昔、新宿のFugetsudoによく通ったものです!

そろそろ先が見えてきましたから、今のうちに記憶を書いておこうと…

移転先を考える

2015年02月15日 | ファンタジア・その後

 伊豆高原には、僕の心臓の病気を専門的に対処してもらえるクリニックや、病院がないと分かったことはショックだった。迂闊にも、すみかを選択するときに医療環境の考慮が薄かったのだ。それだけ、それまでは健康だったといえるだろう。さてどうしよう‥。


 <大室山>

 伊豆高原に住み続けるか、それとも医療環境の整った所に移転するかと迷った。移るとしたら、何処だ。長く住んだのは横浜だから、希望としては横浜。もしくは生まれ故郷で、大学時代から住んだ東京も候補地だった。

 しかし、気温の温暖化が進んで、東京でも夏には41℃などと、テレビが伝えていた。蒸し暑いのが大嫌いだから、ちょっと考えなくてはと思った。それに、横浜や東京のマンションの値段がとても高い。一度、戸建を買った身にとっては経済的に厳しい。

 伊豆高原に移ってまだ6年目のことだから、また転居かと気が重い。これまでの候補地選びの経験から、医療のほかに、都会で、しかも自然があるところ、気温が高くないところ、もちろんあまり寒くないところと考えると、仕事で二、三度行ったことのある仙台が頭に浮かんだ。

 気象庁のデータを過去に遡って調べてみた。すると過去30年間の平均気温で、仙台のそれは、東京に比べて通年で4℃弱、低いことがわかった。冬、つまり12月から3月の厳冬期を外せば、平均2℃くらい低いだけだ。温暖化の環境では住みやすそうだと思えた。降水量(雨と雪)、はあまり変わらない。気候は東北とはいえ、一応太平洋側なので、日照時間なども一年で50時間ほどの差だ。


 <仙台市>

 テレビの天気予報を注意してみていると、僕の思っていることが正しそうだと見えてきた。東京の天気予報パターンと仙台のそれは酷似している。全国の天気予報で見ていると、東京と仙台はだいたい同じ天気だ。太平洋側の平野ということが、そういう気候を生んでいるようだ。

 三陸や蔵王の自然にも近いし、都会。100万人を越える制令指定都市だ。いいかもと思った。都会であるということは、僕には重要だった。

 Nさんに相談したら、まぁいいんじゃない…と了解を得た。彼女にとって、初めて横浜を離れて住んだばかりの伊豆高原。やっと友達も出来始めた彼女にとって、ここから再び離れることは、かなりのストレスだったはずだけれど。

 仙台は新幹線を使えば、東京へ1時間40分というのも魅力だ。東京や横浜の友達とも、まぁ時には会えるようだ。

 しかし、最大の問題はやはり金だった。僕は、離婚した妻と二人の子供に、僕の持っていた不動産全部と、退職金のまとまった金の1/3を渡していたから、僕が自由にできる蓄えはたいしたものではなかった。

 2500万円で買った伊豆高原の戸建てを売るしかない。それができなければ、仙台にマンションは購入できない。できるだけ高く買ってもらわなくてはと、不動産屋さん選びに苦慮した。全国展開をしている仲介業者、二社と、地元の伊豆高原で別荘などを売り出している中堅の業者を選んだ。

仙台のマンション選びは難しかったが、ネットのありがたさを痛感させられた。遠く離れた伊豆から、仙台のマンション情報が得られるのだ。もちろん、先端医療の東北大学病院に近いことは、前提条件。心房細動に対応する先進技術も整っていた。これが仙台への移転の目的だったのだから。

 さらに、僕のうちにはNさんのほかにカロがいた。犬がOKのマンションはなかなかない。これも苦労したところだった。金額、地域、環境、プラスいぬOKの条件で調べた。ネットでのサービスが完備しているのは、やはり全国展開している大手不動産屋さんになる。

 絞っていくと、結果として10棟くらいのマンションが浮かびあがった。しかし、現物をこの目で見ておかなければ、本当の選択はできない。三カ所をみるつもりで、三井リハウスに連絡を取った。

 9月になって、一人で仙台を訪ねた。暑い日の続く日で、東京を離れることが正しい選択だと思わせる時期だった。三井のリハウスで、条件を述べて、候補になるマンションを三つ見せてもらうことにしていた。

 仙台の繁華街、クリスロードに近いビジネスホテルに宿を取り、その夜は、三陸の生牡蠣を食べさせてくれる店を紹介してもらって、ハウスハンティングに備えた。こんなに旨い牡蠣を、産地を比べながら食べられるって、シャブリを開けた。



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