昔、新宿のFugetsudoによく通ったものです!

そろそろ先が見えてきましたから、今のうちに記憶を書いておこうと…

ナイト・アンド・デイ

2010年01月31日 | ファンタジア
 東京の環状8号線を、玉川田園調布交差点から蒲田に向かって走ると、田園調布署の手前右手に「ナイトアンドデイ」という、よく君と通った店があった。
横浜から第三京浜を走ると、すぐなので、あまり遠くに来た感じがしない場所だった。
さすがに、ここまでくれば、僕たち、ひそかな恋人たちも、少し緊張から解かれて楽な感じでいられた。

 二階の左手は和食屋さんで、右側はフレンチ・イタリアンのレストランだった。そのレストランはワインのコレクションも素敵で、何かのお祝いには必ず一本開けていた。
 レストランに入ってすぐ左側が、カンティーナになっていて、びっくりするような、例えば、赤と緑色とかの照明に出くわして、本当の洞窟のような感じをうまく出していた。

 店は天井がコンクリートの打ちっぱなしで、間接照明が落ち着いた感じをつくり、装飾はけばけばしさから程遠い、モノトーンの感じで落ち着けた。
 
 たびたび行くと、支配人が覚えていてくれて、僕たちの好みの席に案内してくれるようになった。
 なにしろ、おおぜいの視線の集るところは避けていたから、大きな柱の陰とか、観葉植物が茂ったコーナーとかに自然に僕たちを案内してくれるようになった。
 彼らはその道のベテランで、客の関係とか、好みとかをすっかり見通していたのではないと思う。

 ここは、アンティパストもイタリアのリストランテと同じく、入った所に今日の前菜として陳列してあった。客は、好みで、あれとこれとを…というふうに自分の目で確かめながら、注文できるという楽しみもあった。良く出来た店だった。
 君とは、ここではいつも明るい顔をして、笑ってたのを記憶している。
 明るく、視線が上に向いていたから、天井のコンクリートの打ちっぱなしも見えたのだと思う。

 一階正面にはパン屋さんとケーキ屋さんとデリカテッセンがあった。
 1階の右手はカフェで、明るいオープン・デッキのテラスがついていた。僕たちはそこにはほとんどは入ったことはない。あまりにも明るい感じだったからだろう。
 そして、客はみんな中庭をむいて座るように作られていたから、中庭を歩く客からみんな丸見えだったのだ…。

 思い出してみると、楽しいことがあるときは、二階右手のレストラン、そして、ちょっと落ち込んだり、問題があるときは、左側の和食屋さんに入っていたという記憶がある。
 気分で、どちらか選んでいたのだろう。

 うんと二人が二人ぼっちになりたいときは、和食屋さんの、広間から一段上がった座敷にある大きな木のテーブルについたものだ。その形のテーブルの数は少なく、大体の客は靴を脱がないでもいい、フロアにあるテーブルについていた。

 僕たちは良く、靴を脱いでその座敷に上がり、6人ぐらいいっしょに食事が出来るくらいの大きなテーブルを、二人で占拠して話していた。
 何故だかわからないが、ここでは酒は飲まなかった。
 そばとおつまみみたいな物で食事としていた。そして、目を伏せた君の話を聞いたことが何度かあった。君の苦しい感じを、きっとそんな風に話していたのにちがいない。

 普通の感じで、和食を取るときはテーブルの席だったから、中庭に植えられた竹林の葉がそよぐのが見えた。

 何故、気分が乗らないときは和食屋さんを選んでいたのかは判然としないけれど、でもそうゆう習慣になっていた。

 もし、レストランで過ごす僕たちと、和食やさんの僕たち両方を見てる人がいたら、きっと別な恋人達に見えたかもしれない。それほど、和食屋さんでは、かなり暗い、辛い話をしていた記憶があるのだ。

 全体から見ると、僕たちは、このナイト・アンド・デイは、お気に入りの場所だった。

 渋谷・道玄坂の「109」の並びのビルの一階にも、同じ経営の同じ名前の店があって、渋谷に出かけて一人で飲むときは、そのバー・スタンドで飲んでいたのを覚えている。ここも暗い照明で、バー・カウンターが眩しかった。

 環8の店は最近探してみたけれど、店はもうなかった。その跡と思われる場所に、蟹屋さんの、でかい、奇妙な、醜い建物が建っていた。あのスマートな店は、どこに消えたのか、全くわからないままだ。


<この下手な絵は、記憶をもとに僕が描いたものです。本当の姿はもっと素敵でした>


P.S.
その後も、この店のその後を探しています。
もし、読者の中に、この店がどうなったのかをご存知の方がいらっしゃれば、コメント欄に情報をいただけると幸いです。
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浅草・飯田屋さんとか

