昔、新宿のFugetsudoによく通ったものです!

そろそろ先が見えてきましたから、今のうちに記憶を書いておこうと…

F駅近くのピアノバー

2011年02月13日 | ファンタジア
 君はほとんど知らないと思う。
 F駅南口のすぐ目の前の、今の小田急デーパートの並びのビルに、2階か3階だったか忘れたけれど、僕が結構通いつめたピアノバーがあった。

 そこは、F駅近くのマンションで君との半同棲を始める前から通っていた店だった。小さなつくりで、店の真ん中にグランドピアノが置いてあった。そこのママが、弾き語りをしてくれるピアノだ。どうやって上まで上げたのか不思議だった。

 ママは、それほどの美人ではなかったけれど、人の話をよく聞いてくれる優しい印象があった。会社での空しいことや、家でのいさかいや、そんなものをポロリと落としてくることができる、何か懐かしい暖かさがあった。

 はなから、僕が一人で入ったわけはないから、誰かに連れて行ってもらったのだと思う。でも誰だったかはもう忘れている。

 いつの間にか、一人で通うことになっていた。ボトルを入れて、いちおう、おなじみさんになっていた。月に一度か二度くらいの出入りだった。

 F駅の南口は、会社の飲み会の定番の店ばかりで、夕方に南口を出て右に進むと必ず誰か知った人に出くわすような場所だった。僕は、そんなところで飲むのはやだから、東側に流れたのかもしれない。

 ママは何でも弾いていたが、行くと、僕は必ずジャズのスタンダードを頼むから、いつか名前も憶えられていた。居心地のいい場所だった。だから、あまり会社の奴らには出くわしたくなかった。いつも一人だった。一人でなくては行かない店だった。

 ある夜、調子に乗ってママのピアノにあわせて、“I left my heart in San Francisco”をよせばいいのに歌っていたら、部下の二人がふっと店に顔を見せた。まずいと思った。別に悪いことをしているわけではないけれど、なんだか裸の自分が見られたようで、気恥ずかしかった。

 その日は、だから調子が狂っていて、そんなプライベートな時間に話すようなことではない会話を彼らとしながら、ウイスキーをなめていた。その頃は、若かったし、アルコールも強かったから、ウイスキーはオンザロックに決まっていた。しかも、チーバスか、タラモア・デュウのダブルに決めていた。それを数杯、お代りをしたのだろう、結構、酔っていた。

 ジャズを聴きながら、ゆっくり楽しむ雰囲気ではない自分自身を感じていた。
ウイスキーというと、僕の頭の中には、スコットランドの片田舎の、夏のリゾートホテルでの厳しい冬の夜が浮かんでくる。大きな暖炉に、大きな薪がくべてあって、薄暗いロビーの中に、その燃えつづける炎の揺らぎと、ぱちぱちと時々はじける薪の音が聞こえる。

 ロビーには話し声もない。みんな、自分の椅子に深くうずくまって、時々ウイスキーを口にしている。そして、燃える火を見ている。こういう光景を見た者にとっては、ウイスキーは、本当に陰気な酒だなぁと思う。決して明るい酒ではない。もちろん、スコッチの話で、バーボンはもしかすると明るいウイスキーなのかも知れない。

 そのピアノバーで、一人ではない時間を過ごしていて、ふとまずいぞと気が付いた。どうやって、会社の奴らをまいて北口に帰ろうかと考え始めた。北口って、君のマンションのある方向だ。彼らは、僕が横浜に住んでいると知っている。彼らにすれば、どうして○○さんが、F駅の近くのバーに一人でいるのかさえ、不思議なはずだ。

 唐突に、帰ると言って席を立ったら、くらっと来た。かなり酔っぱらっていたのだ。でも、自分では、自覚していなかった。彼らは、心配して、○○さん、大丈夫ですかと訊いてきた。僕は少しふらつきながら、大丈夫と言って勘定をして、彼らを残して店を出た。

 本当は遠回りして、横断歩道か、歩道橋を渡るべきだったのだが、僕は、車の流れを読んで、広い通りを小走りに横断しようとした。ところが、自分でどこかにつっかかて、片方の靴が脱げてしまった。片方の靴を履いて、渡り終えたとき、会社の奴らが、○○さ~ん大丈夫って言いながら、道の真ん中で僕の脱げた靴を拾って渡ってきた。

彼らは心配して店を出てきたのだ。恥ずかしくもあり、どこかに怒りもあり、感謝もありで、僕は混乱していた。

 もう、その夜は北口の君のマンションには帰らないと心を決めて、大丈夫、車で帰るからと心の乱れを取り繕って彼らに告げた。もうどうしようもなかった。彼らから逃れるには、横浜方面のタクシーに列に並ぶしかなかった。

 なかなか、自由な時間を持つのは難しいものだと思った夜の光景だった。きっと君にも話していないだろうと思う。
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