昔、新宿のFugetsudoによく通ったものです!

そろそろ先が見えてきましたから、今のうちに記憶を書いておこうと…

八ヶ岳の時間

2008年09月26日 | ファンタジア
八ヶ岳にはよく行った、春も夏も秋も。

野反湖の帰りに、君と初めて男と女の関係になったのも八ヶ岳ロッジの夏だった。

付き合いだしてかなりの時間、飲み友達のプラス・アルファの関係が続いていたが、彼と別れたと聞いた後、初めての何泊かの、ちょっとした旅に君を誘うことができた。あの時は、逆コースで、野反湖から、軽井沢、追分、御代田、佐久とたどって、八ヶ岳に入った。

いつも使った小海線沿いの韮崎から清里を通って、佐久、小諸に抜ける道は、その頃はまだ完全舗装ではなかった。清里から先、山梨県から長野県に入るとそこはもう土埃の立つ細い道が高原を貫いていた。そこはスピードを出せず、道の穴ぼこを避けながら、ゆらゆら揺れる車をゆっくり転がすしかなかった。独立懸架の510は、こんな道が得意だった。

道端は広大な畑だったり、牧場に牛が群れていたり、のんびり赤岳や横岳の八ヶ岳山塊を眺めることのできる田舎道だった。

「海の口自然郷」と看板が出ていたと思う。日本一海抜の高い駅、野辺山のちょっと佐久よりだ。

そこに西武のヒュッテやロッジがあるのは知らなかった。「高原にいらっしゃい」というドラマで紹介されるかなり前だった。海の口牧場という名前は、昔の女友達から聞いていた。その女友達の女友達が、その牧場の人だった。そこに大きな木があることも知っていた。

国道を外れて、牧場と畑のなかの細い道を、かなり不安になりながら、がんばって進むと、大きな沢にアーチ橋が架かっていて、やっと山に近づいた感じがする。

ぐるっと山を巻いて左カーブを曲がると、その先は立派な舗装道路がまっすぐにずっと登っていた。周りの唐松や白樺の林は手入れが良くされていて、それまでのひなびた世界から、スッとしゃれた感じの世界に導いてくれる魅力的な、そして良く演出された道だった。

周りには分譲中の別荘地があり、すでにかなりの別荘がに建っていて、マンション型の別荘も出来たばかりだった。

登っていくと八ヶ岳ロッジは右手にあり、さらに道なりに進むと、ちょっと右に入ったところに白壁と木でできた美しい建物、八ヶ岳ヒュッテがあった。もっと山に近づくと、八ヶ岳への登山道に取り付く。左手には小川のせせらぎが軽やかだ。

今のロッジは増築されていて、今の入り口は元の玄関とは違う下のほうにある。もともとの玄関は、今も残ってはいるけれど、小さな車回しがあって、入ってすぐ左が、レストランだったと思う。

夕暮れ、レストランの前のオープン・スペースのテーブルにつくと、横岳と赤岳が、最後の夕日を浴びて、山頂を美しく見せていた。近くの木立が、どんどん暗闇を深くしていく。
静けさと、安らぎが迎えてくれるすばらしいロケーションだった。

今年は、冬も越年オープンしてみようかと考えていますと、ホテルの人が僕たちに言っていたのを覚えている。それまでは、春から秋にかけての限定的な営業だったらしい。

ロッジの道を挟んだ反対側の小川には、二人はよく足を向けたものだ。あまり深く入ると、視野が狭くなって八ヶ岳は見えず、林しか見えなくなる。

アーチ橋のちょっと上流に入り込むと、かなり大きな砂防ダムがある。そこには豊かの水があって、その水面が対岸の白樺の林を写してゆらめいていた。水音を聞きながら、無言のまま、初めて二人ですごした昨夜を思いながら、肩を寄せ合っている二人の姿が見える。

その前の夜、野反湖のバンガローでは果たせなかった気持ちを抑えることができず、僕は生理の君を抱いた。二人が始めて深く繋がったその瞬間、あぁ…って君は息を吐いた。
シーツとタオルがちょっと赤く染まっていた。

これでやっと一番深いところで、男と女としてお互いを初めて確かめ合ったわけで、
僕たちは、幸せだった。どんな方向にかは、分からないけれど、僕たちはとにかく一緒になって一歩前に進んだことになる。

<この赤岳の写真は、高画質壁紙写真集のオーナーの了解を得てお借りしました。>

P.S. 「野反湖への旅」は、2006年1月1日の書き込みでした。
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新しい店を新宿に探そう