2010年01月15日 | ファンタジア
 浅草・国際通りの西側には数は少ないが、いくつかの君との思い出の場所がある。
 たとえば、東京ではあまりはやらなかったお好み焼きの染太郎とか、その並びの焼き鳥の酒場とか。

 その中でも、「どぜう」の飯田屋さんは、印象深い。
 ドジョウというと、駒形のドジョウ屋さんがよく知られているが、雰囲気と味は、間違いなく飯田屋さんのほうが確かだろう。

 国際通りをわたって、ちょっと入り込んだところに、印象的な店構えが見える。
 入ると、靴を脱いで、広い座敷に上がることになる。そのために下足番がいたのだ。どうして、込んだお客の靴たちを 見分けられるのかが不思議だった。

 君は一度、ブーツを履いていったことがあった記憶がある。普通の下足いれでは、まにあわないのにどうしたんだろう、記憶がない。

 泥鰌にもいろいろあるって、ここで学んだ。
 君は、最初気味悪がっていた。確かに、ぞろっと、太い泥鰌たちが並んで出てくると、おっと思うのは無理はない。食べてみなければ分からないものなのだ。

 泥鰌なべでも、骨の抜いたものと、骨の付いたまんまの柳川と二種類あった。

 ぼくは、最初、骨付きを頼んだけれど、食べてみると、骨がグシャグシャしてなじめない。
だから、二度目からは骨抜きにしてもらった記憶がある。刻んだねぎをいったいかけて、熱々を食べる。

 ここではやはり日本酒になる。

 広い広間に、テーブルごとにお客さんたちがいるから、独立島みたいな感じで、島の数だけ人の笑顔がこぼれている。
 仲居さんたちもよく目配りしていて、客の様子で、すっとよってきて客の希望を理解してくれる。
 最近は、有名な飲食店でも、店員さんはお客の動きを全く感じようとするわけではなく、声がかかるのを待って、ボーって自分の世界にいる人が多い気がする。

 そんなことから、いい店とつまらない店が見えてくる。
 店の主人が、どう人を育てていくかが大切で、そのあたりに店の存続を左右する本当の理由があるように思うんだが…。まあそんな意味では、ぜひもう一度、飯田屋さんで、気持ちよく客になってみたいと思ったりする。

 染太郎の先のもつ焼きやは、そこに行くと意気のいい店員と、もうもうとした煙が売りだったかもしれない。その煙と、元気のいい声で、人がお客に成って入ってくるからだ。
 どちらかというと立ち飲みが多かったような気がする。アルマイトの黄色い入れ物から熱燗を大き目のぐいのみに注いでもらって、いい気分になっていく。

 そういう意味では、お酒が飲める、どちらかというと酒に強い君は、僕の格好の飲み友達でもあったのだ。こんな恋人はそんなに簡単には見つからないのだと思いながら、君との飲み歩きが続いたのだ。

 正確に言うと、国際通りの西側ではなく東側に、通りに面して小料理屋があった。もう、名前も覚えていないし、先日ちょっと探してみたけれどもう記憶の場所には店はなかった。
 けれど、この小料理屋さんもよかった。やはり、客の話を聞くでもなきけど、気使いしてくれていて、それこそ、つかず離れずで、お客の気配を感じてくれていた。

 どうしてわかるんだろうと、時々思うんだけど、まあそれがプロの仲居さんなんだろうと思う。

 この店が記憶にあるのは、浅草では珍しく馬刺しを出していたからだ。
 なかなか、新鮮な生肉には出会えない。
 君はそれが始めてだったらしく、最初はぎょっとしたみたいだったけど、わけぎと生姜のたれをつけて口に入れると、にっこりと微笑んで、おいしいって言ったのを覚えている。

 馬刺しで思い出したしたことがある。
 
 それは、アメリカのケンタッキーから来た人に、黙って馬刺しを、日本の味だって食べさせたことがあった。意地悪で黙っていたのではないのだが、食べたあとに、これ、なんだか判るって彼に推測させたら、えって、絶句した。
 
 考えてみれば、ケンタッキー・ダービーの行われるルイビルから100kmも離れていない町から来た彼にとって、馬はほんとの仲間、親しい動物そのものだったのだから、自分の罪と考えたのだろう。悪いことをしたと、今でも思っている。
 
 懐かしい店たちが、どんどん消えて行く浅草は、みんなで何とか盛り立てていかなくては、と思う。
 
 ちなみに、僕は、染太郎でたべたことはない。いつ行っても、狭い店内に人が満ち溢れているからだ。食べ物屋を紹介する本の影響だと思う。果たして、本当にこれでいいんだろうかとさえ思う。

<この写真は、飯田屋さんを紹介するHPからお借りしました>
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