんな碑を眺めながら、僕はいつもある種の違和感を感じている。日本の仕掛けた侵略戦争だったあの戦争。犠牲のほとんどは神風日本が勝つと信じ、加担していたのではないか?加害者としての自覚があって、犠牲を憂い、2度と戦争は起こすまい、平和が大事と、刻んでこそ碑が時代を貫いて存在する価値があるのではないか?被害者意識のみで、かの戦争は語ってよいものでは無いだろう?それが、僕の違和感だ。



記念館から歩いて3分?フライトまで2時間しか無いあなた!1時間は泳いで、空港に行っても間に合いますよ・・の呼び声高い「波の上ビーチ」がある。
10月でも結構泳いでいるし、かき氷屋なども出ています。トイレもシャワーもあります。(人工ビーチだけど・・無料だったかな?)





この記念館界隈は、清朝から庇護を受けた琉球と、その清朝から渡ってきた文人・行政官・政治顧問・技師など、琉球を支えた中国の人々が住んだ界隈だ。
そして、沖縄最大の花街だった「辻村」があった場所だ。辻の女性は「ジュリ」と呼ばれた。
 琉球王国において中国からの冊封使一行や大和からの商人等をもてなした「ジュリ」が居たといわれる。琉球の花街として明治期まで存続した。
 1879年(明治12)に沖縄県が設置されると、ジュリは18歳で登録証(鑑札(かんさつ))が交付された。1908年(明治41)に「仲島」・「渡地」の花街は廃され、「辻」に統合された。これにより「辻」は、政財界の要人、官公庁・教育界の指導者をはじめ、地元の商人などが出入りし、接待や宴会が行われた。また旅客が宿泊する場所ともなった。





ジュリは、これらの客をもてなし、安らぎを与えるために、料理や唄・三線(サンシン)・琴・踊りなどの芸事にも磨きをかけた。「辻」は、沖縄県下最大の社交場、「華やかな」場所として知られた。辻の女性は、「アンマー」(ジュリの抱え親)を中心に、疑似家族を構成し、厳然たる女性社会だったようである。
写真は、当時の美しきジュリ達といわば浅草の「吉原神社」のような場所。



今は、辻界隈は、怪しいソープ街や、ぼったくられそうな(確実に)バーやスナック街だ。





沖縄には14世紀の終わりごろにやってきたという閩人(びんじん)三十六姓(先の中国からの方々)とともに、「航海を守る天妃」を祀る信仰が伝わったようだ。那覇には、かつて上天妃宮・下天妃宮の二つがあったが、現在は上天妃宮の石門だけになる。





ここは、戦後、あの瀬長亀次郎が那覇市長だった時代、那覇市役所があった場所・映画にも出てきた場所で、1度は見ておきたかったのさ。



こんなのもある。沖縄の中の歴史ある中国福建省だ。沖縄は近世ずっと琉球で、清朝の恩恵の中、国を富ました。日本に併合されてから、苦難は21世紀の今も続いている・・・70%以上もの基地を引き受けながら・・・果てない苦難の中だ。
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2024秋の沖縄旅・・変わりゆく沖縄。

2024-10-29 03:58:31 | 旅は続く
一部、大雨を切望していた輩が居たらしい・・・でも、雨にならないよう、優しいお言葉の方々も居た。
初日、晴れ時々曇り。



2日目・朝から土砂降り、時々傘で大丈夫のような時間もあったが、基本土砂降り。
3日目・朝9時から30分、すごい雨だったが、その後は、曇天ながら雨は降らず。
4日目・曇り時々晴れ。



3日目の「てだこ浦西」駅だ。ゆいレールという都市モノレールは空港から首里までだったが、北へ延びて、西原まで開通した。まだ、その先まで伸ばす計画はあるらしい。
原野のような場所で、降りたら何にもないような駅だったが、あっという間に駐車場は出来るは、スーパーなど複合施設は出来るはであった。
食堂など全くなかったが、はなまると吉野家が出来ていた。





恐ろしい勢いで、開発が進んでいる。この開発で、ここが盛れば、寂れる地域も生まれるさ。
変わりゆく沖縄・・・・那覇やその周辺は、休むことを知らず走り続けている。



ファミマやローソンは有れど、セブンが無かった沖縄。5年前に1号店が出来て、今は178店舗(9月末現在だから、今はもっと増えているだろう)。
見事に、ファミマやローソンのすぐ近くに開店するすさまじさ・・・・昔ながらの店は、閉店だ。



コロナ前、中国の方々の「爆買い」がターゲットだった、こちらのドラッグストア・・・国際通りのあちこちに雨後のたけのこのようにあった。
コロナで爆買いが無くなったら、あっという間に閉店した。それがまぁ・・・まぁ、復活し始めている。