2008年09月10日 | ファンタジア
新宿のCHOUは、最初は素敵な店だった。どちらかというと大人好みの店で、落ち着いた感じだった。だから、若い人にはちょっと…ということだったのかもしれない。

そこで店は、客を増やすためにも、時代に合わせるためにも、どんどん店の感じを変えていった。若者が入りやすくするため、入り口に看板を出したり、内装もラウンジ風に広い空間に変えたりしていった。そして、コンパだとか、若いグループの客が多くなっていった。そうして、店はだんだん騒がしくなり、人も込むようになっていった。

でもそれは、開けっぴろげにデートできる関係ではなかった僕たちにとって、あまりうれしい事ではなく、落ち着けるゆったりした静かな店が好みだったから、どこかに新しい店を見つける必要があった。

色々探した。
まず待ち合わせの店を探した。デートの暗号だった「駐在さん」の約束をしても、お互いに仕事の都合とか、電車の関係とかでぴったりの時間につけない事だって結構あった。

そうすると、気の置けない、落ち着いて待ち合わせができる店がどうしても必要だった。場所としてはなんとなく、新宿東口を離れたくなかった。

いろいろ探して見つけた店がポルシェだった。最近話題のGoogleのストリートビューで見ると、パチスロ悟空になっているようだ。

東口中央通りの武蔵野館の角を右に曲がって甲州街道のガードに向かって歩いていく。ひとつ十字路を過ぎて、次に左手から細い道が交わるが、その向かいの角にその店はあった。いわゆる喫茶店で、コーヒーを中心とした客で結構流行っていた。右隣は、うなぎの寝床のような薬屋さんだった。

新宿で待ち合わせの日に、何か予定外の仕事が起きて、遅れることだってあった。そういえば、遅れを取り戻そうと、小田急のロマンスカーの停車駅まで、タクシーを飛ばすことだって何度かあった。そんな時、この店は、ちょっと長い間、君をひとりで待たせても、まあ安心していられるといった鷹揚な対応をしてくれる店だった。

実際、一時間以上、君を一人で待たせたこともあった。この店が頼りだった。

食事は、そのときの気分で、何でも、何処でも出来るけれど、飲み屋となると早々、飛び込みで入って落ち着けることはあまりないものだ。靖国通りをわたって、歌舞伎町に足を向けることもあったけれど、どうも騒がしくて落ち着かない。とにかく感で探すしかない。トライ・アンド・エラーの連続だった。

そんな風にして見つけた店が、新宿西口・大ガードのはす向かいのビルの9階と10階が繋がったラウンジ風の店だった。10階には、広い窓に面して、ちょっとしたカウンターがあり、その他はゆったりとしたテーブル席で、店の照明も間接照明で、落ち着いた感じだった。そこの名前も覚えていないので、YYYとしておくことにしよう。今、調べてみると、新宿サンフラワービルと地図には書いてある。

そこがCHOUに次ぐ新宿での僕たちの飲む店になった。YYYには本当によく通った。たいていは10階の右手奥のテーブル席が僕たちの場所になった。夜の窓の向こうには、歌舞伎町のけばけばしい光が見え、左のほうにはPEPEの姿が見えたものだ。

通いつめて、スタッフと顔見知りになっても、彼らは決して馴れ馴れしくはならず、常に適当なスタンスを保って僕たちに接してくれた。そういうところが、居心地を良くしてくれる。軽い食事も取れて、新宿に出たときはそこが、シメの店になった。

ここでは、何年にもわたって、君と会って話し、笑い、悩み、泣き、怒り、仲直りする場所になった。

強く印象に残っているのは、何年か通ったある夜、カウンターに座っていた僕たちに、女性のバーテンダーが、お似合いなのに、まだご結婚されないんですか…と小声で話しかけられたことだ。僕たちは、ええぇ、まあ、とかいって、笑いながら、ぐさりと心にきたことを覆い隠すのに必死だった。

P.S.
最初XXXと書いた店の名前がわかりました。「ポルシェ」だったと、隣の薬局{ミドリ薬品」の人が教えてくれました。

YYYの店の名前、覚えている人がいらしたら、コメントなどで教えていただけるとうれしいのですが…。


<写真には、大ガードの先に一面ガラスで覆われた「新宿サンフラワービル」が写っています。これは、「デジカメで鉄道日記」のオーナーのご了解を得て借用したものです。>
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