戦後のバラックのような場所から始まった「農連市場」夜中の2時から4時辺りが最盛期で、まさに「那覇の台所」だった。
建物の老朽化で、反対もあったら、紆余曲折でこちらの建物「農連プラザ」になった。
アジアの露天市場のように、相対で客と店が会話しながら、値段も丁々発止・・・おばぁの活気が素敵だったが・・・



8年前に閉鎖した「農連市場」の写真を載せて置く。お世話になったなぁ・・・果物や野菜が驚くほど新鮮で、安かったなぁ・・・・



新築で、まず家賃が払えず、撤退した店。出店したが、採算が取れず撤退の店が続出している。あの古き良き、沖縄はもう、ここには無い。
おでんが食いたいと行った店はシャッターが閉まっていた。あそこも、ここももしや閉店か?
写真の俺のひいきの菓子店もやめるようだ・・・・沖縄の魅力が、また減ってゆく。



変わったと言えば・・復活。ホテルのサービスの「梅昆布茶」が復活した。美味しい。





雨だったら「映画」と決めていた。今回は1人なので、計画は緩い。およそメイン企画は午前中、午後は気の向くままと計画していた。(ガイドブックは作ったけど)
2日目の計画は基本建物の中なので、移動は雨がひどい場合タクシーと計画してあった。
映画館まで15分、傘で済む程度の雨だった。久高島・イザイホー・イラブウミヘビの燻製。
途切れそうになった伝統の復活劇は、面白かった。ドキュメント映画だ。

桜坂劇場・・・大手でかけないような秀逸な映画をいつもやっている。こちらも、ずっと沖縄にあり続けて欲しい1つだ。







牧志の公設市場を過ぎ・浮島通り界隈は、あの「密貿易の女王・ナツコ」の時代、与那国を通り、石垣に渡り、そして那覇ではここらに台湾の方々が住み、1つの文化圏を作っていた。
名店「金壺」・・・「薬膳かゆ」・「精進料理」と「台湾ちまき」が売りの店。ジャーナリスト、金平茂紀氏の御用達店だ。
朝8時から開くので、昔素泊まりで朝食が付かないホテルだったころは、朝飯を食べに良く行った。粥が、呑んだ翌朝に優しかったなぁ・・・・

久々に、昼飯に食べる「ちまき」を買いに行った。多分、台湾の(最近は中国より台湾の旅行者が多い)若い旅行者で満席だった。俺はちまきテイクアウトなので、すぐ買えた。
優しいベーベーが、小さいちまきをおまけにつけてくれた。

「金壺」変わりゆく島で、変わらず有って欲しいなぁ・・・・!
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我が平地のきのこ林の下草狩り。

2024-10-28 05:51:02 | 山菜・きのこ・釣り




俺の土地ではないが・・・何十年も耕作放棄地・・・もはや、今は森のようになっている。
どこからも立ち入れないほど、笹やクコが茂っている。

ここで毎年、ヒラタケやエノキタケ、時々キクラゲを採っている。



1年たつと、昨年付けた入り口もすっかり草やササに覆われて、あそこを入り口にしたよな?って感じ。
まずは、入り口を作った。





すでにヒラタケの発生が見られるが、最盛期は11月から12月だ。





しっかり刈り込んで、キノコの生える木に行けるようにした。



昨年から発生し始めた木にも、ストレスなく行けるように刈り込んだ・・・・

お山が終われば、平地のキノコ。

さて、今年のここの発生量は如何に?
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「いも神」・ある日の晩酌テースティングノートその507付き。

2024-10-27 04:05:10 | グルメだ!


確かにサンマは大きくなったが、大きなさんまは驚く値段だった。開きは相変わらず小さいな。
生は、諦めて、小さな開きで我慢さ。





イカの生姜焼きと蛸の刺身。この2種があれば、俺は大丈夫。



今季最後の、へちまのチャンプルー。猛暑には、マジ、へちまが喉を通る。



伏見甘長とうがらしの炒め物。熱々のご飯に乗せ、かっ込むのもいいぞ。



酒は、例の酒屋の瓶詰して10年以上の代物。





この酒屋での最大の発見は、焼酎も瓶内熟成するってことだ。
泡盛は、坂口先生によって、瓶内熟成することは、広く知られることとなったが、焼酎も熟成速度は遅いだろうが熟成しまろやかになる。

このいも神は、味はのっぺりして、うま味にかけるが、まろやかではある。

あの酒屋、すでに売れ残りで、10年20年前の泡盛は、俺とMさんで買いつくされてしまったが、焼酎はまだ半年は楽しめそうだ・・・・
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